思考の仕組みとバランス 3 終章 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

 

 

地球の歴史上最も意識と頭脳が進化したのが人間。

その程度は桁外れと言うしかないが、行動においては桁外れに最悪で、すべての生き物にご迷惑をおかけしているだけでなく、海も陸も空も地球も困り果てている。

 

人間がいなくなれば地球は平和になるだろうが、解決策としては単純だが無策であり、人知と呼べるものでもない。

蒔いた災いの種を刈り取るだけでなく、利子を付けて他の生き物達と地球にお返しするのが人間としての礼儀だろう。

 

何故このようなことになってしまったのか。

その理由は難しくもない。

意識の在り方も頭脳の使い方も間違えたからであり、それ以外にはない。

 

しかも自ら招いた災い、環境、飢餓、健康問題などの修復も絶望的にやれない。

何を間違えたかすらわからなければ当然であり、優れた意識と頭脳も宝の持ち腐れだな。

 

世の中は欲と悪に満ちた人ばかりではない。

真面目に現状を何とかしようと頑張っている人の方が圧倒的に多い。

道を作れば、道理を解せば必ずやれるはずだ。

 

思考の仕組みとバランス・・

「思う」と「考える」の違いは・・

当たり前のことだが「思う」は意識の中だけの世界であり、同じ意識でも「考える」は現実に向かう世界であり答を求める世界。

 

「思う」に間違いも何もないが、「考える」を間違えれば結果は出ず現実の世界で落胆する。

同じ意識の世界だから自由に行き来は出来るのだが異次元を仕切る壁のようなもの。

 

簡単なことさえも間違える理由は「考」の世界に「思」を持ち込んだからであり、それほど思と考は密着融合している。

「当たって砕けろ わからんものは考えない」は最後の手段であり、最初からこれではそのようになり大半は砕け散ってしまう。

 

人類が環境破壊に向けて進撃する産業の始まりは農業。

農業の間違いがやがて環境を破壊、飢餓と貧困を生み、自らの健康をも破壊した。

優れた頭脳を持ちながら何故間違えたのか。

文明・学問が飛躍的に進化しても何故気づかなかったのか。

 

脳の大きさ、使い切れない機能に対して未熟ということもあるが、欲が先行したからだろう。

意識と脳の発達は欲の発達でもある。

前向きひたむきな意欲は成功するにつれてやがて我欲になり、物欲、名誉欲、あらゆる欲を生み出した。

 

象の群れ、イルカやシャチの群れ、猿やハイエナの群れがそうであるように、共に生き、分かち合う思いやりや愛を、欲がはるかに超えたからだろう。

意識と脳のアンバランスがもたらした歪と考えればよい。

 

これまでの生物の進化の歴史から見て、強い思いは自らの体の形状、機能をも変える。

思考の「思」の強い思いはエネルギーの始まりであり、ベクトルの方向を間違えなければ必ず思いは適う。

 

細菌のような単細胞生物も、動物のように複雑な機能を持たない植物も、「思い」「強い願望」によって進化して来たと言える。

意識なくして成せることではなく、人間がどのように意識を定義・分類しようが彼らはそれらとは無縁のところで生命活動を続ける。

 

最も脳機能が優れた人間は、思いだけでなく「考」の能力がずば抜けている。

心理で言うなら、心・心構えだけでなく「理」の画期的な進歩が文明をもたらした。

道具、言語をもって集団を動かせたことで地球全域を網羅、支配するに至った。

 

繁栄と共に自ら修復出来ないほどの負の遺産を抱え込んだのは、思いに対して「考」がついて行けなかったからだ。

ついて行けた部分は繁栄、行けなかった部分は災難、こう考えればよい。

 

「思い込み」という言葉はあまり良い事例には使われない。

失敗の反省に最も使われるが、思いが強過ぎたか、既に決定済か、思考が理考にまで及ばなかったからだ。

 

一時的なもので済めば単なる失敗で済むが、間違った常識・習慣・学問を含めて現状は思い込みの積み重ねの顛末と言える。

間違っていないという思い込みが強いほど、間違いには気付かない。

 

自然界の仕組みに沿って生きる生物達は間違うことなく思いを叶えたが、人類だけが思い・願いとは逆方向の災いに苦しんでいる。

 

 

生命に関する学問には最初から生命の理がまったく存在しない。

その基盤を築く為にこうして毎日書き続けて来た。

連日ここにやって来る読者の皆様には感謝しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

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