市民社会づくりの日々 -2ページ目

今の時代の社会適応

久しぶりに3泊4日というまとまった期間で出張があり、帰ってきました。

 

コロナ前は毎月あった出張も本当に少なくなり、前は月一で会っていた仕事仲間にも久々に顔を合わせて「久しぶり」の挨拶と同時にリモートではよく顔を合わせていた人が実はリアルでは会ったことがなく、「初めまして」と声をかける様子がここ数年の生活様式の変化を実感しました。

 

自分が長く関わっている相談事業の報告会をやってきたのですが、そこで出てきたキーワードが「社会適応」でした。

 

死にトリもそうですが、私が普段、活動の中で出会う人たちは社会適応ができないことで困っていたり、ある時は「社会不適合者」という言葉を使う人もいます。

 

私は前からこうした表現に違和感があったのですが、今回の報告会でも社会に適応したくでもできなかったり、できないことに苦しみ悩む人たちに関わる私たちもまた、いわゆる「社会とはこういうもの」「支援とはこうすべき」「成果を出しなさい」などといった社会からの要請に苦しみ、悩んでいることを改めて認識しました。

 

社会適応に苦しむ人たちと誠実に関わるためには、社会の普通や当たり前に無条件で迎合するわけにはいかないのですが、今の社会でサポートを続けていくためには、今の社会に適応せざるを得ないことも当然あるのです。

 

つまり、社会に合わせていく側面と社会と戦う側面と両方のバランスをとっていかなければ、続けることができないという困難があります。

 

ひょっとしたら、それが一番難しいところなんだろうなぁと再認識しました。

 

自分としては社会に合わせることにはかなりの精神的な苦痛や納得できなさが伴い、戦いすぎると結果負けてしまい、排除されたり、本来やるべきことができなくなるという事態が待っています。

 

どっちにしても、葛藤が待っています。

 

そして、その側面は実に周囲から理解されずに、片側だけを見られて責められたり、批判されたりすることもあるので、これがまたなかなかしんどいことです。

 

社会に合わせようとすると、魂や理念を見失ったり、社会に媚びているのかと思われることもありますし、戦おうとすると、大きな力にバッシングをされたり、冷遇されたりします。

 

これまた、葛藤が待っています。

 

でも、物事が変化するためには葛藤はとても大切な動機なので、葛藤を抱え続けることは社会活動をする上では条件なのかもしれません。

 

そして、さっき、ふとひらめいたのが「社会適応」の意味を変えたらいいのではないかということでした。

 

今の社会適応は、個人が社会に適応していくことを指しますが、そもそも「社会」ってなんだ?と考えたら、社会ってものすごくあいまいで、実体が伴わないものだと思うのです。

 

逆に個人は非常にリアリティで一人ひとりの人格、人生、好み、体、心などなど、存在が明確です。

 

そして、個人は日本国憲法でも人は個人として尊重されるとされているように、何よりも大切だという認識を私たちはしようと約束しているわけです。

 

だから、本来は個人が大切で、お互いに個人を大切にしながら「社会」というものを作っているはずなのに、いつの間にやら「社会」というなんとなくぼんやりとしたものを優先させて、それに個人を合わせようとする構造が行き過ぎているように思うのです。

 

そうした時代や社会においての「社会適応」とは、社会を人に適応させていくことが大切なのだろうと思います。

 

だから、社会適応は個人が社会にいかに適応するかではなく、社会が人の暮らしにアジャストしていくと過程と考えたとしたら、私はすんなりと「社会適応」を推進したいと思いました。

 

ただ、個人と社会は敵対関係でもないし、別のものではないです。

 

「社会」とは私たちと別にあるものではなく、私たちの集合体ですから、私は社会の一部でもあります。

 

つまり、私はいつも私も含まれるこの社会に向き合うだけだということです。

 

それは、自分と向き合うことに他ならないのではないかと思います。

 

自分と向き合うというのは、自分だけではできないので、ともに社会をつくりあげているたくさんの人たちと一緒に向き合っていくしかないのかなと思います。

 

どうも敵対や批判や攻撃が好きではなく、もっと平和的に建設的に歩み寄りや交渉、すり合わせができないかと常々思っているのですが、実際にはそうじゃないこともあるので、悶々としてちょっと書いてみました。

