しかし、このうがいこそが阿鼻叫喚の地獄だった。
スタジオとトイレの往復。
むせて咳込んで、涙目のまま、また大声で歌う。
この「血のにじむ特訓」を何週間か続けたんだけど、
不思議なことに、家でぐっすり眠って翌朝目が覚めると、
ガラガラ声は元に戻っている。
小鳥のさえずりのような、さわやかな声に。
若さゆえの驚くべき自然治癒力。
エーデルワイスだって裏声で歌える。
そもそも僕がメンバー募集したバンドなのに、
声質というプレッシャーで、
練習を重ねるごとに居た堪れなくなってきた。
へたくそなバンドだったら遠慮はいらないんだけど、
このバンドの足を引っ張っているのだと考えると、
繊細な心がシクシク痛んだ。
ある日、キースさんが働いているレンタルビデオ屋の常連客で、
ブルースがごっつい好きなおっさんと知り合った。
確か40歳近い人だったと思うけど、
すでに酒やけしたような声がハウリン・ウルフみたいで、
リトル・レッド・ルースターなんか歌うと良さそうな感じたので、
おっさんをスカウトして、新ボーカルに抜擢し、僕はこのバンドから身を引いてしまった。
ちょうどその頃、同年代の友達から、
パンク・バンドのお誘いがあったのも理由のひとつ。
ライブバーに出演できるコネまであった。
何より「ストーンズのコピーバンドは、
もっと大人になってからやろう」なんて、
あの頃の僕はけっこうピュアだったと思う。
ところが僕が抜けたあとのバンド、
ワイマンさんは年明け早々転勤で大阪を離れ、
チャーリーさんも仕事を転職。
新メンバーのおっさんは借金で夜逃げして行方不明、
(「まぐろ漁船に乗せられた」という説も)
みんなバラバラになってしまいました。
キースさんのレンタルビデオ屋には、
僕はその後も何度か足を運び、
誰も羨ましがらない敏江とのラブラブな姿を見せつけられたり、
僕たちのライブを観に来てくれたりしましたが、
ある朝、ギターケースひとつ抱えて、
フラリと大阪を出ていったそうです。
高校一年生のほんの数か月の貴重な体験。
愛すべき彼らが今、どこでどうしているのか、誰も知らない。
できるならもう一回、みんなで集まって、
ジャンピング・ジャック・フラッシュを演奏したいなぁ。
僕もあの頃と比べると、少しは「ええ味」出てるかも。
滑舌の悪い「キースと呼んでくれ」っていうキースさんの声や姿は、
これからもずっと僕の記憶の中で、
異彩を放ち続けることでしょう。
おわり