現学問を基盤にしないお野人思考の話が数日続いている。
オジサ~ンズのお特訓、森の在り方と鹿のお話、徳川家康にコロンブス、七草粥まで登場した。
これまで積み上げた個々の思考順路で理論を学ぶ前に、野人思考のパターンを理解したほうが理論を理解しやすいからだ。
そうしなければ何時まで経っても自分流の解釈の域を超えることが出来ない。
思考の起点、思考順路、結論・・
この結論が最終判断であり、野人は少年期よりその判断に従って行動して来た。
判断の結果はそのまま自分に降りかかり、血を流し、時には生命の危機に立った。
そんな危ない橋を半世紀以上歩き続けると、精度は高まり筋金入りに近づく。
机上の理論では得られないものは自らの体で試すしかない。
判断は現実の物理であり、まとめられた言葉や感性だけで窮地は乗り切れない。
生死にかかわる大きな失敗だけでなく深刻な病不調も窮地。
判断とは何か、あらためて考えていただきたいと願っている。
抜粋 2012年 2月
判断には感性の分野もあるが、大半は現実の出来事であり、結果次第で泣き笑い、痛い目にも遭う。
判断を大きく誤れば人生をも縮めてしまう。
個人の目的はともかく、物理的なことに考え方の違いも感性もない。
答えではなく答えの導き方である道理の組み立て方、思考の始発点を示し続けて来た。
これらの手法は学校で習う知識同様に誰もが使いこなせる「道具」に過ぎない。
思いが偏れば正確な判断は出来ない.
森羅万象の道理が理解出来て正しい判断を下せる人が増えるほど間違った常識が生まれる確率は減少する。
大勢の人が判断、賛同した現在の間違った常識には実体も責任もないが、その罪は大きい。
苦しむ人、命を落とす人があまりにも多過ぎる。
判断とは 1
https://ameblo.jp/muu8/entry-11176816087.html
判断とは 2
https://ameblo.jp/muu8/entry-11177730636.html
判断とは 3
https://ameblo.jp/muu8/entry-11180910617.html