 

社会と個人が常にすり合わせていくことが社会活動であり、社会情勢に応じてその比率は変わるだろうと思います。

 

そして、今の社会情勢からすると社会が個人に合わせようとする比率を高くする必要があると私は思っています。

 

とはいっても、今までも個人が本当に大切にされた時代があったのかと言われると怪しいでですね。

 

本当の意味で、私たちが自分たちの力で人を大切にする社会をつくる必要があるのだろうと思っています。

 

そういう意味で、死にトリでたくさんの人たちが自分を知りたいあるいは社会とつながりたいと思って参加してくれることはとても貴重なことだと思っています。

 

こっそりオープン

気が付くと、2月もあと二日になっていました…

そして、2月は全くブログを書いていない!ことに気づいてしまいました。

 

今月は3年前から取り組んでいる、休眠預金を活用した若者自立プロセス資源化モデル事業のまとめ報告を作成していたらあっという間に終わってしまった感があります。

 

それから、報告を忘れていましたが1月末には連携事業であるSNS相談「生きづらびっと」が主催している関西リアル居場所に釧路死にトリチームも駆けつけて、関西にいる死にトリメンバーとも会ったり、死にトリユーザーさんに会う機会もありました。

 

コロナ前にはリアル居場所も全国何か所かでやっていましたが、コロナ後はそれもできずにいたところでしたが、少しずつそうした機会もこれから増えそうです。

 

さて、今日は、生きづらびっとと同じく連携事業として新たに準備が進められていたサイト「生きづLABO」がひそかにオープンしたので、お知らせします。

 

生きづLABO (lifelink.or.jp)

 

前にもお知らせしていて、その際にはまだプレオープンだったため、パスワードがかかっていたのですが、この度、パスワードも外れて、見られるようになりました。

 

死にトリよりも、情報を入手したり、参加(まだ参加するコンテンツは準備中ですが)の色合いが強いサイトになっています。

 

これまで、死にトリの経験談やこえサーチ、チャットや生きづらびっとの相談に寄せられる声を参考にしながら、必要だと思われるコンテンツをそろえています。

 

死にトリにおいては、こえサーチの第27弾がスタートしています。

 

こえサーチ第27弾「過去の自分を助けるとしたら・・・」 (google.com)

 

過去の自分を助けに行くとしたら…というテーマにしてみましたが、実はこのアイディアはユーザーさんから問い合わせに届いた意見をもとに発想されました。

 

公開後、あっという間に声が集まり、今で150以上になっています。

 

もう少し集めますので、興味のある方はぜひ声を届けてください。

 

それと、アプリシニトリのTwitterも毎日元気に発信しています。

 

シニトリアプリ (@42_10riapp) / Twitter

 

アプリのトリさんたちがアプリの中で答えている内容や、今日は何の日に合わせてつぶやいています。

 

そして、死にトリのサイトもリニューアルも進められています。

 

何だか、何かに追い立てられているうちに1年終わってしまいそうな気配です。

 

ここ数年、このしんどい状況を何とかしなくてはと思いながら、目の前にあることに取り組んできましたが、世の中の厳しい状況は年々深刻化する(というのか、見えなかったことが見えるようになっただけかもしれませが)ばかりで、希望を持てないことがしばしばです。

 

そんな時には、立場や肩書を超えたフラットな対話を重ね、こうした活動をいろいろな人たちと協力して取り組むことが励みになります。

 

上記の休眠預金事業のまとめでは、いろいろと大切なことが分かったので、どこかの機会で発信できたらと思っています。

ホモソーシャルでわかったこと

今年は、今までより少しこまめにブログを書こうと思って、2週間ぐらいがたってしまいました…

 

今年度で終わってしまう、若者支援の助成金事業を4月からはどうしようかと年末ぐらいから具体的に考えていて、関連する助成金を見つけて数日前が締め切りだったりして、いつもよりは余裕をもって書いたつもりなのですが、結局出すのは締め切り当日になり、相変わらず綱渡りのような日々です。

 

前回に年末年始で夜更けに行っているハーマンの「心的外傷と回復」の話をしたと思ったら、翌日の夜にNHKの番組「100分deフェミニズム」でタイムリーに紹介されていました。

 

