黙想と瞑想について調べたが、要約すると・・
黙想とは考えを整理したり、自分の意識を集中させて深層心理に触れ、新しい気づきを得る。
これから自分がどのように上達するのかをイメージする為の時間。
黙想が思考を巡らせることであるのに対し、瞑想とは考えを一つにまとめたり、無心になり精神の統一を図ること。
心身の静寂を取り戻すために行うような比較的日常的なものから、神を体感したり、究極の何とか?を得るようなものまで広い範囲に用いられる。
現代では、健康の向上や心理的治療、自己成長、自己向上などの世俗的な目的をもって、様々な瞑想が行われている。
瞑想を実践する人は年々増えており、今では世界の5億人以上が行なっている。 ストレスが軽減、集中力が高まり、ポジティブになれるのが瞑想。
黙祷とは、声を立てずに祈りを捧げることであり、慰霊や弔意を表す際に使われる。
黙祷は別にしてこの瞑想と黙想、静かに目をつぶって座るのはよく似ているが、その性質は正反対・・・
そのように書かれていたのだが、野人には違いがさっぱりわからない。
どちらも意識と思考を使うことには変わりない。
言葉の意味もわからないが、何年もやらされてもわからなかった。
野人がやったのは黙想のほうだな、瞑想と言えないこともないが。
よくスポーツ選手がやっているのを目にする。
武道の大半は練習に組み込まれている。
思うに‥考えるなら寝転がってやるほうが楽だし、これまでの本もすべて寝転がって読んだ。机に座って読むなど野人には絶対無理だな。
無心になれば当然眠ってしまう。
座禅ならまだマシだが、正座してやれば足が痺れるだけ。
クラブの野外合宿ではよく蚊に食われたが、叩くわけにもポリポリ掻くわけにもいかず苦痛だった。
これが役に立っている人も大勢いることだろう、これだけ大勢の人が日々やっているのだから。
何故野人には役に立たなかったのか・・・
続く・・・
面白そうだったら・・・クリック