前向き思考は怪我の元 1 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

人は本能ゆえに自然にあこがれ、海や山や川に安らぎを覚える。

マイナスイオンやヒーリングスポットなどは野人とは無縁でよくわからない世界なのだが、とにかく人工のものだけでは生きて行けないようだ。

自然のものを求めながらも科学にも依存、「天然成分」の抽出、配合や効能のある特定のミネラルなどを求める。

人間は古くから植物や動物を暮らしに活かして来たが、「足りない」と言う考え方は明らかにおかしい。

人間に限らず、何億年、何万年も地球に生きて来た動物に、エネルギーや特定の成分が欠乏するものなのだろうか。

そのようなものを求めて探し回る生き物など見た事がなく、どの生き物も今が最高の仕組みを持ち、何も困ってはいない。

人の思考回路は「現実、現状」から始まる場合が多過ぎる。

「なんだかんだ言っても現状はこうだ、だから何とかするしかない」

それが前向きなプラス思考で、悲観的に嘆いたり、あきらめるならマイナス思考になる。

思考とは考えて答えを出すことが目的、嘆こうが万歳三唱して喜ぼうが感情とは関係がなく、それはまあ人それぞれ自由なものだ。

「理」とは成るべくして成る仕組みの事であり、物理、方程式。

常に、前だろうが後ろだろうが、上、斜め、パンツの中、足元など視点をバリアフリーにしなければ問題は解けない。

義務教育で数学の難問に散々苦労、それは身に沁みてわかっているはずだ。

ヒマつぶしに考えようがぼやきながら考えようが、鼻クソいじろうが解けるものは解ける。

前向きで問題が解けるなら何の問題もなく、それは心の姿勢であり現実とは関係もない。

現状の答えがおかしければ、気に入らなければ(笑)、嫌なことは忘れて前を向いて次に行く・・のではなく思考は後ろではなかろうか、前向きは頭ではなく心だけでいい。

無精で常にネガティブ、出来ることならやりたくない・・性格で、ヒマな親父ギャグばかり連発する野人も、心の在り方と理の思考ははっきりと区別している。

どこから思考を開始するか、目的を果たすには「思考の起点」が最も重要になる。

つまり、「=」の右の答えは左の方程式の結果、左の式の何処かが間違っていたから右の答えになったのは当たり前の理。

そこに気付かなければ思考の起点から間違っていると言える。

生命を作り育てようとする農業も、何十年、何百年もの努力の積み重ねだが、思考の起点は明らかに間違っている。

現状の結果の矛盾に気付かないのは、生命の仕組み、つまり本質を知らないからであり、「人は皆そうだ」「人間はそもそも不完全」などと言う人間の常識、道理に染まっているからと言える。


続く・・



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毛がのもと~~ 音譜


  ホー・・ホケキョ