読者からの問い合わせ、質問で最も野人を悩ませるのが「質問の前提」だ。
それはブログ開始以来、コメント、メッセージ、メール、講習会において今も続いている。
前提は質問の「前置き」でもあるが、これほどやっかいなものはない。
毎回延々と続くこの前提のおかげ横丁で一時は「うつ」になる寸前、野人主催の定期講習会を中断した。
対策が見つかるまで再開しないつもりだったが、意志が弱く仕方なく再開。
熱心な質問の回答を放棄、あるいは「却下」され、気分を害した人も多かっただろうが、答えられないものは仕方ない。
答えていたら野人の脳ミソは脳拘束?になってしまう。
質問の前提とは、理論に関することではなく、
「常識、既存知識、自分の思い」であり、それらと「理論との比較」から生まれる疑問だ。
答えられないわけではなく、答えるには質問の矛盾、さらには常識の矛盾を最初から説き続けなければならない。
膨大な時間のかかるそれらを一気に聞いても頭が混乱するだけで頭に入るはずもない。
野人理論を最初から探求し続けた先日の「矛盾と葛藤」で紹介した読者など、それらの前提がなく理論だけに切り込む鋭い質問者もいるが、大半の人には前提がある。特に記事を読んでまだ日が浅い読者に多い。
素直にそう思うのだから仕方ないと言えば仕方ないのだが、何とかならんものか・・
そもそも野人理論とは独立物理論であり参考文献などないと繰り返し伝えて来た。
既存の学問、常識とは無縁の理論なのだから、前提などないはず。
理論を学びに来て、これから理解しようとする前から比較することに無理がある。
既存の生命に関する学問には道理も物理もなく理論になっていない。
生物学、植物学、生態学、農学、健康学、病に関する医学、栄養学・・これらの現状の内容と野人理論は全く関係なく、そもそもそれらの在り方が間違っていると確信したから創った理論なのだ。
医学百科事典や健康書の類は読んだこともなく、健康診断の数値や栄養成分に関する内容など野人にはさっぱりわからず判断のしようがない。
健康診断、血液検査など受けていない野人・原人は何年も自分の数値など見たことがないのだ。
「目的と思考の起点」という言葉をよく用いるが、目的を果たすには思考の起点が重要で、起点を間違えば何年研究努力しようが目的は果たせない。
生命に関する上記の科学がそれに当たり、それらを駆使して問題解決を望んでも求める結果は出ない。
野人は医者でもなく駆け込み寺の住職でもない。
協生理論、協生農法理論、つまり、物理数学の講師のようなものだ。
学校の授業での質問では、新たな分野を学ぶのに、解き方など数式に関することはあっても、前置きや自分の立場、データ、思いなど入らないはず。
質問にそれらを持ち込めば先生は困る。
講習会、ブログの理論記事は理論の理解が目的であり、それらの前置きは理論とは関係がなく、理解した上で自ら判断することなのだ。
判断出来なければ理解されていないということであり、判断出来るまで記事を検索して学び続けるしかなく、理解に集中するしかない。
そうして何度も遠くから伊勢まで通ってくる人は大勢いる。 時間だけでなく交通宿泊費用も膨大だろう。
理解するには学び方を変えるしかなく、変えなければ何度読もうが頭に入らない。
これまで身に付けた知識と思考回路で理解納得出来るものではないからだ。
難しくはないのだが、難しくしているのはそれらの雑念。
これらの理由から、コメントやメッセージでの質問には到底対応し切れず、率直な感想など当たり障りのないものしか承認していない。
協生理論から生まれた独自の「体調復元法」は、数千人は超えるだろう人達の不調を復元したが、野人が直接手を下せるはずもなく、本人自ら実践して自然治癒力によって復元。
つまり、本来の体への復元物理論を説いている。
物理論に早い話も結論もなく、物理の理解しかなく、他は全て余計なもの。
どうすればよいか、何が効くか、まず何を植えればよいか・・などの問い合わせには、「好きにしなさい」と答えるしかない。
理論の答えは明確だが、これら「何を選ぶか」などに答はないのだから。
答を言わない・・のではなく、理論の答えは出している。
答、理由などの定義が一般常識とは異なるのだから、これまでの知識を捨て去り、学び方から学ぶしかない。
一網打尽、一発必中、急がば跨げ・・が信条の野人だが、理論の理解は、「急がばひたすら回れ」・・だな。
地道に学び、自らの力で結果を出し、命運をも掴んでいただきたい。
野人流学問のススメとお願い
https://ameblo.jp/muu8/entry-12400089544.html
言葉の定義と使い方 野人用語
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