離島遠征渡船「朝凪」のエンジンは強力なGM製で、水中排気なら静かだが空中排気だから轟音を響かせる。
岩で囲まれた絶壁の硫黄島港に早朝入港すると音が響き渡り皆飛び起きてしまうので遠慮した。
神出鬼没で行く先も変更も不定期。
鹿児島から奄美大島、特に硫黄島近海からトカラ列島にかけて広域の磯を縄張りにクエ、ヒラアジ、石鯛、グレなどを釣りまくり、野人が潜って海底調査、巨大魚を突きまくるので「海賊船、海賊船長」と呼ばれるようになった。
別に島の人達から嫌われていたわけではなく、むしろ、「よう こんなちっこい船でこの海を・・」と、島の人は温かく迎えてくれていた。
船はまあ大きかったのだが、トカラを航行するには小さ過ぎた。
あまり海賊・・と言われるものだから名刺もそのようにした。
それまで使っていた名刺は、「日本楽器製造株式会社」の社名に音叉のマーク。
裏にはヤマハの関連事業所がずらりと並んでいる四角四面の場違いなしシロモノだった。
何で・・船乗りがこんな名刺使わなきゃならんのだ。
みっともなくて釣り人に渡せる名刺ではない。
楽器会社の社員が船長・・しかも国内屈指の難所の遠征航海。
「ホントに 大丈夫かなこの船」と皆不安を覚えるだろうが。
自分でデザインして発注、船舶課社員十五人全員にも強制して使わせることにした。
このほうが嵐にも負けず強そうで安心感がある。
出来栄えは素晴らしく、表は以前と同じでつまらないが裏は全面トカラ列島の海図。
屋久島から口永良部島、口之島、中之島、ガジャ島、小ガジャ島、平島、諏訪之瀬島、悪石島、宝島、小宝島・・位置と距離がよくわかる。
サメや魚のイラストもあり、極めつけは「ドクロの海賊旗」
皆、目がテンになり・・
「本当にこれ・・使って問題にならないか、名刺にガイコツが・・」
上場企業だから規律は特に厳しく野人も船舶部門も本社所属、名刺変更は本社の許可が必要で事業所の総務が発注する。
バレたら、問題になるどころか始末書かもしれんな。
そもそも名刺を変更するヤツなど一人もいないはず。
「バカタレ、ガイコツも愛嬌、海であんな無粋な名刺が使えるか、こっちのほうが余程ロマンチック、夢を売るのがヤマハの理念じゃ」
結局「おだまり」の野人の一言で決定。
だいたい・・
裏さえ見なければ本社のボンクラにバレるはずがない。
穏やかな海は快適だが荒れた海もそれなりに闘志が湧き、そのうちに波しぶきも快感になってくる。
現在地と目的地までの距離がわかる名刺は客には好評で、ゲロ吐きながらも名刺を見て到着に希望を抱いていた。
野人は気象予報士だった。
経験した人もいるだろうが、情報は日に2回のラジオしかなく、毎日のように作図して自ら予測する。
帰港地、避難港もロクにない東シナ海トカラ列島で不定期航路の船長として航行の判断は日課だった
ここでの不定期航路とは、依頼次第で何処へでも行く海賊船と考えれば良い。
作図は誰がやっても最終判断は船長であり、「判断」に命がかかっていた。
今はGPSで常時船位と航跡と針路が表示されるが、当時は嵐の中でもレーダーを睨みながら海図に三角定規と鉛筆で記入していた。
目標物も見えず、風と潮流や海流で船の位置がズレるから修正が必要になる。
海象の判断を誤り命からがら逃げかえった事もある。
そうやって人は成長するものだが・・
成長か死か、この海域では答えは単純だ。
船も見当たらない黒潮本流の中心なのだから、判断を誤れば目撃者もなく救助も来ない。
お笑いもなければやってられない。
まあ、名刺程度は許されるだろう。
結局、バレずにお咎めも苦情もなかった。
諏訪瀬丸を諏訪之瀬島まで回航した船舶課長 野人 首里城
この方が こうなった
諏訪之瀬島の磯 絶壁
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