目の前の津田屋旅館女将 たえちゃん 85歳
餅拾い専用エプロン
たった・・・ こんだけ
コイン3個 ¥160
ゆか ゆず 母娘
戦利品
昨日のイベントに津田屋旅館の女将たえちゃんが一族郎党10人でやって来た。
旅館はビレッジの向かいで歩いてすぐなのだが、軽自動車でちょくちょくやって来る。
御年85歳だが、よく喋るし声もバカでかくてやかましい。
ぶかぶかの・・またにしてドレス、いや、マタニティドレスのようなエプロン姿。
この裾を持ち上げ、ムササビかエリマキトカゲのように広げ、まかれた餅を一網打尽、ごっそりいただくらしい。
そのたえちゃんが・・
「大塚さん 聞いてよ聞いて~」
・・・
「聞きたくないけど 早く言いなさい・・」
「あ~~んなに頑張ったのに こんだけよ こんだけ」
餅ではなく玉が3個
百円玉と五十円玉と十円玉・・・百六十円
「餅・・・どうしたんじゃ」
「それが ちっともこっち飛んで来んのよ~」
「そりゃあたえちゃんもそのエプロンも悪くない」
「餅が悪い」
「それ使って最後に餅拾いしたのは」
「う~ん・・ 40年前かな」
「・・・ 化石なエプロンだな」 天然記念物・・
ゴーリキマリンビレッジ敷地の前身は強力造船所で、大湊は造船所が集まった町。
たえちゃんの旅館は大勢集まる労働者の為にあり、旅館が並んでいた。
オイルショック以来大湊の造船所の大半は閉鎖、強力造船所は休眠会社にして新会社ゴーリキがアルミ船工場を再利用して鉄骨製品を作り、海面と敷地の大半はマリンビレッジが使っている。
ゴーリキ社長は代を息子に譲り会長に、野人は同じ大学・船舶設計科の2年後輩になる。
造船景気の頃は新造船が進水するたびに豪快な「餅まき」があり、たえちゃんは若い頃から何度も通い詰めてムササビエプロンを考案した。
40年ぶりに闘志を燃やしたのに
残念だったな たえちゃん
スーパーで切り餅どっさり買ってきて、たえちゃん一人の為にお野人が餅まきやってやるかな。
面白かった人 クリック