センテンスサワー -29ページ目

センテンスサワー

気の向くままに書き綴るのでよろしくお願いします。
感想もお待ちしております!!

十年以上前から、お笑いブームがしばらく続いていたが、ここ数年の傾向を見るとようやく落ち着いてきているように思う。

そもそもお笑いブームとはいったい何だったのか?

エンタの神様や爆笑レッドカーペットがお笑いブームの火付け役になったように思うが、代替可能な芸人を大量に消費していく時代だったと思う。

爆笑レッドカーペットでは、ショートスタイルの笑いを披露し、即座に点数を付けられる。

視聴者にとっては、飽きさせない見事な企画だと言えるが、芸人にとっては酷な企画ではないだろうか。

エンタの神様の特徴は、作りこんだ笑いにあるだろう。

編集を巧みに操り、また笑い声を入れることで、示唆的に笑いを生み出し、視聴者及び客と共犯関係を築き上げることが可能となる。

ネタ自体が笑いの要素が満たされていないとて、笑い(爆笑の雰囲気)が起きていれば、誘発されてしまうものなのである。

大衆とは、専門性を欠いた集団だと言えるが、笑いの文脈を知らない大衆をターゲットに、啓発的なやり方で作り上げたのであろう。


さて、今回のお笑いブームの最大の特徴はキャラクター化がキーポイントだと言える。

限られた時間の中で、顔と名前を覚えてもうためには、他の芸人と差別化する必要があるのである。

芸を極めるのではなく、即席的なキャラクターとして芸を披露する。

芸人としての物語を作るのではなく、作られた物語(キャラクター化)の文脈の中で、受け手に認識してもらうことが重要と考えられていたのである。

フランスの思想家であるボードリヤールが提唱した、シミュラークルという概念を想起させる。

伝統なき模倣品。

90年代後半に複雑化と高度化した笑いは伝統として継承されることなく、それらは二次創作的に増殖されてしまったのである。



そしてお笑いブーム、言い換えると、作られたお笑いブームが生まれた原因の最大の理由は、お笑いの情報量が増えたことがあげられる。

それはつまり、パターン化と数値化である。

爆笑オンエアバトルやM-1グランプリなど、審査員や客がネタに対して、点数をつける。

なにが面白くて、なにが面白くないか、数値化されることで、笑いのデータが蓄積されていく。

2010年のM-1グランプリでは、4800組の漫才師が参戦したのは記憶に新しいが、それだけノウハウがパターン化され、教科書のようなものが出来上がってしまった。

そこから外れてしまうと、家畜化されてしまった消費者にとっては、面白くないと反射的に判断されてしまい、すべったと烙印を押されてしまうだろう。

王道を否定し、邪道の中に本質を見出そうとしていた90年代の笑い(
弁証法的)が今は懐かしい。


また、情報が蓄積されていく過程で、それらは分化され、カテゴライズされていったという経緯もある。

例えば、アメトーークなど、その典型的な形ではないだろうか。

家電芸人、ガンダム芸人など、芸人をタグ付けされ始めた。

その成れの果てが、キャラクター化されたお笑い芸人の末路なのである。


家畜化されてしまったお笑い消費者についても、ああだこうだ言いたいが、本日はここまでにしておこう。

これは芸人自体に問題があるのか、はたまた消費者にこそ問題があるのか。

今回は、昨今のお笑いブームについて、だらだらと書いてみたが、日本の笑いはもっと分析とかされてもいいのではないだろうかと思う。

「緊張の緩和」という笑いの本質を様々な切り口から解説した桂枝雀の「らくごDE枝雀」という本があり、さらに遡ると、柳田國男の「笑いの本願」という本がある。

海外では、笑いを分類し、理論化されている。

それは、笑いが批評文化の対象であるからにちがいないが、日本でもそういう文化が育ってほしいと思っている。

ここまで。
今回のテーマであるドッグイヤーとは、成長の早い犬にとっての一年は人間の七年に相当することから、技術的革新など変化の激しいことに例えられ、昨今のインターネット社会でよく耳にする言葉である。

ムーアの法則というものがあり、スーパーコンピューターの性能が十年でパソコンに、そして二十年後にはスマートフォンに姿を変えてしまうほどなのである。使い手(ユーザー)がようやく使い方を理解し、使いこなし始めた時には、デバイスは次の進化を遂げているのである。

現在、アイフォンを筆頭に、スマートフォンは加速的に普及し、老若男女限定せず、誰もが生活必需品として活用している。それを使いこなせているかどうかは置いといて、ライフスタイルの幅を広げ、コミュニティを形成する上でもと欠かせないものとなっている。

だが、昨今の状態を知ってか知らずか、なんと次のデバイスが間もなく登場するらしいのだ。というか、すでに登場しているデバイスすらある。グーグルグラスのようなメガネ型や、アイウォッチのような腕時計型など。それらの総称としてウェアラブルデバイスと呼ぶそうだ。

