一昨日、昨日と連載した長編記事「野人が協生農法マニュアルを作らない理由」に数件のメッセージとコメントをいただいたが、コメント掲載はしていない。
これまでもそうだが、掲載は記事に沿った内容が条件で、同じようなものが多ければ代表的なものを掲載している。
焦点が合わないコメント、質問や持論を含むものや、宣伝・政治・陰謀論・思想、他者批判、過激用語など読者が不快感を覚える内容は未承認。自分のブログでやっていただきたい。
15年間の理論に関する質問のほぼすべては起点のズレが大きく答えようがない内容であり、答える時間もない。
今回のコメントメッセージの内容も記事の主旨が伝わっていないものばかり。 悪気のない真面目なものばかりだったが・・
「自分の理解はこれでよいのか」というものもあった。
協生理論に関する膨大な記事を全て読破、どうしても知りたいと言うので採点するが・・0点だな。
バカバカしいほど簡単な理論なのだが、これほど努力しても報われない。 皆さんもこの事例を参考にしてもらいたい。
協生農法講師候補生も
0点と100点しかなく、30点や60点など中間がないのが連立した野人理論。数学物理に中間の答え△がないのと同じだな。
聞く方は簡単に答えられるだろうと無理を言う気もないのだが基点から順路まで大きく逸れたものばかりで手のつけようがない。
勉強熱心ゆえに現学問・持論・他説を持ち込んであり理論とも関係なく、野人の主旨は伝わっていなかった。
それらが最も理論の理解を妨げ、理論は違った方向に使われることになる。
こうなれば学び方1日貸し切り講習会が必要で、余計なものはすべて消去だな。
少しでも現学問を持ち込めば0点、書いてある材料で理解も説明も間に合う。言葉に囚われないことだな。
中学生に戻って考えることはそれほど難しいことかな。
批判はなく賛同してくれるものばかりで、ブログに掲載しないのは心苦しいが、それらは読者の参考にはならない。
承認して掲載すれば、野人はその間違いを修正する回答コメントを載せなければならない。「理解・認識に相当なズレがあります」とか。 これでは恥をかかせるようなものだな。
修正箇所も多過ぎて解説も長文、書き切れるものではない。
それほど野人理論は一般的思考とは噛み合わない理論。
一昨日には「理解困難な生命の妖しい理論」という言葉を使った。
学問の非常識であり、ほぼ全員が歯が立たない理論と言っているのだから、まともに考えても理解出来ない。
今回のコメントメッセージもまったく同じだな。
何処がどう違うのか、自力で考える前に「学ぶ前の学び方講習」を徹底して受けた方が良い。
思考のチューニングだな。 大人と違い中学生は必要がない。
百回以上あらゆる講習会を見境なく受けたおじさ~ンズの進言だが・・
「ここまで受けて、やっとわかりかけて来た」
「野人思考をもって臨まないと理解は困難」
「ブログテーマ・学問のススメを先に読むべき」
野人からの進言は・・
1、理とは何か
道筋が通った道理のこと
2、理論とは何か
道筋が通った道理をまとめて論じたもの
現実に起こることはすべて物理論で示せる
生命体の身体も意識も存在すれば物理
現生物学関係分野には 物理論がない
理も理論もなければただの言葉なのだから、正しいかどうか判断の下しようがなく、野人理論と比較のしようもない。
これまで学んだ理論でもない生命の知識を、間違っていないと自ら断言出来るかな
野人理論にそれらの知識や、個々の思いを持ち込んで足し算しても引き算しても理論は成り立たなくなる。
野人理論理解の要点は、習った常識や個々の思いと異なっても、書いてあることそのまま受け止め、間違いがあるかどうかの判断だけ。他は余計。 他論も持論も感想も不要。
ブログに書いていないことは理論と関係がない。
「学ぶ前に学び 考える前に考えよ」
持論・思いを加える前に、この原則を理解することが先決だな。数学の公式に手を加えようがないのと同じだ。
理解とは書いてある理を正確に解すること、納得も関係がない。
結果も同じであり、常識学問の結果と野人理論の結果で判断。
これも納得は関係なく、どうするかは自由だな。
野人理論、協生農法理論の元になる協生理論も生命エネルギー理論も、この言葉は世界の学問には存在しない。
誰も使わないのだから・・「生命エネルギー理論」「協生理論」は荒廃農地再生機構の登録商標に。
協生農法同様に名称の使用は自由だが、これらをタイトルに使った事業、教授・集客・発信・出版は再生機構しか出来ない。
誰も使いようがないだろうが・・
生命エネルギー理論が完全に理解出来なければ協生理論も協生農法理論もまったく理解出来ない。
腰を据えて取り組むなら、学び方を見直したほうが早い。
国語と・・物理数学の違いだな。
三日連続 渾身の一撃記事を書き続け くたびれた
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