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母の病状記録

母の病状を記録したブログです。少ない選択肢の中で今の選択で本当によかったのか?ここに来て思い悩む日々。記録することで心の整理をしたい...そんな思いで記述しています。

チアノーゼとは、皮膚や粘膜が青紫色になる状態のことを言います。特に手足の爪床や口唇周囲に表れやすいようです。


血中酸素濃度が低下した際に発生するようですが、もともと貧血の人には表れにくいみたいです。



---[ 医療系HPより引用 ]-------------------------------------


チアノーゼ (ドイツ語: Zyanose、英語: cyanosis) とは、皮膚や粘膜が青紫色である状態をいう。一般に、血液中の酸素濃度が低下した際に、爪床や口唇周囲に表れやすい。医学的には毛細血管血液中の還元ヘモグロビン(デオキシヘモグロビン)が5g/dL以上で出現する状態を指す。貧血患者には発生しにくい(ヘモグロビンの絶対量が少ないために還元ヘモグロビンの量が5g/dL以上になり難いため)。


主な原因としては、●呼吸器または循環器の疾患 ●静脈血の動脈血への流入 ●異常なヘモグロビンが挙げられる。そして血管中の還元ヘモグロビン(運んでいた酸素を放出したヘモグロビン)の数が起因している。


本来還元ヘモグロビンは静脈を通って肺に運ばれ、そこで酸素と結びついて酸化ヘモグロビンとなり、動脈を通り全身に運ばれる。しかし呼吸器疾患により還元ヘモグロビンが酸素と結びつかなかったり、循環器疾患により全身、あるいは一部器管の還元ヘモグロビンの数が異常に多くなった時、その色がチアノーゼとして現れる。


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エンドステージで行われる意識レベルを低下させる処置(おそらくセデーション 『鎮静』)を始めてから5日目となりました。


今までの症例では1日2日が限界だと言われていたのが、母の場合すでに5日も過ぎてしまいました。ある意味、母は奇跡を起こしています。主治医や看護士さんも少し驚いている様子です。


私たち家族も二度招集がかかり、すでに病院で4泊しています。体力もそうですが、精神的にも限界に近づいてきています。


現在の母の状態は、セデーション のための皮下注射と鎮痛剤(おそらくステロイド)を2台のNIPRO SP-10で微量ずつ継続的に投与しています。


セデーション の薬品はおそらくミダゾラムだと思います。これは特にアメリカで、胃カメラを飲む際に嫌がる人が多いことから、意識レベルを低下させて眠ったようにするために使われる薬品と同じです。


母は投与開始から今日まで、深く眠ったかのように寝続けています。血中酸素濃度も当初は95%あったものが、2日前で85%に低下し、今では手首の脈が計測できなくなったため、血中酸素濃度も測定不可能になってしまいました。


血中酸素濃度は健常者で99%から96%だと言われています。90%以下だと大変危険な状態となり、70%以下になると生命を維持するのも難しくなります。


その測定器がパルスオキシメーターというタマごっちぐらいの大きさの装置です。その装置を指先に取り付けて測ります。しかし手首の脈が測定できない母の場合、血中酸素濃度も測ることができないようです。


すでに手首の脈も感じることができない状態ですが、足の脈も感じなくなりました。腕で脈を取るのがやっとです。心臓が弱ってきていることは確かです。


2日前から呼吸も大きなため息をつくように、肩と胸全体でしんどそうにしていました。しかも呼吸の間隔が30秒前後ぐらい開く状態でした。しかし昨日夜から穏やかな呼吸に変化しました。浅いですが普通に3秒前後の間隔で呼吸をしています。


それが良い方向なのか悪い方向なのか判断つきませんが、悪い状況には変わりません。人によってはそのまますっと逝かれる方もいるようです。


皮膚や粘膜が青紫色になるチアノーゼもそんなに強く出ていません。ただ、4日前とくらべて手足の先が、なんとなく冷たく感じられるようになってきました。特に足先の毛細血管が徐々に後退しているように見えます。体全体の温度が下がってきたように感じます。