スペシャル番組 100分deフェミニズム論:100分 de 名著 (nhk.or.jp)

 

タイムリー過ぎてちょっと、びっくり。

 

たまたま、夜遅くになんとなくチャンネル回していたら「あれ?なんか聞いたことある話をしている」と思ったら、まさにそれでした。

 

その番組では、4名の方たちがフェミニズムに関する本を1冊ずつ紹介しているのですが、ハーマンは3冊目だったので私は終わりの3分の1ほどしか見れませんでした。

 

見れなかったのですが、実は2冊目に紹介されていた「侍女の物語」もうんと若いころに本が好きな親友に勧めれて読んだことがあり、その頃には内容にあまりピンとこなかったので、読んでみたくなりました。

 

そして、4人目が上野千鶴子さんだったのですが、「男同士の絆」という本を紹介していて、その中で「ホモソーシャル」という考え方が登場していたのです。

 

それを見ていて、ちゃんと理解したわけではないのですが、ものすごくなるほど!と思うことがたくさんあり、今までもやもやしていたことや、自分の活動の中で起こったことがうまく説明できると思いました。

 

きっと本を読んでもよくわからないと思うのですが、番組ではとても簡単に説明してくれていたことと、実は身近なことなのではとイメージすると自分なりにわかった気持ちがあります。

 

誤解を招くといけないので、そんなに詳しく説明できませんが、男性中心に男性がある種の絆で結びつき団結して、自分たちの権威を競い合う社会という感じです。

 

死にトリに寄せられる声や死にたいほどつらい社会の厳しさはホモソーシャルの文化がベースになっているのだろうと。

 

そして、自分のこれまでの活動の道を思い返すと、どうやってホモソーシャルから抜け出そうか、そこから別の価値観を創り上げたらいいのかと試行錯誤や苦悩を繰り返してきたような気がします。

 

番組の最後の方で、女性はそのホモソーシャルの舞台に出るとしても、片足は違うところにあるから、その社会に埋没せずにいるし、違和感も抱くことができるとありました。

 

ホモソーシャルと別の価値とは子育てや介護など生産性とは違う暮らしの営みであると説明があり、そこでピンときました。

 

やっぱり、自分が正気でいられるのは重度の障がいがある長女とともに生きているからだなぁと。

 

そして、活動の中でずっと権利を保障されなかった子どもや若者たちと仕事ではなく、暮らしの中でともに過ごしてきたからだと思います。

 

そうなると改めて、女性が果たす役割が大きいと実感します。

 

そんなことで、最後に過去のブログを引用して終わろうと思います。

 

私がブログを書こうと思うけど、なかなか書けないとこぼしていたら、身近な若者に「昔の書き直したら」と言われて、確かにリブログだと食べ物の話や趣味の話も多くて、お恥ずかしいこともあるので、今やっていることにひきつけたり、一部修正や引用、解説を加えて紹介しようと思います。

 

2009年から女性の活躍に関するものを見つけたので紹介します。

 

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今日は四日市で行われた「ワンデイシェフ全国フォーラム」に参加してきました。

 

新しいコミュニティを創ろうと各地で取り組んでいる人たちのつながりがそこにはこめられていました。

 

ゲストとして招かれた東大名誉教授の月尾先生が基調講演をしましたが、日本の置かれている国際的な現状を様々な数値で紹介してくれました。

 

急激に進む貧困、そして格差

 

女性の社会進出に関しては数値で見るとかなり惨憺たるもの

 

必ずしもその数字がすべてというわけでもなく、数値では表わせないものもたくさんあるのですが、やはり一定の尺度にはなります。

 

特に国会議員や閣僚、企業の取締役などの比率は国際的にかなり低いのでした。

 

それに引き換え、私たちの分野はどこに行っても女性ばかり。

 

こうしてコミュニティハウス普遍化事業で回る先々も、調査で回る先でも理念と行動力を持って輝いているのは往々にして女性。

 

そう考えてみると、この女性のたくましさが実際の社会にひのき舞台に上がったときにはひょっとして相当に世の中は別の世界になるのかもしれない??と思ったりして。

 

でも、そうした旧来の社会(=ここがつまり今日紹介しているホモソーシャル)の隙間や管理や支配の及ばないところだからこそNPOや市民活動の世界で女性がのびのびしたり、逆に頑張れたりするのかもしれません。

