親友Tはよく寝る。
すぐ寝る。
寝るときのポーズはのび太のそれだ。
ところがある年の夏、正確には高校を卒業して最初の夏、僕は鍼灸の学校に進学、Tはコンピューターの専門学生で、お互いに夏休みの暇を持て余していたところだったのだが、Tから「最近眠りが浅くて・・・」という相談を受けた。
これは心配だ、あのTが眠れないなんて、よほどの悩みがあるのか、天変地異の前触れだ。
修学旅行の旅館の夜でさえ、クラスメートが怪談や猥談で騒いで、廊下に正座させられたりしながら、めくるめくひと夏の思い出を作っている最中も、消灯時刻と同時に、そそくさとひとりだけ熟睡態勢に入る人物がTだ。
ただし突然、旅館の窓から入ってきた得体のしれない巨大な羽虫によって、みんなのボルテージが最高潮に達したとき、うるさそうに布団から起き上がったTの胸元に、その侵入者がとまってくれるという、お笑いの世界でいうところの「何か」を持っている男だ。
あの夜、Tが発した「うわぁぁぁ!」という絶叫は、楳図かずおの劇画を彷彿させるものだった。
そんな眠りに対して貪欲なTが「最近眠れない」というのだ。よほどの恋の悩みでもあるのだろうか。
僕は、さあ親友に思いのたけを打ち明けてくれ、とばかりに身を乗り出し、Tの話に耳を傾けたのだが、「夜はよく眠れるけど、昼寝ができない」という、呆れたコトバが返ってきた。
そんなことだろうと、薄々は感じていた。
所詮Tのことである。
世の中にどれほど感動的なことが起きようが、どんな悲劇が起きようが、Tだけは唯我独尊。
アホらしいというか、耳を貸すのではなかったと思いつつ、鍼灸学生の身、不眠に効くツボがあることを知っていたので、「ちょっとやってみようか」と彼をうつ伏せに寝かせ、踵の中央にある「失眠」というツボにお灸を施すことにした。
ツボの上に灸点器という道具で、墨の印をつける。
米粒大のもぐさを円錐状にひねって、印の上に置く。
ライターで線香に火をつけ、もぐさに着火しようとしたとき、Tから豪快ないびきが聞こえた。
こんなときのTには、僕は殺意さえも感じるのだが、結局、ひとつもお灸を施さないまま、彼の肩をポンポンと叩き、「お灸、終わったで」と起こす。
「すごいなぁ、よく効くなぁ」と、
Tはお灸の効果や僕の技術を褒める。
「まだ何もやってないやろ!」とツッコミを入れたかったけど、あまりに感心するので、「まあいいか」と怒りの鞘を納めた。
その後、彼の「鍼灸がよく効く」ということの表現に、しばしばあの日の「エアお灸」の実例が挙げられる。
本当は何一つされていないことを、今も彼はまったく知らない。