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「親が○○ してくれなかったから愛されなかった」
「親に○○されたから愛されなかった」
 
はどちらも違います。
 
「愛する」と「する・しない」は別のことです。
 
 
例えば、子どもが「医者になりたい」と言ったとします。
 
でも親は、金銭的に余裕がなくて国立大学でも厳しいので、子どもに進路を考え直すように伝えます。
 
 
単純にこの事実だけなら、親が子どもを愛してないことにはなりませんよね。
 
 
ある程度の年齢の子どもなら、理解することができます。
 
でも、そこに至る前に「親から愛されてない」と子どもが感じていると
 
「愛してるなら自分のためにやってくれるはず」
「お金がないなんて言い訳で、本当は自分のことなんて大事じゃないんだ。どうでもいいんだ」
 
と、不満を抱くことがあります。
 
 
逆に子どもが「親に充分愛されている」と実感していれば、お金が理由で進学できないと言われても素直に受け止めることができます。
 
 
「愛」と「する・しない」を混同したまま大人になると、「愛してるなら、するはず・しないはず」を、パートナーや友人などにも当てはめます。
 
「私のことが大事なら約束を守るはず」
「愛してるなら、私にこんなことはしないはず」
 
 
それは、自分がもし相手だったら「こうする・しない。だから愛してない」ということなのですが、相手は自分ではありません。 
 
自分とは、考え方も基準も違います。
 
ある程度、相手の身になって気持を推し量ることは必要ですが、しない・したと愛を結びつける行為は、相手と自分を混同しています。
 
 
相手がどうするかは相手が決めることで、相手の責任です。
 
自分の考えや気持ちを過剰に相手に押し付けると、関係が悪化したり、嫌がられたりすることも…。
 
 
問題なのは、相手が「してくれない(してくる)」ことではなく、相手と自分の距離感が間違っていることです。
 
 
解決していくと、相手のことは相手に任せることができるようになるし、自分が自分のために時間を使うことができるようになっていきます。
 
 
相手とうまく距離をとれるようになり、適切な距離感で心地よい関係を作ることができます。
 
 
 

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