今日、図書館で借りていた
夏凪空さんの『言葉は君を傷つけない』を読み切りました
「人のいちばん言われたくない言葉」が分かる引っ込み思案な弟と、「人のいちばん言われたい言葉」が分かる明るく社交的な兄。
正反対な性質と特異な能力を持つ兄弟は、ひょんなことから身近な人々にまつわる事件に巻き込まれ、関わる人々の心のわだかまりを解きほぐしていく。
時に人を救い、時に人を傷つける、言葉の持つ力を描く、全く新しい特殊能力兄弟バディストーリー!
*********************************************** Amazon書籍紹介より *****
昨日は『舟を編む~私、辞書つくります~』の最終回を観て
でもほとんどの場合
言葉は言葉単体で使われるのではなく
文章を構成する要素として使われます
そしてその文章も
言葉と同じ様に、同じ文字の連なりでできていても
そこに込められた想いと言うのは
必ずしも一つではないのです
もっと言うと
その言葉、文章を吐き出した本人自身が
その時その人の言いたいことを正しく表現できているのか?
と言うこともあります
実際問題として
わたしはSEとして50年近く現場でお客様の要望をお聞きしてきましたが
その時に心に留めていた想いが
”お客様の言うシステムを造るのではなく、やりたいシステムを造る”ということです
これは長い間の経験則として
お客様は必ずしも自分の想いを正しく言葉に出来ない
と言うことが分かっているから(^O^;)
そして吐き出された言葉(文章)は
今の想いをストレートに正しく表現されているのか?というと
人は場合によっては別の、時として真逆の表現をすることもあります
それは”嫌いキライ、も好きの内”と言われることにも表れます
そこまで直截ではなくとも
わたし達が発する言葉(文章)はいつも自分の思いをそのまま伝えるとは限らず
その言葉の裏に、その行間に
本当に伝えたい意図を込めることが多々あります
そんな人の言葉への取り組み、言葉への想いを取り扱ったのが
この『言葉は君を傷つけない』のお話しでした
お話は、上でAmazonの書籍紹介で挙げたように
幼いころの家族の環境から
兄は、その時に”人のいちばん言われたい言葉”を
弟は、その時に”人のいちばん言われたくない言葉”が
相手と3秒間目が合うと、分かってしまう能力を身に着けてします
兄はその能力を積極的に使うことで
人に好かれて”良い先生”になっていくのです
でも、言われた当初はそれで救われて、その言葉を言ってくれた兄に感謝もするのですが
それがいつしか、その言葉を言われたい、言われ続けたいと
その言葉に囚われて、執着し、いつしか心が壊れていきます
”言われたい言葉の麻薬性”に気が付いた時
兄は自分のこれまでの行動が分からなくなり
自分の言葉が怖くなります
それに対して”言われたくない言葉”が分かってしまう弟は
言葉が怖くなり、他人との付き合い方が分からなくなります
そして常に”自分が悪い”という想いに囚われていきます
はじめ弟は、言葉を言葉尻のまま捉えていました
ある時同僚の智佐からは
”言われたくない言葉”が分からないことに気が付きます
それは義孝(弟)が、いつも自分の言葉で人を傷つけていないかを
必死に悩み考えていることを智佐が知っていて
義孝の言葉では決して傷つことはないと思っているので
義孝から言われる言葉で嫌な言葉はない、ということでした
そのことを知って
言葉は、単にその発せられた言葉の意味を時宜通りに捉えるのではなく
その言葉が発せられた背景がどういうモノだったのか?
そしてその言葉に込められた意図は何だったのかをも含めて
汲み取ることの大切さを知り
必ずしも自分の”言われたくない言葉”が分かる能力も
使い道の、使い方が、あることに気が付きます
ただこの言葉の操り方には個人の特性が大きく影響し
人によっては言葉を字義通りにしか捉えられない人が居ます
多くは言葉を使う時には相手が居ます
そこで発せられる言葉/文章を相手に届けようとした時
相手の特性を理解したうえで文言を組み立てないと届かないことがあります
わたしは
上の子と話す時には(共通のバックグラウンドをベースに)
かなり端折った行間を読み合う話し合いが主で
上の子もわたしと話すのが一番楽だと(以前は)よく言ってくれていました(^O^;)
でも下の子との時には
多少くどいくらいでも出来るだけ正確に言葉通りの字義での言葉を使って
文章を組み立ててお話しをします
そこには”察する”という要素を出来るだけ排して文章を組み立てます
そのための土台としても
たくさんの言葉を正しく知っていきたいですね(^O^)