判断とは 3 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

判断には感性の分野もあるが、大半は現実の出来事であり、結果次第で泣き笑い、痛い目にも遭う。

判断を大きく誤れば人生をも縮めてしまう。

判断とは何か、詳細に分析して書くつもりでいたのだが、仕組みを言葉で表現するのは本当に難しい。

長大作になって書く方も疲れるが読む方はもっと疲れる。

これまでに様々な視点から書いて来た記事を参考にしていただければ良い。

理である判断の重要性がそれなりわかっていただければそれでいいのだ。

どうしても身に付けたいのであれば個別に講習するしかないだろう、身ぶり手ぶりのオーバーアクションで教えてあげるから・・・


個人の目的はともかく、物理的なことに考え方の違いも感性もない。

仏教、イスラム教、キリスト教などの思想を問わず、森羅万象の道理は同じであり、人間の道理である「3+2」も5になる。

野人は、心ではなく物理をもって常識の矛盾を説き、世の中をよりよくしようとしている。

答えではなく答えの導き方である道理の組み立て方、思考の始発点を示し続けて来た。

これらの手法は学校で習う知識同様に誰もが使いこなせる「道具」に過ぎない。

ノコギリしか持たないより、カンナもノミもキリも持った方が木は使いこなせる。

野人の思考回路は野人だけのものではなく簡単で当たり前の理論。

よく考えれば誰でも使える便利な道具と思えば良いのだ。

心の中にまでは誰も入れない。

思想、宗教の始祖は多くの人の心を引き付けたが、世代を重ねれば解釈も移り変わり内部の争いをも引き起こす。

テレビのコマーシャルも、部分的な点で捉えれば間違ったことは言っていないが、生命の仕組みから見れば余計なことばかりで健康と相反するものが大半だ。

それに依存する限り、症状は和らいでも元の体に戻ることはないだろう。

「現状」から入り、根本的な原因と生命の総合的な仕組みには触れていないからだ。

道理が間違っているものは間違いとはっきりと指摘するが運動も先導もしない。

判断は自ら下すべきものであり、生き方も自由だからだ。

思いが偏れば正確な判断は出来ない、だから野人は常に中立を保ち続けている。

森羅万象の道理が理解出来て正しい判断を下せる人が増えるほど間違った常識が生まれる確率は減少する。

大勢の人が判断、賛同した現在の間違った常識には実体も責任もないが、その罪は大きい。

苦しむ人、命を落とす人があまりにも多過ぎる。


病は運命でも宿命でもない1

http://ameblo.jp/muu8/entry-10911697476.html

病は運命でも宿命でもない2

http://ameblo.jp/muu8/entry-10912212680.html

生きる哲学

http://ameblo.jp/muu8/entry-10848817501.html

前向き思考は怪我の元 1

http://ameblo.jp/muu8/entry-10910742584.html

前向き思考は怪我の元 2

http://ameblo.jp/muu8/entry-10910780122.html



判断とは 1

http://ameblo.jp/muu8/entry-11176816087.html

判断とは 2

http://ameblo.jp/muu8/entry-11177730636.html




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海は 青いな 冷たいな・・