むー母が説いた出世の定義 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

7月4日はむー母の命日。

毎年のように過ぎてから思い出すが、事前に気が付いたのは初めてだな。

 

数年前の原稿を整理していたら、タイトルだけで何も書いてない原稿が出て来た。

それでついでに命日を思い出した。

むー母列伝を書き始めたのは2011年、この原稿は2015年に末期肺がんを宣告される以前のもの、それを仕上げた。

 

野人はむー母に家を建ててあげることも出来ず、旅行はおろかレストランへ連れて行ったこともない。

何かを買ってあげたこともなく、母の日のプレゼントも記憶がないが、誕生日のケーキは数回記憶がある。

 

むー母は最期まで野人の世話にはならず、ヤマハ時代にあげた賞与や退職金は使わずにそのまま郵便貯金、会社のピンチにすべて差し出し助けてくれた。

 

母一人子一人だったが、野人はむー母に1円のお金もあげていないことになる。

一般常識からすれば野人は考えられない程の親不孝者。

 

「母ちゃん何もしてやれずにごめんな 出世も縁がないし会社も貧乏」

 

そう言うとむー母は・・

 

「何ばかなこと言うのよ ずっと出世しているじゃないの」

 

「は・・? 何処が・・」

 

「小さい頃から今も変わらず、多くの人がお前を頼って来ているじゃないの」

 

「お前にその気がなくてもこれからも来るでしょうし、いなくなったら悲しむ人も困る人も大勢いるでしょ?」

 

「母ちゃん 人並みに期待していたんじゃあ・・?」

 

「するわけないでしょ お前に会社など勤まるはずないし」

 

「人の上に立つ気もなく、人に従う気もないんだから」

 

「だからそんなつまらないこと気にせず思うように生きなさい」

 

母は過去の栄光も肩書も財力も関係なく、自力で人の役に立てる野人を最初から望んでいた。

だから誰も見向きもしない桜の幹になることを短歌に託したのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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