こりゃあ小さ過ぎて 生ハムにはならん大仏・・
土日の刺身と味噌漬け用だな
マリーナ会員さんがスズキをどっさり釣って来たので引き取った。
スズキと言うより、スズキになる手前のフッコだな。
1㎏未満の幼魚はセイゴ、2㎏未満はフッコ、それ以上をスズキと呼んでいる。
このように成長と共に名を変える魚を出世魚と言い、他にはブリとボラがいる。
ブリは地方によって異なるが、モジャコ、ツバス、イナダあるいはハマチ、ワラサあるいはメジロと名を変え、8キロ以上がブリだ。
ボラはオボコ、スバシリ、イナ、ボラ、最後がトド。
日本の漁業は江戸時代に真鶴から始まり、ボラ漁から始まった。
大量に群れを成して沿岸にやって来るボラが日本の漁業を支え続けた。
生活に密着したボラの出世名は様々な言葉を生み出した。
おぼこい・・すばしっこい・・鯔背な若者・・とどのつまり・・などだ。
漁村では今もボラは神事に使われ、ボラの卵巣のカラスミの価格は水産物価格の頂点にあるが、ボラは汚染に強くドブ川をも上る習性から嫌われるようになり、価格は地に落ち漁村も廃れた。
しかし、ボラの身が臭くて食えないなら、内臓の卵巣はもっと食えない。
綺麗な海のボラの刺身は美味しく、寒ボラの刺身はマダイに勝るほどだ。
11月から12月にかけて宮川河口の突きん棒漁でボラが獲れれば冷燻製だけでなくカラスミも作ろう。
浅はかな人知と偏見で嫌われたボラが可哀そうだな。
野人が生まれた九州の漁村ではアジと並んでボラは御馳走、今もだが。
ビレッジ創業時、野人は冷燻製、つまり魚の生ハムシリーズを製造したが、主役はボラであり、スズキ、ブリが続いた。
ボラの名誉回復を目指した「出世魚スモークセット」
ボラが最も旨かったのは言うまでもないが・・売れなかったな
超高齢になったが「赤福」の前社長はヤマハ時代からの知人。
伊勢商工会議所会頭の時にビレッジに80人でやって来て納会もやった。
「出世魚3兄弟セット」に両手を叩いて喜んだのだが・・
お野人・・おかげ横丁の店には出さなかった。
あそこ、車と人だらけで持って行くのも面倒くさいし・・・
売れんのも 当然と言えば当然だったな。
むー農園の整備と豆蒔き
今月の15日・日曜日にむー農園と新農園の整備とスナップエンドウの種蒔きを実施します。
お手伝い希望者は参加を・・食事付き 4~5名
10時過ぎ ビレッジ出発 むー農園へ
13時過ぎ 作業終了
13時半 賄いランチ
14時半 野人談話 現況 方向性
15時半 終了
面白かったら・・・ クリック を・・