なんとまあ、カッチョイイ名前である。僕も、欲しいか否かと問われれば、即座に首肯するだろう。

僕が携帯電話を初めて買ったのは高校一年の時である。今から十年以上も前になる。携帯に写真を撮れる機能が付いた時は狂喜乱舞したのを覚えている。そのすぐ直後になんと動画まで撮れるようになった。

それから数年してアイフォンが登場した。僕はアイフォン3Gが発売された直後に購入したから、世間一般では早い方ではないだろうか。僕の生活スタイルが一変したのは言うまでもない。




あれからドッグイヤーの如くデバイスは進化していき、今年中にはウェアラブルデバイスが登場すると言われている。上記を反復するつもりはないが、すでに登場しているウェアラブルデバイスもある。

そして、その次のデバイスまですでに考案されており、開発段階であるらしい。なんと次世代のデバイスは体内埋め込み型になるようだ。脳に直接リンクさせることによって、クラウドを媒介に通信できるようになるようである。人と人との脳が同期可能とまで言われている。

それが良いのか悪いのか、そればかりは僕には分からないけれど、その試みはすごく興味があるね。

で、問題なのは体内に埋め込むということは、体に傷をつけるということである。現在考案されているのは、インプラントのように歯に埋め込むタイプや、網膜を薄く削りその隙間にはめ込むタイプ。直接体に埋め込むとも言われている。なんとまあ、恐ろしい限りである。

僕なんかはピアスすら開けたことない気弱な人間だから、どうも腰が引けてしまう。いや、古いタイプの人間なのかもしれない。その頃には、新世代のタイプの若者が現れるにちがいない。

蛇にピアス的な、蛇にウェアラブルデバイス的な、すげえ奴らが登場するのも時間の問題だね。体内のどこにデバイスを埋め込んだかで、競いあったりするんだろうね。

俺は右腕に埋め込んだぜ。

私は鼻に埋め込んだわ。

俺はあそこの裏筋に埋め込んだぜ。

私は前頭葉に埋め込んだわ。

てな感じで、体内埋め込み型世代が登場するにちがいない。
まさに刺青のような感じだろう。

だが、時が経てしまうと、それらは若気の至りとして片付けられ、埋め込んだデバイスも取り外す時が行く行くは来るのだろう。いや、埋め込んだ数年後には取り外さなければならないだろう。

なんてったって、昨今ドッグイヤーだからね。




今回のテーマであるドッグイヤーとは、成長の早い犬にとっての一年は人間の七年に相当することから、技術的革新など変化の激しいことに例えられ、昨今のインターネット社会でよく耳にする言葉である。

このブログを冒頭から読んでくれた皆様ならばお気づきのように、デバイスというものはすぐに進化してしまう。僕たちが使いこなすようになるまでに、次の段階へと変貌を遂げてしまう。

つまり、体内埋め込み型のデバイスが登場したとしても、すぐに体内埋め込まなくていい型が登場するということだ。ソフトバンクの孫正義氏はチップエレキバンと呼称して、こめかみに貼るタイプのデバイスが登場することを示唆している。なんとまあ、ユーモアあふれる着想だけど、実際にそうなっちゃうんだろうなと思ったりする。

そうなってくると、せっかく体内に埋め込んだのに、再度取り出して、埋める作業をしないといけない。まさに、公共事業だよね、やってることが。

流行にアンテナを張り、最先端技術を謳歌するもいいが、判断を誤るととんでもないことになってしまう。

要するに、犬も歩けば棒に当たるということです。

以上。
ゴーストバスターズと聞いてあなたは何を思い浮かべるだろうか。

人それぞれだと思うけれど、僕はあまちゃん思い浮かべる。

それも杉本哲太が熱唱するゴーストバスターズのテーマ曲をだ。

あの曲を聞くたびに、色褪せること無く数々の名シーンが想起され、今でもあまロスに苛まれてしまう。


あれから半年以上経過し、現在2014年の黄金週間だが、ここ数ヶ月の出来事を振り返ると、あまちゃんという作品は伏線だらけの作品だったけれど、現実世界にすら伏線を張っていたのでは、なんてふと思ってたりするのだ。

まあ、それはさておいて、そもそもあまちゃんってどんな内容だったのか振り返ってみたいと思う。というのも、それで上記のことを言及しなくても、察しの良い方ならお気づきになるのではと思うのである。


東京で育った地味な女子高生・天野アキ(能年玲奈)が、“祖母危篤”の報を受け、母・春子(小泉今日子)と東北・北三陸に向かう。だがこれは、幼なじみが春子を呼び戻すためについたウソで、祖母で地元海女のリーダーの夏ばっぱこと天野夏(宮本信子)は元気そのものだった。

