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母の病状記録

母の病状を記録したブログです。少ない選択肢の中で今の選択で本当によかったのか?ここに来て思い悩む日々。記録することで心の整理をしたい...そんな思いで記述しています。

4度目の入院も早5週間が過ぎました。母の容態はある意味安定しています。


すでに胃と腸の軌道は閉塞し、口からは食物を摂取することができなくなっています。そのためビーフリード生食 と言われる栄養を点滴で補給し、鎮痛剤 で痛みを抑えている状態です。まさに生き永らえているという感じです。


ペットボトルの水は口から摂取できるものの、胃に溜まった水・唾・ガスなどは、鼻から胃袋へ通した管で外へ吐き出しています。つまり腸へは流れていかないので、口から入れた物を鼻から外へ出すしかありません。そうしないと口から吐いて大変苦しい思いを強いられます。鼻にさした管がいっそう苦しげに見えます。


悪液質 ということで栄養を徐々に減らしています。そのため脂肪が減り、骨と皮だけになっています。ドクターは当初1ヶ月はもたないとの判断でした。それがすでに5週間目となっています。ドクター曰く『奇跡』だそうです。


通常、悪液質 になると、栄養が正常な細胞へはいかず、癌細胞へいってしまうため、増殖が速まります。そのため、必要以上に栄養は与えないという処置がとられます。人がぎりぎり生きていけるだけのカロリーしか与えません。そのため多くの癌患者は痩せ細っていくのです。当然体力が落ちて、自力で立つことさえできなくなります。今の母がそうです。


しかも母の場合、癌細胞によって腸壁に開いた穴から細菌が入り、膿漏という膿が体内に溜まり、発熱を起こしていました。抗生物質で細菌をやっつける処置はするものの、多くの人は膿漏が体内に散らばり、やっつけきれずに腹膜炎を起こし、最後は他界するのがおおよその流れだそうです。しかし母の場合、奇跡的に危険な状態を乗り越え、最悪な体調でも安定した毎日を過ごしています。熱も正常に戻り、膿も体内から出なくなりました。


先日外出許可が出たので、介護タクシーを予約して母の思い出の公園へ行ってきたところです。久しぶりの外出と、思い出の公園に来れたことで、大変嬉しそうでした。もちろん終始車椅子での移動でしたが、紅葉した木の下では、介助しつつも自分の足で大地に降り立ち、久しぶりの土の感触を懐かしそうに踏みしめていました。まるで立ち始めの幼児のようです。人は赤ん坊として生まれて赤ん坊に帰ると言いますが、まさにそのとおりだと実感しました。


その日は木漏れ日が心地よい暖かな日でした。今ではすっかり冬に向かって急速に寒くなっています。体脂肪率1%(私の体感的に)の母にとっては辛い寒さとなります。


またチャンスがあれば、一緒に行きたい・・・

一日一日が大変貴重に感じられる今日この頃です。


母は今ぐっすり寝ています。


末期の膵臓癌だと宣告されてから8ヶ月が過ぎました。


日々痛みに耐え、熱にも耐え、ほんの少しの栄養と、沢山の薬で永らえていると言った感じです。つまりほぼ薬だけで生きています。


もうすでに抗癌剤の投与はしていません。そのため徐々に癌細胞が大きくなっています。しかも転移した癌が十二指腸付近の腸壁に穴を開けているようです。そこから細菌が体内へ侵入し膿が溜まっているようです。それが原因か?微熱が続いています。このままだと急性腹膜炎になりかねない状態です。


また、お腹が膨らんできています。腹水の量が増えているようです。原因は腸壁の炎症等が考えられます。そのため食欲が起こらずめっきり痩せ細ってきています。もっとも膵臓癌による十二指腸付近の軌道閉塞も原因だと思われます。


退院から6日目となりました。まともな食事など一度も摂っていません。離乳食のようなカボチャやポテトのスープを2日に一度しかも少量口にするだけです。あとはカロリー摂取用のテルミールと、今回からエンシュア・H(バニラ味)250mLを少量摂取する程度です。


このエンシュア・Hは高カロリー摂取用の飲料ということで病院から渡されたものですが、飲みすぎると下痢になるようです。母の場合酷い便秘なので、1日2本まで摂取していいことになっています。しかし今まで1本も飲み干すことができないでいます。


常に微熱が続いている状態で、食事もろくに摂らず、薬もまともに服薬できないでいます。そのためほぼ1日中寝たきりになっています。時折起き出しては歯磨きとトイレに行ったり、少し体が楽になると、椅子に座りヘルパーさんと話をしているようです。しかし、すぐに疲れてしまい、その後はベッドで寝ています。