セデーション を始める前後から、便はもちろん尿が全く出なくなりました。腎機能が低下もしくは失ったようです。まるで体の各機能のスイッチが順番に切られていっているようです。


母の顔は穏やかです。皮と骨だけになり、げっそり痩せたとは言え、一時の下痢と嘔吐そして悪液質による苦痛に比べると、落ち着いた顔になりました。この9ヶ月間の死闘による疲れを、今癒しているかのようです。


このまま安らかに逝ってくれることを、切に願っております。

母は今、死への秒読みが始まっています。今日なのか?明日なのか?母の最期がいつなのか誰にも判りません。ただ、その時が近づいていることだけは確かです。


思い返せば半年前、梅雨入りの初め頃に行った旅行が、母の最後の元気な姿でした。その頃、抗癌剤による体調不良が甚だしく、貧血とだるさがともない、一時抗癌剤を止めていた時に行った旅行でした。


その時の母は、抗癌剤を投与する前のように、元気ではつらつとしていたように思います。その後抗癌剤の治療が開始され、再び貧血とだるさとの闘いでした。


抗癌剤を投与すると普通の生活ができなくなり、止めると元気さを取り戻す、そんな繰り返しの日々でした。人によって反応が違うと思いますが、母の場合ただ苦しいだけの化学療法でした。


では、一体何のために抗癌剤を投与するのでしょうか?直径5cmにも達し、治りっこない膵臓の癌。投与したからといって癌がなくなるわけではないのに。


医師の説明では、癌細胞の増殖を抑えるというものでした。それって結局延命治療なんだと思います。治りっこない癌だけど、せめて1日でも1週間でも長く生きてもらう治療なんでしょう。


けど、それによって普通の生活が犠牲になる。だったら抗癌剤は投与せず、ぎりぎりまでやりたいことをして、後は緩和ケアをするほうがいいのではと思ってしまいます。しかし、その代償として命が短くなる、とは思いますが。


最近母の手帳に「延命治療はしないで。」と書いてあるのを見つけました。それは抗癌剤を投与し始める直前でした。けど、母は少しでも明るい未来があるのでは?と信じて、望んだ治療でした。それが結果として延命だけの治療であるとも知らずに・・・


しかし私たちの生活において、体が不調になると真っ先に行くところが病院です。そこで癌だとわかったとして、医師に治療をしますか?と聞かれると、断る理由などありません。何か治るすべがあるのかと思い、治療することになります。


しかしその時医師に、「癌の治療はせず、やりたいことをやってから緩和ケアをお願いします。」なんて言えません。当たり前のように治療してもらい、治るとも判らない抗癌剤を投与します。


つまりどう転んでも、癌の知識がない普通の人は、医師の言葉に従うわざるおえないのです。普通に生活していて、癌のことを知る由もありません。誰か身内に癌患者がいない限り知ろうとも思いません。そういう人がいて、初めて癌って一体何?どうなるの?ということから知り始めるのでしょう。


私も結果的にそうでした。だから医師だけの言葉を信じて、ここまでついてきました。もう少し早くそのことを知っていれば、違った結果になったのでは?と思うこともあります。


そこで私が今思う、もし癌の知識があったならば、母にとってベストなプロセスとは一体なんだろう?ということで、下にシミュレートしてみました。


---[ ベストなプロセス ]-------------------------------------

【母の状態】

母は、発見した時にはすでに5cm大の膵臓癌を患っておりました。膵臓という部位は、血管が多く存在するため、普通でも手術を行うことが困難な部位です。ましてや癌細胞が増殖しているとなるとなおさらです。

