二度登りました(^O^)/ | わたしの夢はどこに・・・

わたしの夢はどこに・・・

私ってなに?本当にGIDなんだろうか?まだまだ彷徨っています。
その中で多くの方のブログを見させていただいて、いろいろなことを教えていただきました。
このブログは自らの心の整理と、一つの事例として他の方の参考になったらお返しになるかな
と思って開きました。

富士山登ったことある?

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わたしの最初の富士登山は
  最初の会社の三年目、静岡営業所に転勤してきた年
  営業所有志が、当時の沼津と浜松の事務所にも声をかけて
  総勢10人くらいでの登山になりました
金曜の夜、お仕事が終わってからの登山で
  20時くらいから富士宮五合目を登り始め
  登るにつれ、歩けばけったるいし、止まれば寒い
  ”どうにかしてくれ!”と思いながらも
  なんとか6時間で登り切りました
  でもとっても寒い、身体が震えています
  着ているもの全て着替えてもまだ寒い(>_<)
それでも建物の陰に隠れて少しでも風を避けて
  日の出を待ちます
雲間からの日の出でしたが
  それなりに感激してからの下山
  下りは軽快に砂走を飛ばして二時間(^O^)
  五合目に戻ってきた時には震えは止まっていました
  高山病に多少かかっていたのでしょう
 
今で言う完全に「弾丸登山」でした(^O^;)
  それでも、取り敢えずは一緒に行った誰も体調崩すこともなく
  下山だって、あれだけ飛ばしたのに膝に来ることもありませんでした
その上さらに
  五合目で皆と別れて
  一人午後一番にアポのあった清水のお客様の処に向かいました
  まだ20代前半
  若かったんですねぇ~(^O^)/
 
そして二度目の富士登山は
  結婚して数年後、まだ子供のいない頃でした
  彼女(元奥さん)の希望で、大月の山小屋の会に二人で参加する前に
  山中湖のペンションに前泊して
  スバルライン五合目から登る吉田ルートを計画しました
日帰り登山のつもりだったので・・・・初心者が端から無謀ですね(^O^;)
  本当ならお日様と共に上り出すくらいでないといけないのですが
  ペンションの朝食の時間もあって
  結局は通常の観光時間での出立
  それからマイカーで五合目まで・・・当時はマイカー規制がありませんでした
それから登り出したのですが
  彼女がへばって、その後のお時間も考えて七合目を超えたあたりで断念
  引き返して山小屋に向かいました(^O^;)
 
そして翌年、三度目はリベンジトライです
  昨年は、二人だけで個人的に登ったので失敗したのだと
  リベンジは「富士登山ツアー」を使うことにしました
  (当時は未だ勤めていた彼女の)同僚お二人と4人で申し込みました
ツアーは(当時住んでいた名古屋を)朝に出発して
  夕方にスバルライン五合目から登り出します
  ツアーですから登山ガイドが付きます
  参加者はお父さんと一緒の10歳の男の子から
  それなりにお年の行ったご夫婦まで、年齢も性別もいろいろな方がいらっしゃいました
そして同行した彼女の同僚の一人が山屋さんだったこともあり
  わたしも登頂経験者だったので
  なんとなく私たちが最後尾について、遅れだす人が居れば・・・参加者は40名くらい
  先頭を歩いているガイドさんに伝えるようにしていました
途中これ以上は無理とガイドさんが判断した
  高齢(と思われる)ご夫婦を途中の山小屋に送り込んだりしながら
  少し予定より遅くなりましたが八合目の山小屋に!
  ここで遅い夕食?のカレーライスをいただいて
  22時から2時ころまで四時間くらいの就寝です
でも当時の繁忙期の山小屋での就寝とは
  畳一枚なんてとってもで、仰向けで寝ることも出来ず
  横向きになって、頭と足を交互にして横たわる、なんていう寝方でした(^O^;)
  途中でおトイレに行ったりして、戻ったら自分の根場所がない!なんてことも・・・
  要は、眠れなくても身体を横たえて休むだけでも、という状態でした
そんな山小屋泊でしたが
  2時ころに起こされて、山頂を目指します
  充分に疲れが取れるわけでもなく、少し急な階段を見てとうとう彼女がギブアップ!
  でもその時、上から山屋さんの彼女の声が!
  「この階段を上がったら頂上だよ~」と
  その声を聞いて、彼女はがぜん元気に(^O^)
  とうとう彼女も念願だった富士山登頂を達成しました
  昨年のリベンジ成功です(^O^)/
  わたしは富士宮口に続いて、吉田口からでの二度目の登頂です
 
そして四度目は、結婚ニ十周年を記念して
  子供たちも含めて四人で登ろうとしたのです
  そのためにその前年に予行演習として
  そして翌年富士登山のための山小屋予約をしなければいけないような期間になって
  その前後からのモヤモヤが高まり
  もうここに居てはいけない!という思いに囚われ
  結局は富士登山を断念しました
    ==>その翌年に、「勝手にRLE」と家を出たのです・・・
 
マラソンで言うと
  一度目は、完走
  二度目は、DNF・・・Did Not Finish スタートしたけど、ゴール出来なかった
  三度目は、完走
  四度目は、DNS・・・Did Not Start スタート出来なった、しなかった
  もう五度目はないかな・・・
 
今日は223(ふ・じ・さん)で、富士山の日
  県下のいろいろな施設が無料開放されています
  また以前から静岡県や山梨県の一部公立学校では、この日はお休みでした
  でも2020年からは全国の学校でもお休みになりました
わたしも富士山は大好きです
  新幹線や東名で富士山の麓を走っても必ずしも見えないので
  全身がすっきりときれいに見えると
  とっても嬉しくなります
そんな富士山を単に静岡&山梨県民だけでなく
  全国民が富士山に親しみ、富士山を愛でようと
  2020年からは全国的にお休みになりました(^O^)/
  なぁんて言っていると、不敬罪で捕まっちゃいそうですね・・・
 
そして、”富士山とわたし”ということでは
  上で挙げた静岡への転勤に際して
  (今の様にインターネットなんてなかった頃)FMエアチェックが盛んでした
  でも当時の静岡というか地方にはFM局なんてありませんでした
FM波と言うのは、波長が短くて直進性が強くサービスエリアが狭いのです
  それでも静岡市でも場所によっては受信できたのです
  どうして??
  それは富士山に反射してくる東京の電波を拾うのですが
  当然それは弱い電波なので大型の多素子八木アンテナを使うのです
わたしはラーメン屋さんの二階の部屋を借りていたので
  改めてアンテナポールを建てるわけにもいかないのです
  それで部屋の天井に五素子の八木アンテナをぶら下げて聴取していました(^O^)
  今振り返っても懐かしい思い出です
 
日本人たる者
  二度はいいけど
    一度は登ってもいいですよね(^O^;)
  子供たちにも連れて行きたかったけれど
  残念ながらできませんでした(^O^;)
そしてもう一つ
  こども達が10歳過ぎた時に、やはり一度はスキューバダイビングを
  体験させてあげたかったですね!
  両親はダイブマスター持っているのですから(^O^)
ちなみに
  彼女が富士登頂出来た年には
  富士の見える伊豆は大瀬崎でダイビングして
  海面下40mから標高3750m(剣が峰までは行っていないので)まで
  わたし達自身で動いた最大高度差を得た時でした(^O^)/
 
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