 

今までの世の中の当り前の中(=ここがつまり今日紹介しているホモソーシャル)では元気な女性たちが活躍するような気にはなれないだろうなぁと思うのですが、逆に言うとそうした女性たちの発想や行動が世の中の中枢に及ぶことは可能性があると言えるのでしょう。

 

それにしても、いったいぜんたいそんな逆転はどうやったら実現するのか?うまくイメージはできませんが、このままじわじわと地域や女性の元気や活力が台頭して、気づいたらそんなものたちが世の中を動かしていく日はそう遠くないような気もします。(うーん、12年ぐらいたったけど、変わらんぞ…てか、遠ざかっているかも)

 

というのか、そうなってもらわないと日本の社会は崩壊してしまうという危機感もあるのです。(危機感はずっとあり続けています)

 

その姿はひのき舞台で活躍するような形ではなく、目立たなくても有名にならなくても一人ひとりが主人公としていきいきと生きる姿として表現されるのかもしれません。(そうそう、その通り)

 

ワンデイシェフレストランシステムの理念も「誰もが自分色に輝く」

 

どんな人たちも輝けるような社会にしていきたいものです。

 

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まぁ、「輝く」って言っちゃっているあたりがホモソーシャルの影響を引きづってるんじゃないの?と自分に突っ込みを入れています。

 

別に輝かなくてもいいし。

 

輝きたい人は輝けばいいし、別に輝かなくてもいい。

 

どんな人たちも自分でいられて、それを認め合えたらそれでいいし、それが輝かしいことでもなければ、素晴らしいことでもない。

 

ことさら、仲良くする必要もないし、絆で結ばれていようが、いまいがどちらでもいいと思います。

 

排除したり、犠牲を強いるようなことはしない、特に社会的に力を持つ者が自分よりも弱い者に対して、自分の持っている力を当たり前に使えること(これは犠牲ではないし、優しさとも違うんだな)、誰でも自分が困ったときに誰かに助けてもらえること、そして、困っていることにはお互いに耳を傾けることができればそれでいいのではないかと思います。

 

大切なことはシンプルだと何年たっても思います。

 

12年前の自分に少し突っ込みながら、女性の活躍(活躍って言葉が違和感…別に活躍しなくてもいいし、でもホモソーシャルから脱するには女性の活躍というフレーズも必要か?いや、活躍という言葉はやっぱりよくない…ぐるぐる)について語り直してみました。

新しい年になってしまった

気づいたら、年が明けていました。

 

年が変わったからと言って、何か特別なこともなく、おめでとうという気持ちもないのに「あけましておめでとうございます」とあいさつするのは、思考停止になっているような気がして、機械的なあいさつをするのはやめました。

 

というのも、大みそかにとりコミュの投稿に「今年もよろしくお願いします」っていうことへの違和感について書いているものがあり、とても考えさせられたからです。

毎日しんどくて、何とか明日まで、今日の午前中まで、いや30分は頑張ろうという気持ちなのに、1年という長さをまとめてよろしくと考えられるのなんて信じられない!というような趣旨のもので、それを読んで心から「うわ~、その通りだ」と思ったし、そういってもらわないと全然わからずに「今年もよろしくお願いします」とか社交儀礼的に使ってしまっていたなぁと思って、考えもせず、おめでとうとか、今年もよろしくとか使うのが嫌になりました。

 

本当に思っていることを表現したいと再認識してしまったのです。

 

そういう意味では経験談もとりコミュもたくさんの人たちの本音が書いてあって、私としては考えさせられ、視野が広がり、何をすべきか問い返しながら読んでいます。

 

11月ぐらいからひたすら経験談を読み、感想を書き、12月にとりコミュの投稿を読み続ける中で自分の中に新たな世界(言い換えると真実の世界)が広がっていくことを感じています。

 

一緒に活動をしている若者が現実の社会のことを「茶番」と表現していたことを思い出します。

 

外面や体裁というのか、表向きの世界があまりにもありすぎて、実はそれにはうんざりしていて、どうしてこんなにも表面的なことにエネルギーを費やすことがあるのかな、それに意味や意義があるのかなと思うことがあるので、死にトリに寄せられる本音を目にして、そこに感想を書いたり、そのために何ができるか考えたり、実際にそのために何かをするときに、ひょっとしたら自分の存在が許されるのかもしれないと感じます。