祖母と母が家出当時のわだかまりを解消できない中、アキは温かい北三陸の人々に迎えられ、北三陸に移り住むことを決意。夏になついたアキは、海女修行に励み、地元の観光協会がHPに掲載した動画によって人気者となる。町おこしのために、親友でミス北三陸鉄道のユイ(橋本愛)とコンビを組んで北鉄の「お座敷列車」に乗り込んで歌を披露し、さらに人気が爆発する。

東京の芸能プロダクションの目にとまった2人は、スカウトを受け、アキは春子の猛反対を受けながらもアイドルを目指すことを決意するのである」


というのが、【第一部・北三陸編】のあらすじである。

ちなみに上記の文章は他のサイトの転載であり、つまりコピペであることはあしからず。

あまちゃんは第一部から第三部の震災編まである。僕は個人的に第一部が気に入っている。

その理由は過去記事をチェックして下さい。

http://ameblo.jp/mxdbp323/entry-11544171962.html


上記の時点では、大きな物語として震災編にどうつながっていくのかという期待と不安があり、絶妙に謎を謎と感じさせない見事な構成である。

そして第二部の東京編に続くのだが、内容的にはアイドルを目指すアキの物語と、潮騒のメモリーに纏わる春子の過去の物語である。

潮騒のメモリーとは、昔の青春映画である「潮騒のメモリー」の主題歌であり、その主演女優鈴鹿ひろ美のデビューシングルである。

第二部では、その曲を春子が鈴鹿ひろ美の影武者としてレコーディングしていたことが明らかになり、アキが所属する事務所の 社長である荒巻がその仕掛け人だったことも徐々に明らかにされる。

第三部では震災と復興がテーマであることは言うまでもない。


さてさて、後半は駆け足気味というか、全速力で駆け抜けてしまったが、そろそろ本題に入ろうと思う。第二部のところで言及している通り、春子は鈴鹿ひろ美の影武者として活動していた。言い換えると、ゴーストシンガーだったといえる。荒巻をはじめその企画の関係者は、鈴鹿ひろ美を成功させる必要があり、そのために春子の類まれなる歌唱力が必要だったのである。

当時ならばそれは許されたかもしれない。いや、それは現代でも繰り返し行われている手法である。それは作品の中で「お家へ帰ろう」というGMTの曲があり、ある意味皮肉として姿を変え登場する。

だが、このドラマの中では、これら一連の騒動は過去の過ちとして片付けられ、とらえようによっては美化されてしまっている。大半の視聴者はこのエピソードに対して、感動的な話だと感じていると思う。僕もそのうちの一人にちがいない。

春子がゴーストライター、、、じゃなくて、ゴーストシンガーだったことを知っているのは、関係者と数人の身近な人だけである。

それが事実かどうかよりも、その幻想を共有することに意味があると思うし、実態を知り幻滅するより幾分マシではないだろうか。

そう考えると、杉本哲太が熱唱するゴーストライターズの、、、ではなく、ゴーストバスターズのテーマ曲もある意味伏線だったのかもしれない。そうそう、一度アキの夢のシーンがあって、昔の春子の亡霊が目の前に現れ、アキを追いかけ回すという夢オチがあった。あれなんかも、暗に意味しているのかもしれない。

クドカンにしてやられたりだよね。



僕たちはあまちゃんを通して、ゴーストとの付き合い方を学んでいたのかもしれない。予行練習のようなものだったと言える。誰かを騙していることは事実だけれど、少なからずそれに感動している人たちがいる。本当に素晴らしい物ならば、それらを超越して素晴らしい作品に成り得るのだと。

そしてそれらは風化することなく、個人個人の問題として記憶されている。長い月日が経過しても、それらはゴーストと姿を変えいつまでも存在し続ける。

そのゴーストと向き合っていくのは辛いから、時には歌って忘れたい時もある。もしくは、歌って思い出さなきゃいけない時だってある。

その反復を繰り返すことで、僕たちは成長していくのだろう。

髪切って、サングラス外して、記者会見開いたっていいじゃないか。

アイドルが整形していたって、演歌界のホープがゲイだって、かっぽう着の娘がコピペしたっていいじゃないか。

大衆が喜ぶものなんて、結局そんなものだよ。

みんな、ゴーストに金払って満足してんだから、結局そんなもんなんだよ。

そもそもあまちゃんという話自体、フィクションであり、つまりゴースト中のゴーストに違いないし、「ノンフィクションだと思っていたのに!!」なんて騒ぐ奴はいないだろう。

それでイイんじゃない。

仮にもし、大衆の幻想を破壊するゴーストバスターズなんてのが存在していたら、世の中つまんないと思うけどな。

恋愛だってできない。

そしてアキがなろうとしていたアイドルはゴーストの最たるものだと思う。

なんてったってアイドル=偶像だからね。



さあ、みなさん、こんなブログなんて読んでないで、アナと雪の女王を観に行くべきだ。

なんてったってレリゴー現象というものがあるらしいのだよ。

以上。