エピキュリアン料理とは 1 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

エピキュリアン料理とは、ヤマハ発動機、ヤマハリゾート創業者、川上源一の哲学理念から生まれた料理だが、ごく当り前の料理の事を言っている。

昨日紹介した大前研一さんの「あそこの草を食ってみろ」の冒頭にもある・・


川上源一さんはグルメという言葉が嫌いで、

「高級食材を扱えばいいというものではない。その土地でしか手に入らない旬の素材を工夫して美味しく料理する。それがエピキュリアン料理である」

と、食に関しても独自の考え方を持っていた。

エピキュリアン料理の本まで書いている。


書いてある通り、エピキュリアン料理とは難しく考えるまでもなく普通の料理なのだ。

独自・・とは言っても独自と思えない人が大半。

ただ、一般とは「普通」の定義が異なり、理がはっきりしている。


普通の料理もじいさまが唱えれば高級料理になってしまい神格化され本にもなった。

手間のかかる料理だから1万円以上・・?見た目も派手・・調理技術料だな。

バカバカしいと思いながら野人はヤマハの料理人達と付き合って来た、お友達だし・・


とにかく伊勢エビやアワビを出すと叱られるのだから料理人はたまったものではない。

大勢が野人の元へやって来た。

鳥羽国際ホテル、合歓の郷などの総料理長や部門長達に野人は釣りを仕込み、魚とは何かを教え、山菜や木の実も教えた。

食べた事がない珍しい食材と言えば「ゲテモノ」に近いように思えるがそうではない。


魚介類は市場に出回らないもののほうが圧倒的に多い。

不味いからではなく、単なる知名度がないか、量が少なく流通に乗らないからだ。

その気になって勉強すれば抜群に旨い食材はまだまだあるのだが、それをやる料理人がいないのだ。

早朝に定置網に行けば、捨てるような雑魚、小魚、そのような食材はいくらでもあり、不味いから捨てるのではない。


食材を買い求めて料理するのが通常で、売ってないものを探し求める料理人は稀だ。そこまで仕事の範囲には入っていない。

業者に食材を持って来させるのではなく、自ら走り回って集め、客をもてなすのがご馳走。

こんな素朴なものがこんなに美味しく食べられた・・と、お客様に感動を与えるのがもてなしの心であり、腕を振るって美味しい料理だけを作ればよいというものでもない。


会社、工場、学問など効率を求めて分業制になったが、じいさんは料理に分業を求めてはいなかった。

食べ物を総合的にとらえれば「調理」はほんの一部、

食材のすべて理解しなければ本来の食べ物を人に提供出来ない。

だからじいさんは、市場にも釣りにも野山にも行かない、食材に関心も遊び心もないリゾートホテル支配人、料理人は駄目だと言い切った。

一般的なホテルマネージャー、料理長は必要としなかったのだ。


来るたびに強烈なカミナリが落ちるのだから彼らは生きた心地がしなかっただろう。

野人には、じいさまが好み求めるものが手に取る様にわかっていた。

モノによっては・・いらんことビックリマークせず、無造作に皿に盛り、ツバドキドキ付けて出せばよいのだ。

食べ方・・あまりお上品ではないのだから・・


続く・・


孔雀・・食ったか?

http://ameblo.jp/muu8/entry-10106319497.html
川上源一愛用の包丁
http://ameblo.jp/muu8/entry-11065996378.html




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