これ一個で スタッフ5人の賄いランチ
むー農園の焼肉レタスが巨大化している。
農園を解体して果樹を移動した跡に蒔いた種が発芽したものだが、砂漠のような赤土交じりの表土で何故育つのか。
農業は土作りから始まると言われるが、その必要もない。
木力とは木のエネルギーであり、掘り起こした跡だから木の残存エネルギー。
マリンビレッジでは葛の根を撤去した後の土でトマトが12月半ばまで実を大量に付けていた。
茶の木をユンボーで間引きした後の剥き出しになった山肌の赤土は、肥大化した野菜マルチになった。小松菜もそうだがラディッシュの大きさは尋常ではない。
これらの生長は表土が出来上がった通常の協生農園とは比較にならないほど早い。
肥料を使わないのが協生農法であり、理由は「残存エネルギー」の違いしかない。
何度やってもこれと同じことが生じる。
このエネルギーの特徴は、翌年まで持続しないと言うことであり、持続させるには工夫が必要になるが、膨大な残存エネルギーは消え去るものでボーナスのようなもの。
草を掘り起こしてもこのようにならないことから、残存エネルギーは草が進化した長寿の木から得られる。
次が多年草の大株だろう。
混生した果樹の付近では野菜がよく育つがこれほどではない理由は、残存エネルギーではなく、木のエネルギーの影響、つまりおこぼれを受けているからだ。
果樹を掘り起こせばよく育つだろうがそういうわけにもいかない。
そこで登場するのが笹竹類だ。
この笹竹と上手に協生させればおこぼれではなく残存エネルギーの持続的利用が可能になるはずだ。
竹を何時刈るか、根をどのように活かすかで決まる。
開墾農園では根を撤去していないにも関わらず野菜は立派に成長。
これは農業の非常識ともいえるものだが、植物は砂利だろうがコンクリートの隙間だろうがエネルギー源さえあれば問題なく育つ。
エネルギー論が協生理論であり、それを活用したのが協生農法。
植物にとって過多肥料分は地上への廃棄物に過ぎない。
砂漠地帯でいくら肥料を与えようが上手く育たないのは基礎動力に欠けるからであり、ブルキナファソの例がそれを示している。
生態系なくして植物は育たず、砂漠化はさらに進む。
各国が農業支援しても表土の荒廃が進むのは、農業以前の基本的な道理が抜けているからだ。
竹のエネルギーを活用した協生農法はこの農法を創設した時からのお野人のお彼岸・・いや、お悲願。
皆さんがため息をつくようなあの開墾農園の竹ジャングル・・
しかし・・お野人
「宝物がやっと手に入った」と大喜び
1%の可能性どころか500%の可能性だな。
常識人から見れば狂人になるだろうが、そのうちわかるだろう。
バカと言われようがアホと尊敬されようが気にならない。 結果で示せばよいのだ。
6月2日にベリー講習会があるが、この焼肉レタスの観察会、試食会もやるか・・
食いたい人いらっしゃいね
崩れ行くガラスの常識5 2015年
https://ameblo.jp/muu8/entry-12016543273.html
人は何故困るのか・・
何処かで間違えたから困るのであり、間違えなければ困らないし対策も必要ない。
自然界はすべてそのようになっている。
国家政策の間違い、学問の間違い、産業、個人認識の間違いが悲惨な現状を生み出した。
野人と原人は、機械文明はともかく、人類が間違えてどうにもならない健康、環境、食に関する生命文明を本来の形に基礎から築き上げようとしている。
野人の思考をそこへ導いたのは、ヤマハへ入社間もない「じいさま」の言葉だった
お野人 直轄特務員という奴隷・・ 電話一本で辞令関係なく移動
連載東シナ海流12 1%の可能性 じいさまの言葉
「世の中、これだけ人類の文明が栄えたのは不可能に立ち向かった男達がいたからだ、人からバカ呼ばわりされて、それでも針の穴のような可能性を何年もかかってこじ開けたからだ。だから空も飛べたし海にも潜れる。大勢の人間は、それらの男達が生涯を費やして積み重ねた恩恵を受けながら、さらに未知の世界へ立ち向かおうとする男をバカにする、常識外れだと・・お前達はそんな人間にはなるな」
生き物の体も、大地・田畑同様に異物投入を続ければその精巧な仕組みは破壊され悪化する
投入を続ける程、元には戻らなくなるのが道理。
むー農園 山菜の復元力
https://ameblo.jp/muu8/entry-12373803974.html
食いたくは・・ない お野人 肉食だし