屋久島には九州最高峰の宮之浦岳があり標高は1900m。
登山客が多く、皆それなりの装備で登っていたが、その山に日帰り予定で手ぶらで登った。
いくら軽装でもリュックに弁当や水筒は必需品だろうが、それさえ持たず手ぶらで靴下もなく裸足に船のデッキシューズ、つまり普段の仕事着のままだ。 海も山も徹底した省エネ。
結婚式も登山も同じで差別は良くない。
野人は天邪鬼ではなく、理が通り問題ないと判断すれば行動に移す、そうやって生きて来た。
航海や潜水業務も同じで、世界のダイバーや船乗りがやったことがないこともやった。
海流が速過ぎて通常では潜水出来ない場所も、アンカーロープに空気タンクをくくりつけてタンクを下にスライドさせながら水深30mの海底まで裸で潜り、そこをベース基地にして流れの弱い海底の岩を掴みながら20mほど水平移動、息を止めている時間が長く苦しくなれば戻って空気を吸ってまた裸で移動調査。
エアタンクの目的は呼吸であり、必ず背負うものという固定観念はない。
亜熱帯に近いが海底の海水温は低い。
ウェットスーツなしで長時間深い海に潜る人などいないだろう。
スーツに保温効果はあるが、体が窮屈な上に浮力を抑える5キロの重りで身動きが取れず素早い動きが出来ない。
安全第一だが、この海での最大の脅威は冷たさよりもサメであり、身軽に動けなければ全速で逃げることも戦うことも出来ない。 夜間潜水も常に一人で夏は裸潜水が多かった。
潮が緩ければ水中カメラを持参するが、速ければナイフ一本で視認調査しかない。
エアタンクの使い方だけでなく通常装備、残圧計やウェットスーツまでも状況に応じて判断した。
つまり、安全第一として選んだのが常識を逸脱した裸のスキューバ潜水であり、水圧によるスーツの浮力調整も必要ない。
身を切るような冷たさに耐えたほうが助かる確率が高くなる。
この仕事は戦って勝てない自然界ではなく自分との戦いであり、だから助かる為に知恵をしぼる。
体の耐寒性と腕力と握力がないと不可能だが自身の機能を活かせばやれる。
非常時はタンクを捨てて、肺が破裂しないよう泡を吐きながら30mから浮上するつもりでその訓練もやった。
少し前に口永良部島でその非常時に直面、空気が来ないタンクを捨てて水深30mの海底から裸で浮上、息を吐きながら途中で失神寸前だったがそれも耐えた。 30mの4気圧から1気圧、肺は4倍に膨らもうとするが収縮・膨張性などない。
極限まで我慢出来なければ窒息・溺死か、潜水病・肺の破裂が待っている。
秘境トカラ列島は常識が通用する海ではなく、あきらめるか、やるか、2つに一つしか選択肢はなく、すべて野人が決めることなのだ。
潜水が目的ではなく潜水は調査業務の手段に過ぎない。
それがじいさまの指令を一人で請け負った野人の哲学。
想定内、あるいは想定外のことが起きても不思議ではなく、理性と気力で乗り切るしか道はない。
裸潜水同様にこの手ぶら登山も判断にまったく狂いはなかったが、想定外のことが起こり、理性と気力も役に立たず人に迷惑をかけてしまった。
山や森は好きだが登山が大嫌いな野人は屋久島の山にまったく関心がなく、登ったことがなかった。
海と山に囲まれ育ち、避けられない山登りは小中高校で飽きた。
「体力を消耗する日帰り終日山歩き」は身軽な手ぶらが一番、疲労も休憩も少なく効率も距離も伸びる。
実体験で得た教訓だな。
永田から一湊漁港に向かう途中にガジュマル林で有名な小さな集落がある。
バスが通る砂利道は集落の最上部にありバス停もある。
真夏の炎天下、帽子を被った女の子が一人バスを待っていた。
島の周遊道路は一本でバスなど滅多に来ない。
知らんぷりして車で通り過ぎたのだが、数十mほど走り仕方なく停車、バックして乗せた。
次のバスまで30分も炎天下で待つのはキツい。
行く先は一湊の次の宮之浦の宿舎、車中で目的など事情を聞いた。
初めての1人旅で、念願の宮之浦岳に仲間もガイドもなしで1人で山頂まで登ると言う。
標高1000mの屋久杉ランドまでは車で行けるが、そこから先は非舗装道路で一般車は進入禁止、山頂まで登って戻るのは1日がかりだ。
宿泊客の登山ガイドを担当する同僚達から登山情報を聞いていたので一人はやめるよう勧めた。
女性1人では捻挫や怪我など何かあった時はどうにもならない。
枯れ枝のように細く、どう見ても無理に見えたのだが決心は固かった。
続く・・
この格好で登山
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