思考のベクトル 2 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

 

 

 

何故これほど常識の起点と野人の起点は異なるのか。

 

起点は基点であり、学問の基盤が異なるからだ。

現状の学問と野人が組み立てた学問の違いと言えるが、大きな違いの一つは区分・領域の違いだ。

 

生命・有機の分野で言えば、生物学、生理学、医学、生態学、環境学、農学、食物・栄養学などに分かれ、さらにそれらの中で専門分野に分かれる。

同じ生物学でも、動物、植物、微生物・・それがさらに分かれミクロの世界へと入って行く。

 

それだけ細部に分かれて研究され、世界中で多くの学者が長年関わって来たにも関わらず、何故現状の切実な問題が解決出来ないのだろうか。

学問の為の研究ではなく、人に役立てるのが学問ではないのか。

 

切実な現状は誰もがわかっているのだから意識にはあるはず。 それにもかかわらず手も足も出ない理由は何処にあるのか。 これだけ多くの専門学者が集まれば簡単に出来るはずなのだ。

 

それぞれの知識が問題解決の役に立たないからであり、学問の在り方が間違っているからだ。

生物、生態、生理、環境、食物、これらを分けて考えるのが間違っている。

 

生命は分けて考えられるものではなく全て繋がっている。 それを機械のようにパーツで考えることがおかしいのだ。

 

基盤に「生命学」があり、ここから枝分かれさせれば良く、基盤が間違えば当然のように枝葉も間違う。

 

人体は生命の集合体であり運命共同体だ。

心肺機能が停止すれば他の臓器も停止、腎臓が機能しなければ他も同じ運命。

血液は全部署に及び、神経を通して意志は体全体に及び、意識と体は一体になっている。

 

生命体は植物、動物、微生物などに分類されているが、意識を持って自ら生長・活動するのだから同じ生命。

 

動いて移動するのが動物、根を生やし動かないのが植物、しかし植物だって上に横に地下に向かって動き続けている。 同じ動物に変わりなく野人の分類は同じ。

足と臓器と脳がなくとも動き続けているのだ。

 

動物も植物も微生物も、意識という指揮官無くして自ら判断して動けるはずがない。

 

現生物学では生命体の仕組みどころか、道端の草が伸びる仕組みと動力すらわかっていない。

「植物は光合成で細胞を増やして自動的に伸びる」では答えにはなっていない。

光合成に必要な環境、材料を準備するのは植物なのだ。

 

光合成は植物の一手段であり、人間は光合成せずとも爪や鼻毛が伸びる。

勝手に伸びているように見えるが明確な意志を持って伸びている。

 

意識で判断して体を動かすには「意識の仕組み」「指揮系統の仕組み」「動力の仕組み」「心身の維持制御の仕組み」が必ず存在する。

 

野人の思考ベクトルはこれまで解明したこれらの仕組みを基盤とし、目的に向かって起点を定め、思考を進めている。

 

 

 

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