親友Tはよく寝る。
 すぐ寝る。
 寝るときのポーズはのび太のそれだ。リ:ラクレあんなんこんなん-ファイル0064.gif
  
 ところがある年の夏、正確には高校を卒業して最初の夏、僕は鍼灸の学校に進学、Tはコンピューターの専門学生で、お互いに夏休みの暇を持て余していたところだったのだが、Tから「最近眠りが浅くて・・・」という相談を受けた。
 
 これは心配だ、あのTが眠れないなんて、よほどの悩みがあるのか、天変地異の前触れだ。 
 
 修学旅行の旅館の夜でさえ、クラスメートが怪談や猥談で騒いで、廊下に正座させられたりしながら、めくるめくひと夏の思い出を作っている最中も、消灯時刻と同時に、そそくさとひとりだけ熟睡態勢に入る人物がTだ。
   
 ただし突然、旅館の窓から入ってきた得体のしれない巨大な羽虫によって、みんなのボルテージが最高潮に達したとき、うるさそうに布団から起き上がったTの胸元に、その侵入者がとまってくれるという、お笑いの世界でいうところの「何か」を持っている男だ。
 あの夜、Tが発した「うわぁぁぁ!」という絶叫は、楳図かずおの劇画を彷彿させるものだった。
 
 そんな眠りに対して貪欲なTが「最近眠れない」というのだ。よほどの恋の悩みでもあるのだろうか。
 僕は、さあ親友に思いのたけを打ち明けてくれ、とばかりに身を乗り出し、Tの話に耳を傾けたのだが、「夜はよく眠れるけど、昼寝ができない」という、呆れたコトバが返ってきた。 
 
 そんなことだろうと、薄々は感じていた。
 
 所詮Tのことである。
 世の中にどれほど感動的なことが起きようが、どんな悲劇が起きようが、Tだけは唯我独尊。
  
 アホらしいというか、耳を貸すのではなかったと思いつつ、鍼灸学生の身、不眠に効くツボがあることを知っていたので、「ちょっとやってみようか」と彼をうつ伏せに寝かせ、踵の中央にある「失眠」というツボにお灸を施すことにした。
 
 ツボの上に灸点器という道具で、墨の印をつける。
 米粒大のもぐさを円錐状にひねって、印の上に置く。
 ライターで線香に火をつけ、もぐさに着火しようとしたとき、Tから豪快ないびきが聞こえた。
 
 こんなときのTには、僕は殺意さえも感じるのだが、結局、ひとつもお灸を施さないまま、彼の肩をポンポンと叩き、「お灸、終わったで」と起こす。
  
 「すごいなぁ、よく効くなぁ」と、
 Tはお灸の効果や僕の技術を褒める。
 「まだ何もやってないやろ!」とツッコミを入れたかったけど、あまりに感心するので、「まあいいか」と怒りの鞘を納めた。
 
 その後、彼の「鍼灸がよく効く」ということの表現に、しばしばあの日の「エアお灸」の実例が挙げられる。
 本当は何一つされていないことを、今も彼はまったく知らない。 
 
 
 「年代ものの蚊取り線香」の点火にもたついていると、ふと弟が理科の実験で使った「虫眼鏡」の存在を思い出した。
 太陽の光を虫眼鏡で一点に集めると、黒く塗った紙が焦げて燃える、というアレである。我ながらナイス・アイデアだと思ったそうだ。
 
さっそく弟の勉強机から虫眼鏡を取ってきて、蚊取り線香の先っぽをマジックで黒く塗り、いざ太陽の光を集めようとしたのだが、さすがに屋内ではどうもうまくいかないので、ベランダに出て着火作業を行うことにした。
       
 ベランダは暑い。
 焼けついたコンクリート、あたりを見渡すと地面からユラユラと蜃気楼が上がり、さらに隣家の室外機が、彼に向かって、轟音とともに強烈な熱気を放つ。
   
 自然崇拝の古代人のように、Tは懸命に太陽の光を集めた。滝のような大粒の汗が、頬を首筋を背中をつたう。普段そのくらい汗をかいて部活に励めば、彼の柔道の戦歴も、違ったものになっていただろう。
   