お腹も痛むようで、時々ベッドの上で座って前かがみになり腹痛に耐えているようです。どうしても腹痛が止まらない時は、オキノーム散0.5% 5mg/包を服薬します。しかし30分経過しても効かない場合は、もう1包服薬します。たまに3包立て続けに服薬することもあります。かなり痛むのでしょう。


最近往診の看護士さんからオキノームを服薬する時は電話で指示を仰ぐようにと言われています。これも麻薬の一種ですから、劇薬なのでしょう。服薬しすぎると急に呼吸困難に陥ったり、致命的な状態になりかねないようです。そのため、この薬を服薬するには十分注意が必要だそうです。


現在母の病状はもっとも危険なレベルです。そのため帰宅した現在、24時間の完全介護を行っています。家族が夜間の介護を担当し、昼間はヘルパーさんと往診の看護士さんで診ていただいています。すでに往診ドクターが入っていただくレベルではないと告げられました。すでにいつあちらの世界へ帰ってもおかしくない状態です。


母の切実な願いで帰宅することを決断しました。家族内でも彼女の意思を尊重することで一致しています。精神的にも肉体的にも、どこまで続けることができるか分からない無謀な挑戦だと承知してます。


けど、人として生まれてきて、やはり最後は家に戻りたいと思いますよね。


住み慣れた我が家に・・・

今朝、病院から連絡がありました。


携帯を放置していたので、留守録に担当医から伝言が入ってました。


母の容態に変化が・・・


昨日から微熱と貧血、そして便秘。


担当医の説明では、感染症に対しての抗生物質の点滴と貧血を補うための輸血をするのだそうです。特に輸血は家族の承諾が必要です。そのための連絡だったんでしょう。


早速病院へ...


母の容態は徐々に衰えていっているように見えます。息子も自分の祖母の病状を心配したのか、私に一緒について来ました。息子を見て母は微かに涙ぐんでいました。


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さて、私は以前からあることで疑念があります。それは、抗癌剤がほんとに癌に効くのか?ということです。


抗癌剤を投与すれば、必ず体の変調を訴えます。それは何ともいえない気だるさ、足腰の急激な衰え、貧血、嘔吐、免疫力低下、食欲不振、便秘など、これらはみんな抗癌剤による副作用です。


癌が発症した部位により抗癌剤の種類は異なります。中には髪の毛が抜け落ちたりする抗癌剤もあります。


母は膵臓癌です。すでに限界サイズの5cmに達しておりました。逆に5cmに達したから癌に気付いたとも言えます。癌は静かに進行します。気が付いたときはすでに遅しです。


膵臓は血管が多く手術が困難な部位です。摘出することが大変難しく、大きさにもよりますが、ほぼ切除せずに抗癌剤で治療することになります。


そしてこの癌に効くと言われているのが『ジェムザール 』という名の抗癌剤です。


母はこの抗癌剤を投与すると、食欲が無くなったり、食べる意欲でさえ失われました。そのためこの抗癌剤を使用する時は、食欲促進剤を併用します。それにより、失われた食欲を取り戻そうとします。しかし母にはすぐ効きませんでした。


体に抗癌剤という劇物を入れている訳ですから、体もビックリしているようですし、慣れるまで相当時間が掛かりました。


同時に貧血も甚だしく、体がだるくなり、何もやる気が起こらなくなりました。そのため母は何度も輸血をしました。輸血を始めた頃は、体も他人の血液にビックリしたのか?何度も感染症による発熱を発しました。そのために抗生物質を投与したりしました。


癌だからと言って抗癌剤を投与し、貧血になったからと言って輸血をし、輸血の感染で発熱したからと言って抗生物質を投与し、抗癌剤は何も良いことがありません。しかも延命だけで完治しないのですから、何のための抗癌剤か理解に苦しみます。


抗癌剤の投与を始めてから5週間ほど経った時に、貧血による赤血球の数値が悪く、一時抗癌剤の投与を止めたことがありました。その時の母はすぐに元気になりました。癌を宣告される前のように元気になりました。あたかも回復したかのようでした。


しっかりとした足取りで歩き、前から行きたかった那智の滝まで歩いて行き、食べたり笑ったり、今から思えばこの時が一番元気だったと思います。3ヶ月前のことです。


その後抗癌剤による治療の再開です・・・


また以前のように苦痛に耐える日々となりました。何もする気が起こりません。毎日テレビの前に座っているだけです。足腰が気だるく、長距離を歩くことができなくなりました。好きだった車の運転も控えるようになりました。食欲不振になり、食事もまともに取ることが出来ませんでした。抗癌剤の投与前と全く状況が違います。


抗癌剤って一体何? また元気がなくなっちゃうの・・・


この頃から私の中に一つの疑念がわいてきました。