人は個性が異なるのが当然であり、個性に自分の物差しによる判断、好き嫌いなどの感情も野人は持ち込まない。
好き嫌いはあっても当たり前なのだろうが、子供の頃からほとんどそれがない。
生き物にはそれぞれの社会があり、個々の心があるからであり、それを尊重している。
だから人と競うことも争うこともなかった。
それがそのままの形で、他の生き物とも対等に対峙している。
物事の道理、物理には成るべくして成る「当たり前」があるが、思考に当たり前などない。
間違った理論、常識などは躊躇なくバッサリ切り捨てるが、人の判断、考え方、行動には
「こうするのが当然だ」「こうした方が良い」など、余計なことは言わない。
聞かれれば自分の考えを伝えるが、人の心、思考にはノックして入る。
招かれたら入る、それがマナーだろう。
どうするかは当人が判断すれば良い。
マナー不足は対人関係においてトラブルの元だ。
人は心の中に土足で踏み込まれることを嫌うが、思いが強いほど気付かないうちに人の心に土足で踏み込むことは多々ある。
その度学べば対人関係は快適になるはずだ。
気付かなければやはり同じことを繰り返してしまう。
人から教わったわけでもなく、哲学書なども読まない。
知恵は先人から大いに学んだが、生き方は学ぶものでもなく自ら考え決めること。
ランボー・・いや、乱暴だった野人の歴史は・・懺悔の歴史だな。
争う心 争わない心
http://ameblo.jp/muu8/entry-10100087442.html
たった1人の武士道
http://ameblo.jp/muu8/entry-10088927399.html
武器よさらば 野人最後の棒術
ブルース・リーの哲学3
http://ameblo.jp/muu8/entry-11319976448.html
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