ホモソーシャルでわかったこと | 市民社会づくりの日々

ホモソーシャルでわかったこと

今年は、今までより少しこまめにブログを書こうと思って、2週間ぐらいがたってしまいました…

 

今年度で終わってしまう、若者支援の助成金事業を4月からはどうしようかと年末ぐらいから具体的に考えていて、関連する助成金を見つけて数日前が締め切りだったりして、いつもよりは余裕をもって書いたつもりなのですが、結局出すのは締め切り当日になり、相変わらず綱渡りのような日々です。

 

前回に年末年始で夜更けに行っているハーマンの「心的外傷と回復」の話をしたと思ったら、翌日の夜にNHKの番組「100分deフェミニズム」でタイムリーに紹介されていました。

 

スペシャル番組 100分deフェミニズム論:100分 de 名著 (nhk.or.jp)

 

タイムリー過ぎてちょっと、びっくり。

 

たまたま、夜遅くになんとなくチャンネル回していたら「あれ?なんか聞いたことある話をしている」と思ったら、まさにそれでした。

 

その番組では、4名の方たちがフェミニズムに関する本を1冊ずつ紹介しているのですが、ハーマンは3冊目だったので私は終わりの3分の1ほどしか見れませんでした。

 

見れなかったのですが、実は2冊目に紹介されていた「侍女の物語」もうんと若いころに本が好きな親友に勧めれて読んだことがあり、その頃には内容にあまりピンとこなかったので、読んでみたくなりました。

 

そして、4人目が上野千鶴子さんだったのですが、「男同士の絆」という本を紹介していて、その中で「ホモソーシャル」という考え方が登場していたのです。

 

それを見ていて、ちゃんと理解したわけではないのですが、ものすごくなるほど!と思うことがたくさんあり、今までもやもやしていたことや、自分の活動の中で起こったことがうまく説明できると思いました。

 

きっと本を読んでもよくわからないと思うのですが、番組ではとても簡単に説明してくれていたことと、実は身近なことなのではとイメージすると自分なりにわかった気持ちがあります。

 

誤解を招くといけないので、そんなに詳しく説明できませんが、男性中心に男性がある種の絆で結びつき団結して、自分たちの権威を競い合う社会という感じです。

 

死にトリに寄せられる声や死にたいほどつらい社会の厳しさはホモソーシャルの文化がベースになっているのだろうと。

 

そして、自分のこれまでの活動の道を思い返すと、どうやってホモソーシャルから抜け出そうか、そこから別の価値観を創り上げたらいいのかと試行錯誤や苦悩を繰り返してきたような気がします。

 

番組の最後の方で、女性はそのホモソーシャルの舞台に出るとしても、片足は違うところにあるから、その社会に埋没せずにいるし、違和感も抱くことができるとありました。

 

ホモソーシャルと別の価値とは子育てや介護など生産性とは違う暮らしの営みであると説明があり、そこでピンときました。

 

やっぱり、自分が正気でいられるのは重度の障がいがある長女とともに生きているからだなぁと。

 

そして、活動の中でずっと権利を保障されなかった子どもや若者たちと仕事ではなく、暮らしの中でともに過ごしてきたからだと思います。

 

そうなると改めて、女性が果たす役割が大きいと実感します。

 

そんなことで、最後に過去のブログを引用して終わろうと思います。

 

私がブログを書こうと思うけど、なかなか書けないとこぼしていたら、身近な若者に「昔の書き直したら」と言われて、確かにリブログだと食べ物の話や趣味の話も多くて、お恥ずかしいこともあるので、今やっていることにひきつけたり、一部修正や引用、解説を加えて紹介しようと思います。

 

2009年から女性の活躍に関するものを見つけたので紹介します。

 

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今日は四日市で行われた「ワンデイシェフ全国フォーラム」に参加してきました。

 

新しいコミュニティを創ろうと各地で取り組んでいる人たちのつながりがそこにはこめられていました。

 

ゲストとして招かれた東大名誉教授の月尾先生が基調講演をしましたが、日本の置かれている国際的な現状を様々な数値で紹介してくれました。

 

急激に進む貧困、そして格差

 

女性の社会進出に関しては数値で見るとかなり惨憺たるもの

 

必ずしもその数字がすべてというわけでもなく、数値では表わせないものもたくさんあるのですが、やはり一定の尺度にはなります。

 

特に国会議員や閣僚、企業の取締役などの比率は国際的にかなり低いのでした。

 

それに引き換え、私たちの分野はどこに行っても女性ばかり。

 

こうしてコミュニティハウス普遍化事業で回る先々も、調査で回る先でも理念と行動力を持って輝いているのは往々にして女性。

 

そう考えてみると、この女性のたくましさが実際の社会にひのき舞台に上がったときにはひょっとして相当に世の中は別の世界になるのかもしれない??と思ったりして。

 

でも、そうした旧来の社会(=ここがつまり今日紹介しているホモソーシャル)の隙間や管理や支配の及ばないところだからこそNPOや市民活動の世界で女性がのびのびしたり、逆に頑張れたりするのかもしれません。

 

今までの世の中の当り前の中(=ここがつまり今日紹介しているホモソーシャル)では元気な女性たちが活躍するような気にはなれないだろうなぁと思うのですが、逆に言うとそうした女性たちの発想や行動が世の中の中枢に及ぶことは可能性があると言えるのでしょう。

 

それにしても、いったいぜんたいそんな逆転はどうやったら実現するのか?うまくイメージはできませんが、このままじわじわと地域や女性の元気や活力が台頭して、気づいたらそんなものたちが世の中を動かしていく日はそう遠くないような気もします。(うーん、12年ぐらいたったけど、変わらんぞ…てか、遠ざかっているかも)

 

というのか、そうなってもらわないと日本の社会は崩壊してしまうという危機感もあるのです。(危機感はずっとあり続けています)

 

その姿はひのき舞台で活躍するような形ではなく、目立たなくても有名にならなくても一人ひとりが主人公としていきいきと生きる姿として表現されるのかもしれません。(そうそう、その通り)

 

ワンデイシェフレストランシステムの理念も「誰もが自分色に輝く」

 

どんな人たちも輝けるような社会にしていきたいものです。

 

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まぁ、「輝く」って言っちゃっているあたりがホモソーシャルの影響を引きづってるんじゃないの?と自分に突っ込みを入れています。

 

別に輝かなくてもいいし。

 

輝きたい人は輝けばいいし、別に輝かなくてもいい。

 

どんな人たちも自分でいられて、それを認め合えたらそれでいいし、それが輝かしいことでもなければ、素晴らしいことでもない。

 

ことさら、仲良くする必要もないし、絆で結ばれていようが、いまいがどちらでもいいと思います。

 

排除したり、犠牲を強いるようなことはしない、特に社会的に力を持つ者が自分よりも弱い者に対して、自分の持っている力を当たり前に使えること(これは犠牲ではないし、優しさとも違うんだな)、誰でも自分が困ったときに誰かに助けてもらえること、そして、困っていることにはお互いに耳を傾けることができればそれでいいのではないかと思います。

 

大切なことはシンプルだと何年たっても思います。

 

12年前の自分に少し突っ込みながら、女性の活躍(活躍って言葉が違和感…別に活躍しなくてもいいし、でもホモソーシャルから脱するには女性の活躍というフレーズも必要か?いや、活躍という言葉はやっぱりよくない…ぐるぐる)について語り直してみました。