”半年ぶりに、124回目の献血してきました” | わたしの夢はどこに・・・

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私ってなに?本当にGIDなんだろうか?まだまだ彷徨っています。
その中で多くの方のブログを見させていただいて、いろいろなことを教えていただきました。
このブログは自らの心の整理と、一つの事例として他の方の参考になったらお返しになるかな
と思って開きました。

 

5年まえの今日、SRS後の初めての献血をしてきました

  リブログ元の記事でも書いていますが

  当時は高校生なので、”ちょうど誕生日に!”と言うわけにはいきませんでしたが

  献血開始年齢の16歳の誕生日の直後の土曜日に

  当時住んでいた横須賀の血液センターに行って、献血を開始しました

当時はまだ売血の制度も残っていて”黄色い血問題”などもあり

  高校の文化祭では、わたしの属していた図書委員会とJRCの合同展示で

  献血の問題提起などしていました

 

当時は売血との対応もあってか、現金給付が出来ない分返礼品もいろいろとありましたが

  それ以上に預血の概念があったのが、今との大きな違いかもしれません

それは当時輸血が必要になった時

  そこで必要となる本数を用意しなければ、血液が供給されないのです

  それで当時大きな手術をする時には、会社の同僚や同級生、親戚縁者を集めて

  必要となる本数を提供するのです

  こんなことが新聞記事にもよく載っていました

 

        ちなみに余分なお話ですが

          当時はまだ米穀通帳もあって、お米もお米屋さんで

          その米穀通帳を使ってでしか(公には)買えませんでした

        そして、わたしが中学の修学旅行で日光に行った時には

          そこでの食事に使う分のお米を持参したりしていました(^O^;)

        「預血制度」は、そんな時代の名残ですね!

 

それが献血手帳があると、その献血済本数は輸血の必要本数に充当してくれるのです

  そのため、当時のわたしは先ずは心臓手術に必要な30本を目指していました

  そのうち日赤の血液供給体制が整備されるにつれて

  血液確保条件もなくなり、それに合わせて預血の考え方もなくなりました

 

その後も年に1~2回の時もありながらも

  200mlから400mlそして成分へと、献血の仕方の変化もリアルタイムで経験し

  途中献血年齢の上限延長もあって

  目標の150回はクリアしたのですが

  自分のドジで、「最高年齢献血者」の肩書は獲得できませんでした(^O^;)

 

そんなんで、もう私自身は献血は出来ないのですが

  これから年末年始に向かって、ただでさえ血液不足になるのに

  今年はコロナでさらに供給不足になりそうなので

  出来る方にはぜひ献血をしていただきたいなぁ、と思います

  自分が(自身のためでなくても)血液が欲しくなった時に

  いつでも、好きなだけ、確保できるように・・・

 

実際は多くのMTFの方は、デポ注サイクルが隔週でしょうから難しいのですが

  デポ注していても、それが卵胞系だけで30日間空ければ

  献血は出来ます(日赤血液事業品部の回答)

  年に一回でも、血液が少なくなるような時期に合わせて、献血も考えていただけるとうれしいな