ススキなどの荒れ地の攻略に果樹では、生態系の構築、収穫まで数年かかるだろうが、どうせ果樹園にするのなら下草に何が生えていようが同じことだ。
慌てて野菜を配置せず環境が整ってからやればよい。
つまり、表土の先住民族が何であれさほど気にすることはない。
自然界の仕組みが理解されていれば制御は簡単。
生態系が築かれていればそのまま利用、荒れ地であれば考えて好きなように進めればよい。
どの方法を選ぶかは個々の感性でよいが、感性のベースとなるのは理論。
その理論を学ぶ為に読者はここに来るのであり、答えではない。
ススキであろうがアワダチソウであろうが、すべて刈らずとも、省エネで果樹を植える場所だけ適当に刈って植え、負けないよう適当に管理すればよい。
造成しようが全部刈ろうが必ず彼らは生えて来るのだから。
それが表土創成期の道理だな。
果樹幼年期は「防風林」として使えば良いのだ。
草ぼうぼうが見栄えが悪くて気に入らないなら、真夏の暑い時に刈らずとも、枯れた冬に刈れば楽で汗をかくこともない。
くれぐれも力づくで根を殲滅しようなどと、際限のない無駄な道を安易に選ばないことだ。
それでもすぐに野菜が必要なら、種を蒔き苗を植えれば小さくとも出来る。
面倒だがススキやアワダチソウの一角を掘り取り、その後に植えれば多年草の残存エネルギーで生長はマシだろう。
大地は必ず森になる。
これが森羅万象であり、森とは木の集合。
草原を制するのは最終的に木しかないのだから、樹木類で草の猛攻を制して生物多様性を早めればよい。
凄まじい生長エネルギーを持つ笹竹類は樹木に匹敵、これらも活用すればよい。
竹類は果樹と違って生産性、利便性がなさそうだがそうでもない。
管理すれば防風林や生垣として使え、それを活かせばつる性果樹や豆類の永久支柱にもなる。
つまり、防護性だけでなく利便性も生産性も十分なのだ。 視点次第で大迷惑は大歓迎
になるだろう。
現農業のように耕すことが前提なら竹の根の駆逐は困難だが、耕さないのだから気にならない。
草刈りも若竹刈りも似たようなものだが、若竹のほうがはるかに楽。 最大の利点は竹の生長エネルギーが利用出来ることだ。
開墾農園はその実験場となり、琉球竹に覆われるトカラ列島では竹が力強い味方になる。
パッションフルーツやシマサルナシのつるは竹同士を繋いで固定、台風銀座における強固な防風林にもなるだろう。 竹に囲まれた果樹園、野菜園が出来る。
現農法は土作りに始まり農産物を作る。
協生農法のはじまりはそれらを作ることではない。
そもそも、科学も及ばない超高度な物理的仕組みを持つ表土も農産物も、人間に作れるものではない。
作ろうとしたから余計な労力で農業が衰退したのだ。
作れると言うなら、人工知能ロボットのように、自ら考えてパーツを作りながら育ち花や実まで作る植物ロボットを一から作ってみればよい。
出来ないのは、地球生物の大先輩である植物が、誰の手も借りず「勝手に育つ仕組み」がさっぱりわからないからではないのか。
生命がわからないから間違え、そのツケが環境だけでなく人間の健康、それに関わる動物にまで回って来るのだ。修正出来ればそれらの問題は一掃されるはず。
人知は自然界には到底及ばないのだからもう少し謙虚に学んだほうが良い。
協生農法とはその地に合った生態系を築くことであり、それらの環境なくして満足な農産物は望めない。
2年、3年かかっても一度築き上げれば生涯の財産になるだろう。
どうすれば生き物も人間も共に生きられる生態系が築けるのか、そこに人知を使うべきではなかろうか、地球の為にも。
野人原人もいまだ研究中であり終わりは見えない。
手っ取り早く耕し、肥料の力で大きくするのではなく、時間をかけて築き上げる生き物達の桃源郷のほうがはるかに面白く、やりがいもあるのではないかな。
そうすれば後継者も育ち、新たな就農希望者も増え、過疎化問題は解消する。
暮らしの利も大切だが、未来に希望がなければ誰もやれない。
生き物はパワースポットを必要としない
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