バレエ学校 入学試験の記憶 その3 | あるバレエママの告白

あるバレエママの告白

デンマークの暮らし、教育、子どもたちを通して知ったバレエのこと、旅行の話などなど、ふと頭に浮かんだこと、思ったこと、感じたことをそのまま綴るブログです。

前回からそれほど間が空いていませんので、念のために書きますが、もし良かったらその1 と その2 を先ずこちらでお読み下さい。

 

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第1審査の結果は、審査室を出る時に子どもたちに渡されました。それは、封筒に入っていませんでした
 
子どもたちは手紙を持って親達の待っている部屋へ戻って来ました。
 
合格の子も、不合格の子も、親たちは同じ控え室にいましたので、親たちが手紙を受け取って内容を読んだ後は、複雑な雰囲気が会場に漂いました。
 
私たちが受け取った手紙には5月2日から始まるトレーニングに参加出来る事、後でメールが届く事、等が書かれていました。
 
届いたメールはプリントアウトしたらしく残っていました。日付は4日後の4月14日になっていました。
 
それによると、息子の集合時間は15:45分、娘の集合時間は17:05分でした。そのため、2人一緒に連れて行って、片方がトレーニングをしている間、もう片方は私と一緒に控え室で待つ事にしました。メールには、服装の注意や、継続して審査があり全員が最終週までトレーニングに参加するわけではない事、最終週に医師の診察がある事がもう一度書かれていました。
 
トレーニングは2011年5月2日に始まり、月曜日から木曜日、年齢によって分けられたグループで、1日1時間、毎日同じ時間にありました。
 
そして、トレーニングを指導する先生、ノートを持って、何かをチェックしたり、コソコソ話し合ったりする審査員達が常に少なくとも2〜3人いる中で行われました。
 
審査員の中にバレエ学校の校長は常にいたようですが、バレエ団芸術監督が加わる日もあったようです。
 
毎週木曜日トレーニングの後に、その週の審査結果の通知が入った白い封筒を子どもたちは手渡され、親の控え室に戻って来ました。
 
一週間ごとに、3分の1強ずつが削られて行ったように記憶しています。
 
週の初めは、選ばれた事、トレーニング出来る事がただ嬉しいのみで参加する子どもたちでしたが、木曜日が近づくと、審査員たちの小さな態度の一つ一つが気になったようです。
 
その日の出来事を子どもたちから聞く親達が、細かい事一つ一つに、どんなに神経質になったかも、簡単に想像できるのではないでしょうか?
 
2週目の水曜日、トレーニングの後の娘の話に私はとても驚かされました。
 
それは、
 
気付くと指導の先生が娘の真後ろに立っていた。それが合図であるかのように審査員全員が娘の周りに集まった。後ろで何が起こっているかは前の鏡に映っていたので見えた。娘を観察して何かを話し合っていた。暫くして娘は審査員の1人と別室に移動した。別室では身体検査があった。上半身ほぼ裸で、後ろから骨をギュ〜っと握られてとても痛かった。
 
と言うものでした。
 
別室での検査をして下さったのは、尊敬する元プリンシパルダンサーで、当時バレエ団でインストラクターをなさっていた女性だった事が後で分かりました。
 
その検査が何を意味していたのかは、第3週目にわかるのですが、不思議な事に、そんな話を娘から聞かされても、その時点で娘が不合格になるという気はしませんでした。
 
実際、翌日頂いた通知の内容は合格。通知には、最終週に進んだ事、必須の医師診察のアポイントを指定の電話番号で取る様に、等が書かれていました。
 
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長くなったので、今回はここでおしまいにします。
 
下に載せるのは、ブルノンヴィルの有名なバレエ『ナポリ』のPas de six です。
 
娘も、入学後、あの橋の上から手を振る子どもの1人として王立劇場の舞台に立ちました。
 
バレエ学校出身のダンサーは、子どもの時にこの『ナポリ』の橋の上に立って、大人のダンサーを見下ろした思い出を共有しているようです。
 
でも入学試験期間中は、1週間毎に先の事を考える毎日でした。そんな事になるだろうとか、全く思い浮かべることのない日々でした。