5cm大となると余命も3ヶ月から6ヶ月だと宣告されます。死亡率も6ヶ月で50%、1年で90%の人が亡くなられます。

しかし母はすでに高齢の域に達しています。癌の増殖するスピードも遅い年齢です。


【プロセス】

であれば、抗癌剤の投与はせず、治療もしません。
(※当然これは本人にとっても家族にとっても、大変勇気のいることです。)

徹底して食生活を改善します。
(※癌になる一つの原因に食生活があります。癌が食事を改善することで治るということを言われている方もいます。それも一理あると思います。)

徹底して生活態度も改めます。
(※ストレスも癌になる一因となっています。)

そして、3ヶ月~5ヶ月を目処に、この短期間でできるやりたいことをすべてやります。旅行へ行ったり、近場で行きたいところへ行くなど、趣味でもいいのでやりたいことを集中してやってしまいます。癌細胞があると免疫力が低下します。外出にはマスクの着用は必須です。
(※癌細胞が増殖しづらい年齢とはいえ、いつ体調を崩すか判りません。癌患者の多くは、免疫低下による細菌感染の疾患で多く亡くなられています。)

体力が低下し始めたら、家の中でできることを中心にやります。それと同時に緩和ケアのことも考えます。
(※ホスピスや緩和ケアを実施している施設は、入るのに時間が掛かったりします。早めに予約をしたほうがいいと思います。2ヶ月待ちも当たり前だそうです。)

※実際にはホスピスへ入るのも、一旦外来での診察が必要となります。すぐに入れないのも事実です。

痛み始めたらそろそろです。ホスピスへの入院や緩和ケアをしていただける病院へ入院する時期です。遺言や亡くなった後のことを記述する最後の時期でもあります。

入院後は、緩和ケアに専念します。鎮痛剤はモルヒネとは限りません。副作用が比較的少ない貼付タイプや点滴タイプの鎮痛剤もあります。しかしいずれも麻薬なので、幻覚症状や痴呆になったり、なかなか正気を保つのが難しくなってきます。そのため考えたり書き物を残したりするのは、この治療の直前までに済ませたほうがいいと考えます。

その後はおとなしく病院で過ごします。麻薬を投与するには看護士さんの手助けが必要となります。そのため在宅で過ごすことができなくなります。

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これはあくまでも母のように完治しない部位の末期癌の場合です。


初期癌で、完治する見込みのある人は、手術をし抗癌剤で徹底的に癌細胞をやっつける従来型の治療をするべきだと思います。


中期癌で、完治するのが五分五分の場合、手術をするのか?抗癌剤を投与するのか考えようです。


昔イッツミーで有名な逸見政孝さんも、完治するべく手術と抗癌剤の治療に望んだわけですが、結果帰らぬ人となりました。だったら手術せず、好きなことをさせればよかったのにと悔やまれる声が多かったのも事実です。


色々なケースがあると思いますが、一度癌になると治りません。癌から生還された人もいますが、ごく少数か初期癌だと思います。逆に、いかに癌と付き合うかということを、考えた方がいいと思います。


癌とうまく付き合って、より長く体調を保つことを考えて、好きなことを大いにやって、最期を迎える。それが癌になった時の理想の生き方だと思います。


玄米菜食や野菜果物を中心とした食生活など食事療法をすすめられる方、抗癌剤は投与すべきでないとおっしゃる方、食事療法をして抗癌剤もある程度投与した方が良いとする外科医の方、いろんな諸説があります。どれも完治というより、癌と長く付き合う方法論だと思います。


抗癌剤が全面的に悪いとは言っていません。抗癌剤を投与しても体調を崩しにくくする方法もあります。つまり抗癌剤で延命して、すこぶる快調に生きていく方法です。いかに長く楽しく生活するのかが一つの鍵となります。それには癌とうまく付き合うことだと思います。


母の場合、入院期間が楽しく過ごす期間よりも長くなってしまいました。それに在宅中でも貧血とだるさで苦しんでいました。少しかわいそうなことをしたと悔やまれます。