『キースさん』の話も
とうとう終わってしまいました。

また思い出すことがあれば
書いてくれるのでしょうが…
遠い記憶…
忘れたかった記憶…
(まさか発起人がクビになるとはね)

かなり笑わせていただきました
(≧∇≦)

ありがとう旦那ちゃん
ありがとうキースさん




そして新しい主人公が
現れました!!

旦那ちゃんの高校のころからのお友達

もちろん今でもお友達


旦那ちゃん「この話を読んで
誰かお嫁さんになりたいって思ってくれるかなぁ」

わたし「これじゃ無理やろう´_`」



高校生
ある夏の日の出来事!!
まさか
そんな


こうご期待!!!






なんちゃって(ヘ。ヘ)

 
しかし、このうがいこそが阿鼻叫喚の地獄だった。
 
スタジオとトイレの往復。
 
むせて咳込んで、涙目のまま、また大声で歌う。
 
この「血のにじむ特訓」を何週間か続けたんだけど、
不思議なことに、家でぐっすり眠って翌朝目が覚めると
ガラガラ声は元に戻っている。
 
小鳥のさえずりのような、さわやかな声に。
若さゆえの驚くべき自然治癒力。
エーデルワイスだって裏声で歌える。
 
 
そもそも僕がメンバー募集したバンドなのに、
声質というプレッシャーで、
練習を重ねるごとに居た堪れなくなってきた。
 
へたくそなバンドだったら遠慮はいらないんだけど、
このバンドの足を引っ張っているのだと考えると、
繊細な心がシクシク痛んだ。
 
 
ある日、キースさんが働いているレンタルビデオ屋の常連客で、
ブルースがごっつい好きなおっさんと知り合った。
 
確か40歳近い人だったと思うけど、
すでに酒やけしたような声がハウリン・ウルフみたいで、
リトル・レッド・ルースターなんか歌うと良さそうな感じたので、
おっさんをスカウトして、新ボーカルに抜擢し、僕はこのバンドから身を引いてしまった。
 
 
ちょうどその頃、同年代の友達から、
パンク・バンドのお誘いがあったのも理由のひとつ。
ライブバーに出演できるコネまであった。
 
何より「ストーンズのコピーバンドは
もっと大人になってからやろう」なんて、
あの頃の僕はけっこうピュアだったと思う。
 
 
ところが僕が抜けたあとのバンド、
ワイマンさんは年明け早々転勤で大阪を離れ、
チャーリーさんも仕事を転職。
 
新メンバーのおっさんは借金で夜逃げして行方不明、
(「まぐろ漁船に乗せられた」という説も)
みんなバラバラになってしまいました。
    
キースさんのレンタルビデオ屋には、
僕はその後も何度か足を運び、
誰も羨ましがらない敏江とのラブラブな姿を見せつけられたり、
僕たちのライブを観に来てくれたりしましたが、
ある朝、ギターケースひとつ抱えて、
フラリと大阪を出ていったそうです。
   
高校一年生のほんの数か月の貴重な体験。
 
愛すべき彼らが今、どこでどうしているのか、誰も知らない。
 
できるならもう一回、みんなで集まって、
ジャンピング・ジャック・フラッシュを演奏したいなぁ。
 
僕もあの頃と比べると、少しは「ええ味」出てるかも。
 
 滑舌の悪い「キースと呼んでくれ」っていうキースさんの声や姿は、
これからもずっと僕の記憶の中で、
異彩を放ち続けることでしょう。
 
 
                おわり
 
 
僕が高校生の頃、某楽器店の掲示板で募集した、
ローリング・ストーンズのコピーバンド
集まってきたのはみんな僕より年上の社会人、
だけど、今から思えばどうしようもない人たちだった。
 
社会人バンドの練習は基本的に夜中だった。
 
レンタルスタジオでダベっている高校生バンドたちを前にすると、
ひとりを除いて、メンバーはなんとなく気恥ずかしそうな態度をとった。
 
しかし演奏がはじまると、さすが大人の貫録で、
そのクオリティに圧倒された。
 
僕が仲間と組んでいたいくつかの高校生バンドとは音質が違う。
 
ソリッドでシャープで、しかもパワフルだった。
 
はじめて演奏したのは、
ジャンピング・ジャック・フラッシュ」。
 
この瞬間のゾクゾクとした感じは、今も忘れられない。
 
普段はいろいろとクセのある面々で、困った人たちなんだけど、
皆さん本当にツボを心得た、カッコいい演奏をする。
 
ところがここにきて、
ボーカル担当の僕に、最大の問題が発生した。
 
何しろ歌詞はデタラメなカタカナ英語だし、
15~16歳の懸命なボーカルに、
ソウルフルな味なんて出すことができない。
 
声変わりすら完璧でなかったフラット気味の僕の声は、
メンバーのお気に召さなかったのだ。
  
 
急遽、僕の声質を変える一大プロジェクトが組まれたのだが、
社会人といっても、20代の彼らに「正しい考え」など存在せず、
酒でノドを焼く」という、もっとも原始的な選択肢しかなかった。
 
「上田正樹さんがそうした」という情報を、
チャーリーさんがどこからか仕入れてきたのだ。
 
とにかくノドが切れて血がにじむまで大声で歌い続けて、
度数の高い酒でうがいをする。
ルゴールでもいいらしいのだけど、
手軽に手に入れられるのは「酒」だった。
 
僕は当時、地元の居酒屋兼スナックでバイトしていたんだけど、
期限切れのボトルからウイスキーやブランデーを貰って、
トリスのポケット瓶に移し替えるんです。
 
ポケット瓶をジーパンとお腹の間に差し込んで
スタンドマイクの前に立つなんて、 
 
ピカピカの気障でいられそうなものですが、  
 
しかし、このうがいこそが阿鼻叫喚の地獄だった。