 

年末には久しぶりに、ユーザーさんからの要望もあって、夜のフリーチャットをやりました。

 

よく来てくれた人たちがたくさん来てくれて、改めてみんなの居場所になっていることを実感しながらも、ほかにも同じように居場所を求めている人たちがたくさんいる中で、こうした機会を安全に継続的につくっていくことはどうしたらいいのか?と考えています。

 

本当は、このブログでもう少しこまめに死にトリをやっている私たちの思いや、死にトリだけではなく、そこに通じる幅広い情報も伝えていきたいと思っていますが、12月はなかなかそこに手が回せずにいました。

 

宣言してもできないかもしれませんが、もう少しちょっとずつでも書けたらと思っています。

 

年末年始は私の中ではもう一つ大きな取り組みがありました。

 

それは、複雑性PTSDの理論をまとめたアメリカの精神科医ハーマンが書いた「心的外傷と回復」という本の勉強会です。

 

死にトリを含めて、何かと一緒に活動をすることが多い、全国の仲間と一緒に夜中に勉強会をしています。

 

勉強会の開催にあたって思いをこんなふうに書きました。

 

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若者の応援をしていると、これでもかと遭遇する理不尽な暴力被害や抑圧経験 


もうそれしかないのでは?と思うほど、繰り返し出会う中で、その長期間にわたる影響もまた、関わりの中で直面化させられます。

 

そして、同時にそのことによって人間が学ぶこと、育つこと、連帯することの可能性と力も感じるのです。

 

そのことについて、きっと同じく感じてまとめてくれたのだろうと勝手に思っているのが、ハーマンの「心的外傷と回復」です。

 

何度学んでも、気付くことがあり、納得し、そして現実に戻る勇気と希望をくれるこの本を、同じようにこの問題に直面化する方たちともに学びたいと企画しました。

 

ゆっくりと学ぶことができるよう、ちょっと常識はずれな時間帯に設定していますが、ご容赦を…


2014年に初めて学んだ時、渦中の若者に自らの体験を教えてもらうことで学びがとても深くなりました。

 

今回も若者は世代交代をしていますが、前回同様に当事者の若者もともに学んでいきます。

 

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死にトリと連動して取り組んでいる「若者自立プロセス資源化モデル事業」で、人生に立ち止まったり、行き詰った人たちが新たな一歩を踏み出すために「くしろにおいでよ」という体験プログラムをやっているのですが、去年の夏ぐらいから、それで釧路にやってくる人たちが続いていました。

 

その中で、遠方からやってきた若者の一人がトラウマの渦の中にいて、やってきたのはいいが、落ち着いて暮らせないという状況になり、受け入れた私たちも何をどこまでどうやって応援したらよいか試行錯誤をしている中で、ハーマンの勉強会が実現したのです。

 

その若者が実はほかの地域(地元やその他全国規模の相談機関の関係でいろいろと)の仲間ともつながっていたので、全国の仲間たちと継続的に一緒に学んでいるところです。

 

ハーマンの理論と思想は以前から限られた人たちで学ぶのではもったいないと思っているので、どこかで何かの形で多くの人たちに還元したいと考えています。

 

また、上記のプロジェクトでは、今は社会にないけれど、本当はあった方がいい社会の仕組みについてもモデル事業に取り組みながら開発してきています。

 

今回、死にトリのこえサーチであったらいいと思う社会資源についても意見を集めています。

 

 

 

 

 

 

呼びかけにも書きましたが、「どうせ、そんなものないし、無理でしょ」とは考えずに、ないからこそ、現実の厳しさがわかっている当事者だからこそ「これが必要!」「ないことでこんなに困るんだ」という声を出してもらいたいと思っています。

 

私は多くの人たちが厳しい現実を知らなすぎることに大きな課題があると思っていますし、厳しい現実が別の形で注目されたり、歪んだり、脚色されたりして、伝えられることに何とも歯がゆい気持ちがあるので、多くの人からの声を集めて、しかるべきところに届けたいし、みんなでそれについて考えたいし、知らない人に知ってもらいたいと思っています。