 ところがTは、こういう無駄なことには精一杯、汗を流すが、大事な場面では、環境に優しいエコ人間である。 対戦相手と向き合うと、なぜかラブ&ピースなヒッピーと化し、
 「負けるが勝ち」などと、
 柔道の試合には相応しくない格言を持ち出すので、いつもどう励ましていいのか分からない。
     
 それはさておき、
 少し西に傾きかけた太陽は、なかなか虫眼鏡に力を与えない。どうやら蚊取り線香の着火は長丁場になりそうだ。 
 さらに試練を与えるかのように、植木鉢を置いたブロックの下から数匹の蚊、敵機襲来である。ランニングに短パンという姿のTは、吸血鬼たちの恰好の餌食、「飛んで火にいる夏の虫」の正反対バージョン。
 
しかし彼はお構いなしに、虫眼鏡に全神経を集中させる。  
   
 やがて苦心の甲斐あって、蚊取り線香の先っぽから、先住民ののろしのように一筋の煙が立った。郷愁を誘うノスタルジックな匂い、金鳥の夏、日本の夏。  
 「やった!」
 
 ところがその瞬間、不運にも彼の額と眉毛の間に溜まっていた汗がポトッと、一番悲劇的なポイントに落下した。
 「ジュッ・・・・・・」
 今までの苦労が水の泡、金鳥の夏、灰燼に帰す。  
 その後も線香の先を折ってリベンジしたそうだが、結局、蚊取り線香に火はつかなかった。  
 
 反面だけ日に焼けたT、頬っぺたや太ももをボリボリ掻きながら、夕方のベランダに立ち尽くすの図である。
 テレビからは「笑点」のテーマソングが聴こえ、あちこちの家々から夕飯の匂いがしてきた。  
 
毎年、蚊取り線香の匂いを嗅ぐと、
親友Tの横顔が目に浮かぶ。
  
あれは高校2年生の夏、月曜日のことだ。
いつものように部活に出て、道着に着替えながら、
ふとTに目をやると、
かなり日焼けしているのに気が付いた。
  
「あれ?昨日どこか行ったん?」
 
柔道部員が真っ黒に日焼けすることはないのだが、
昨日の日曜日は部活も休み。
 
きっと弟とプールにでも行ったのかもしれない。
  
「・・・ん?」
 
振り返ったTの顔をみて僕は驚いた。
Tの顔はマジンガーZのアシュラ男爵のように、半分だけ色が違う。
左半分だけ、赤みを帯びた日焼けをしているのだ。
 
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いったい昨日、彼の身に何が起きたのだろうか。
 
  
  
日曜日、彼はテレビをつけっぱなしにして、
ゴロンと昼寝をしていた。
 
ブラウン管の向こうでは、
「たけし軍団」が粉まみれになっているが、
そんなこと、Tの知ったことではない。
 
家族もみんな出かけて留守なので、
ひとりきりで心置きなくダラダラと
怠惰な眠りを貪ることができる。
  
開けっ放しの窓からは、
山間からの風が入ってきて、
心地よくカーテンを揺らす。
風鈴の涼やかな音を子守唄代わりに、Tはまどろんでいたそうだ。
  
しかし、彼の至福の時間は、
部屋に入ってきた1匹の「蚊」によって、
あっけなく奪われてしまった。
 
顔や腕、足、各所を吸われて痒くてたまらない。
仕方なく彼はもっそりと起き上がって、
噛まれた個所に爪で×印をつけながら、
「蚊取り線香」をさがした。
  
蚊取り線香はすぐに見つかった。
 
しかし喫煙の習慣のないマジメな高校生が家じゅう見渡しても、
肝心のライターが見当たらない。
マッチはあったけど、
少し湿り気味の蚊取り線香に火がつくより先に、
彼の指先が焦げてしまう。アチチ・・・。