食性と食材性の関係式 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

今では穀物野菜果物は周年出回り、先進国ではいつでも手に入るようになった。

それが当たり前、常識のようになってしまったが、つい数十年前までは季節の青果しか手に入らなかった。

当時からすれば冬にトマトやキウリが、真夏に白菜大根など考えられず、年中好きな果物が売られるなど非常識なことだったろう。


さらに江戸時代以前にはそれら野菜果物の大半は日本には存在せず、奈良時代以前には米以外はまったくなく、あるのはフキとワラビと渋柿程度だ。

人間本来の食性を考え、答えを出すなら現在の野菜穀物は最初から除外される。

存在しないのだから、何万年も生き抜いて体を維持し続けた人類の食性とは何ら関係なく、植物中心食は体の機能に対する食性も合っていない。


肉類は人類の食性には合っているが問題は食材性だ。


狩猟採取の小規模集落スタイルは変わらず、長年にわたり人口は安定していたが、急激な増加をもたらしたのは農業畜産。

穀物量産、毒性を持つ野菜根菜類の品種改良、肉の安定供給などが原因だが、植物を食べられるレベルにまで改良、量産を可能にしたのが一番大きく、小麦、米、トウモロコシ、イモ類が主食の大半を占めている。

今は穀物なしでこれほどの人口は養えず、穀物によって生かされているとも言える。


農薬が、添加物が、あの成分が良くない、あれが体に良いと魔女狩りや善玉菌探しを続けて数十年だが、結果も出ず、むしろ健康悪化の一途をたどるのは視点が間違っているからだ。


大切なことは人類の食性が合っているか、それらの食材は完全な自然界のものか、この二つではなかろうか。

つまり、本来「肉食か草食か」は基本的なことであり、うやむやにすべきではない重要なことだから野人は道理をもって書き続けた。

あまり深く考えることのない自然界の動物は、例外なくこの食性、食材性は完全。

唯一、深く考えた人類だけがどちらも間違えている。


好みは人それぞれでも、食性は人それぞれなど曖昧な答えはない。

人類の食の本質が肉食中心の雑食なら、穀物野菜中心の現在の食スタイルは食性から外れている。

外れれば、色んな問題が起きるのは当然の道理。


食性と並んで重要なことは、食材が理に適っているか、肉はどうなのか、穀物野菜果物は自然界の道理に合ったものかだ。

自然界の理から外れた穀物野菜果物を中心に、主食の肉までそれらの植物同様に肥大させれば、食性、食材性、共に間違っていると言える。

それが世界中でいまだに解決出来ない多くの病の原因だ。


科学が進歩した今も人類は健康問題に翻弄され、解決の糸口さえ見出していないが、問題解決は人間の食性、食材性を守り続けた人達から学ぶのが一番だろうな。

答えは単純そのもので、他の生き物同様に研究室などいらないはずだ。


現状、出来るか出来ないは別にして、食性と食材性に合った食生活は、最後までボケず聡明、健康で心身肌共に若々しく、長寿をまっとうする条件と言える。

何を食べるかは自由、自分で決めることだが、体の仕組みはそのようになっている。



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