難病と軽症の境界 | 野人エッセイす

野人エッセイす

森羅万象から見つめた食の本質とは

難病の反語・反対語で検索しても出て来なかった。

難病とは、大病、死に至る病、深刻な病、たちの悪い病、重病、重症・・など色々ある。

 

たちの悪い病気、治療困難な病気、治りにくい病気と言うが・・・

たちの良い病気、治療容易な病気、治りやすい病気がどれほどあるのだろうか。

 

伝染病などの感染症はこれまで完全とも言えるほど克服して来たが、それ以外の病不調はまるで歯が立たないのでは?

薬などで抑えることしか出来ないのでは?

 

困難病の略が難病だから、反語は容易病かな・・

まあ反語などどうでもよい、重症に対して軽症にしてみたのだが、境界線がさっぱり見えてこない。

 

一般的なガン、心臓病、糖尿病から高血圧、花粉症、アトピー、痛風、さらに不調なのか病気なのかわからない低血圧、冷え性、水虫、ニキビ、わきがなど深刻に悩む人は多い。

これらさえ今の医学で完治出来ないのだから、難病も軽症もなく、すべて難病ではなかろうか。

 

軽症にさえ歯が立たないのに重症に歯が立つはずがない。

感染症に対してこれほど完璧なのに、他の病・不調にはまったく歯が立たないのだから、その原因は考えたらわかりそうなものだが、現状は半世紀前も今も変わらない。

 

感染症の原因は相手が見えるから間違えないが、病に相手が見えるのかな。

同じ方法で探してはっきり見えないのだから、相手がいるはずもない。

つまりあれが原因、これが原因と言っても何の根拠もない。

 

間違っているから歯が立たないのであり、何が間違っているかわからないから進展がない、そう考えればよい。

これまで出尽くしたものの中には原因がなかったということだな。

 

だからお野人はこれまでの医学、健康学の常識をすべて一掃、無から思考を進めたが、これほど簡単なことはないな。

役には立たないのだから、それらから学ぶ必要もないし楽だった。

答もすぐに見つかったし、結果もほぼ完全。

お金も労力もたいしてかからない。

 

世界が使う「原因」と野人の言う原因はまったく異なる。

自然、植物、治癒力などの定義も異なる。

そのように書き続けたが、野人の言う難病とは原因もわからず治せない病であり、その症状の程度や完治期間などは関係がない。

 

原因がわかり、完治出来るなら2年待とうが苦にはならないはず。

1週間であろうが1年であろうが治るなら誰だって嬉しいし希望が見える。

 

ガンのように再発を気にしながら生きるのは気が気ではないはず。

手術でガンを切除してもガンの原因を取り去ったわけでもない。

自然界ではあり得ない色んな手法で花粉症やアトピーを抑え、治ったとしても原因を取り去ったとは言えない。

 

穴の空いたバケツに水を注ぎ続けようが、穴を塞ごうが、穴が空いた原因とは関係がないことと同じ。

穴が空くのが当たり前なのか、そうでないのか自然界と照らし合わせて判断、そこを基点に思考を進めればよい。

 

たとえば、風邪をひくのは誰にもあることで当たり前なのかな?

屋根も暖房具も布団もなく雨ざらしの自然界では生きられないが・・

高熱時にイメージすればよくわかる。

 

結局、難病と軽症の境界線は見つからなかった。

原因も定かでなく完治出来ない病不調は重軽症問わずすべて難病だな。

 

何故?・・と思わなければ、おかしいと思わなければ思考は進まない。

現状の解決は常識に頼ることでも社会から学ぶことでもなく、黙想や瞑想で解決出来ることでもなく、自らの頭脳で解決するしかない。

溢れるほどの能力を有しているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お役に立てたら・・・クリック を

               ダウン

にほんブログ村 健康ブログへ
にほんブログ村