 

また、今年度の利用状況アンケートも開始したので、こちらも今後の死にトリの継続と発展のために、ご協力をお願いします。

 

 

 

 

 

予想外のリアクション

先日、法人のサイトに「求職場」採用情報 - NPO法人 地域生活支援ネットワークサロン (n-salon.org)という世の中の求人という流れにささやかな抵抗を示すような情報を出したのですが、ぽつぽつと反応があり、連絡をくれた人たちとやり取りをしているとなかなか興味深い展開になっています。

 

実際に働き始めた人がいたり、遠路はるばる釧路にやってきた人もいます。

 

思わぬ出会いが続いていて、いろいろと考えさせられます。

 

最近、遠方からアクセスしてくれた方とZoomで話をしていて、ちょっと驚いたことがあったので、お知らせしようと思います。

 

実は、求職場にエントリーした時には真剣に死のうと思って、サイトをさまよっていたというのです。

 

そんな中で、死にトリ経由で求職場にたどり着き、そして、私が書いた文章を読んで共感をして、エントリーしてくれたそうなのです。

 

私は自殺を防ぐために記事を書いたわけでもなく、一緒に活動をする仲間とつながりたいと思って、呼びかけたことが、結果としてまさに死にたいと思っていた人の目に留まり、次につながったというわけです。

 

どこで何が効果として次につながるかというのは本当にわからないもので、不思議だなぁと思いました。

 

自殺防止の事業にいろいろ関わることになり、「死にたい気持ちを聴く」とか「心に寄り添う」ということもある意味大切なことだと思うのですが、それがゴールではないし、本来の目的になってはいけないと思います。

 

この生きづらい社会を認めて、社会を一緒に変えて行かないと気持ちに寄り添うだけではどうにもならないと思っているところがあります。

 

実行なく、気持ちに寄り添うことが逆に絶望を深めることにもなりかねません。

 

だからこそ、実際に暮らすところ、食べること、働くこと、学ぶこと、参加することなどができる機会を増やしていかなくてはならないと思っています。

 

そのため、若者自立プロセス資源化モデル事業若者自立プロセス資源化モデル事業(2020年~) - FFP (ffp946.com)

 

 

の実行に至り、総合的に生活をバックアップする仕組みを作り、試行しています。

 

その事業も休眠預金事業の助成を受けて、この3年間たくさんの若者たちを後押してきましたが、今年度で女性の最後の年を迎えます。

 

最終年を迎えるにあたり、事業評価の方法について検討を進めていますが、そこで改めて今の社会に必要な仕組みや資源について整理をしてきて、随分とわかったことがあります。

 

いろいろと検討していくと、極めてシンプルな結論にたどり着きつつあります。

 

それは、子どもの権利条約で掲げられている4つの権利「生きる権利」「守られる権利」「育つ権利」「参加する権利」です。

 

これらを保障するための取り組みがどれだけ広がるか、それだけが大切だと思います。

 

これらの権利保障が今は、とても個人的な努力や運に随分と任せられていて、運やめぐりあわせが悪いと生活は成り立たなくなり、逆に運やめぐりあわせがよいと生活が安定するというのが現実だと感じています。

 

ところが、自立したのは個人の努力や能力であり、自立できないのは個人の努力や能力の不足として、扱われている。

 

そもそも、自立の概念がとても狭いことは私としては気にくわないのですが、それにしても、世の中で起こっていることの道理や仕組みの理解がゆがめられているように私自身は感じています。

 

それはなぜなのだろうか、あれこれ考えています。

 

さて、宣伝忘れていましたが、アプリシニトリのTwitterがスタートしています。

 

シニトリアプリ公式Twitter(@42_10riapp)開設のお知らせ (shinitori.net)

 

我らがアプリのトリさんたち(スズメ、ハト、ペンギン、カカポ、オニオオハシ)がつぶやいています。

 

今後は、トリさんとの会話ベストマッチの募集やmyトリチェックのトリさん集まれ企画などを予定しています。

 

また、明日にお知らせでも公開されますが、休止していた掲示板「とりコミュ」が12月1日から再開することが決まりました。

 

使い方が一部変更となります。

 

気づいたら、もう12月になりますね!

 

時間が経つのが早すぎてくらくらします…