石器時代の食生活 3 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

漁業が広まるまで長い時を要し、それでも現代のように魚貝の馴染みは薄かった。

近代まで、京都に運び込まれた活魚が水気さえあれば2日でも生きるハモしかなかったように、農産物と違い優れた運搬冷蔵技術がなければ海の活魚貝は内陸部までは届かない。


「食は生」これが地球に住むすべての動物の基本であり、加工、加熱、調理、冷蔵、塩漬け、干物、発酵、燻製、保存技術などは文明がたまたま生み出したものだ。

生で食べられないものはその種本来の食材ではなく、量も十分でほぼ周年食べられなければ主食には成り得ない。


収穫期が同時期に集中、貯蔵、加工、加熱が条件の米や麦などの穀物、つまりご飯やパンやパスタは人間本来の主食ではなく文明食であり、人間の食性から見ても大きく外れている。

さらに人が肥料で作れば食性だけでなく食材性までも外れ、それが病の最大の原因と説き続けた。

流通する穀物と野菜を中心に食事を組み立てる限り、何を体に摂り入れようが問題は解決しない。

植物の仕組みを承知して上手く付き合えば良いのだ。


誕生以来何万年も体の機能を維持して来た本来の食材が「まったく入らなければ」体も精神も維持出来ない。


野人もご飯は大好きだが、美味しいかどうかは食性食材性とは関係がなく、加工食品も大変美味しい。

そもそも美味しく作るのが加工食品であり、美味しくなければ売れない。


人はイルカやラッコやカワウソのように海や川で捕食出来るように体が順応していない。

人知が生んだ「道具」がなければたいした海の獲物はとれず、道具が進化しなければ主要食材にも成り得ない。

浅瀬を囲み、追い込んで捕獲出来る川魚のほうがはるかに楽だった。


貝や甲殻類の生の旨味は生肉より優れているが、自然死した貝は必ず食当たり、人はハイエナのように腐敗した肉や魚にも対応出来ない。

石器時代から縄文時代、海の側に住んだとしても魚貝類は十分に獲れなかった。

優れた釣り具漁具があってこそ海上からの漁は出来、水中での視界が効くことが潜水漁の最低条件、水中眼鏡、ゴムモリがあってこそ魚も突けるしアワビもとれる。


三重県の遺跡の大半は川の中流域から上流域の山の麓であり、熊野までの遺跡は、たまたま山のふもとが海岸線だった。

綺麗な水と食料を求めて人はそれらの地に拠点を構え、これらの立地条件から考えられる石器、縄文時代の主な食糧は「肉と木の実」しかなく、周年獲れる肉が主食であり、木の実は季節の恵みでナッツ類は保存も利く。


同じ植物でも改良された野菜の前身「草」は木の実と違い毒の判別は不可能根菜も含めて毒やアクや繊維質で完全防御、草食動物のように個々に特殊な機能を持たなければ消化出来ない。

人の味覚の大半は木の実の判別の為であり、草食動物も肉食雑食動物も鳥も昆虫も木の実を好んで食べる。

樹木の幹や葉は有機製造に欠かせないが、木の実はそもそも動物に食べさせ運ばせるもの。


海沿いの湿地帯や平野、河口付近に多くが住み着いたのは、狩猟採取を必要としない「農業 稲作」が波及してからの事であり、魚介も豊富で首都になった江戸の町も16世紀になって湿地帯を切り開いたものだ。

古代人は、現代人にとって便利な東京では生きて行けなかった。


ハマグリやアサリだけで食卓は満たせず集落は出来ない。

史跡が示すようにたまたま海岸近くに住み着いた人が「その他食材」として掘って食べる程度だったから史跡の割に貝塚が少なく、内陸部までは到底及ばない。


野人が食糧の豊富なこの地に住み着いたのも、便利な船や車、モリや水中眼鏡や釣り具の活用が前提だ。なければ・・他の方法で、かろうじて1人が生きて行ける程度だな。

それも、これまで積み重ねた学問と技術の成せる技に過ぎない。


美味しくてたまらない海の恵みは人の知恵の産物なのだ。

マグロもイカもエビもズワイガニも・・

アジもイワシも 猫も喜ぶカツオブシドキドキ


続く・・ 次回最終 まとめ


思考の盲点 野菜と健康4

http://ameblo.jp/muu8/entry-11574259640.html

毒性と食性の関係式

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食性と食材生の関係式

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重要な古代食 シバグリ

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