三重県には1級河川5、2級河川74、他193の河川があり水と平野に恵まれている。
縄文時代から古墳時代の史跡も数多く、流域沿いに点在している。
平野がない尾鷲や熊野から和歌山へかけては海の側だが、伊勢湾へ注ぐ河川沿いは中流域から上流に群生、河口域には意外と少ない。
古代遺跡と言えば古墳以外、大半は縄文弥生で竪穴住居や土器や貝塚のイメージが強い。
狩猟採取で木の実同様に女性子供でも容易に手に入れられるのが貝であり、木の実と並び「採取」の代表と思われている。
しかし、これほど海と川に恵まれた三重県で
貝塚は3カ所程度しか発見されていない。
既に発見された遺跡の数からしては微々たるもので、志摩半島などから出土している。
これから新たに発見されたとしてもこの極端に少ない比率は変わらない。
海岸線の長さは、北海道、長崎、鹿児島、沖縄、愛媛、山口に次いで7番目、古都に近く伊勢神宮を中心に古くから栄えている。
海山川の自然条件、生物の環境条件も恵まれ人が住む最高の条件を有している。
野人がこの地に定住したのも内湾、瀬戸、外洋と魚貝類の種類は世界一、木の実山菜、動物鳥類が豊富で、自力でエサが獲れ、優雅に生きて行けるからだ。
桑名から伊勢までの海岸線のほとんどは砂浜で、かっては地曳網、河口や干潟を干潮時に掘ればアサリやハマグリやアオヤギがどっさりとれ、今も貝は漁業の主流を占めている。
外洋に面する鳥羽から志摩半島、紀伊半島の熊野までは山が海岸線まで迫り、岩場が多く有数の漁場、魚やイカタコだけでなく今もアワビサザエ伊勢海老漁が盛んだ。
にもかかわらず、何故これほど貝塚がないのか・・
頭を悩ませることなどない、元々そのようなものはほとんどなかったのだ。
古代において貝がさほど重要な食材ではなかったことは史跡が示している。
何故、貝塚がないのか、何故重要ではなかったのか、思考の起点と順路次第で簡単に答は出せる。
これ以上調べる必要もなく、よく考えるほどでもなく、難しく悩む必要もない。
縄文遺跡から釣り針やモリや丸木舟などが出土して入るが、古墳時代から平安時代は川魚中心。
鎌倉時代になって初めてそれで食べて行ける海の「漁村」が生まれ、江戸時代になってやっと全国に広がった。
量と質とも今のような消費に至ったのは昭和30年代に入ってからだ。
採取ではなく漁業としての歴史は農業よりはるかに遅く、人類史から見れば近代に入る。
縄文時代は誰にでも掘れるハマグリやアサリなど砂浜の貝が中心で、アワビなど潜水技術、道具を要する貝や、まとまった魚介類は鎌倉時代以降だ。
続く・・
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海は未知の生物だらけ
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