無機物質も有機も意思を持つ心もすべては見えない微粒子から出来ている。
人類は見えない電気を文明の頂点として栄えて来たが、電気も見えない世界には違いない。
見えるものよりも見えないもののほうがまだはるかに多く、科学がそこへ行き着けるかどうかもわからない。
生命にも同じ道理が当てはまり、科学の産物よりはるかに高度な仕組みがそこには存在する。
個々の細胞はもとより、各部署、臓器ごとに意思と判断力を持っている。
体である有機細胞の集合体全体を指揮するのも生命であり、異なる奏者が集まるオーケストラ同様に指揮者は1人、それを心と呼ぼうが魂と呼ぼうが意識と呼ぼうがどちらでも良いことで、物理的な仕組みが重要なのだ。
指揮権が及ぶのは体を動かす筋肉であり、各部署、臓器までは及ばず意のままにはならない、それが生き物の物理的な仕組みだ。
心なくして体は意のままに動かせないし、心や意識がないと言う人もいない。
心、意識は科学の頂点と似たような電気であり、同じ電気でも生命を有する電気。
脳から脊髄へと続きそこから四肢を動かす電線が神経であり、脳や脊髄が破損すれば指揮は断たれる。
生命の電気と指揮に消費する燃料に当たる電気があり、燃料を使いきれば補充が必要になる。
疲れて眠くなるのは体ではなく意識、心であり、生涯勝手に動き続ける心臓などの臓器や筋肉が疲れるはずもない。
体を動かすのも脳の機能を駆使するのも同じように電気を必要とし、意識は自らの電気を使い続けると消耗、バッテリー切れのようになる、それが眠気だ。
燃料電気は睡眠で空気中から充電出来るが、生命の電気は生命から必要とする。
その違いの詳細な部分まではわからないが、知り得る限りのことは「魂の行方」に連載した。
中断して「行方」までに及んではいないが、そこまで書くべきかどうか迷っている。
生命の仕組みが壊れた状態が病であり、その症状が体のどの部署に表れるか、代謝センサー、精神に表れるかも個々異なる。
指揮官である生命の不調は、睡眠から得られる燃料電気ではどうにもならないことから上記の仮説が生まれ、その視点で長年研究、万全とは言えないが他の方法で証明出来たので確信を持った。
生命の仕組みは複雑であり人知も遠く及ばないが、そこまで思考を伸ばす必要はなく、たとえ1種類でも生命力のある自然界の食べ物を摂っていれば起きる問題ではないのだ。
数知れない「心身の多様な病の原因はたった一つ」であり最も基本的なこと、だからこそ個々に研究しても原因が究明出来ないのだ。
「人間以外の生き物すべてがそれを証明」しているではないか。
協生理論で解けば簡単にわかる。
これまで何度も書いて来たが、成分養分などは健康とはまったく関係がない。
たとえアザラシの肉だけでも、野菜なしでも十分だと言うことだ。
今の人知が改良した食べやすい穀物野菜は元々自然界になかったもので遺伝子にも組み込まれてはいない。
人類史からすれば歴史も浅く、近代野菜に至っては微々たるもの、楽しむのは構わないが人間の食の本質からは除外される。
体力の維持はやや困難だが、病の解消を目指すなら手に入りやすく理想的だ。
成分養分に固執、「不足理論」を展開する限り病を克服出来るはずもない。
薬品もサプリメントも健康食品も「足す」ことで病を抑え込み、原因を排除するものではない。
仕組みを跨いだ「自然 天然」と言う言葉が独り歩き、人間循環とも言えるエゴな道理は森羅万象の仕組みとはほど遠く、病の大半は人知が招いた人災と言える。
はるか先を読む脳を持つ人類は死と病を恐れ、病にかかれば対策を、かからなくとも予防に励む。
病の数は限りなく、原因も限りなく玉虫色、対策は星の数ほど、理のない健康の常識や健康食品、健康器具は氾濫、その中から人は手探りと感性で予防対策の道を選ぶ。
どの道も多少症状の緩和はあっても目的は完全に果たされない。
間違いは数千年間続き、近代数十年でさらにエスカレート、魂の嘆きも世界中に広がっている。
嘆きを続けるのも止めるのも人間次第、難しいことではない。
続く・・
やじん・・老骨に
あまり痛くないヒモ打って頑張るが・・
数千年の農業の歴史と世界の科学の壁は 重く厚い
長文・・ 気を使う内容
書き疲れた 親父ギャグも 出ない・・な
たましい じゅうでん~
このお話は再開までしばし・・お休憩
関心ある人は「魂の行方」を・・
活性酸素から身を・・守る?
http://ameblo.jp/muu8/entry-10542391382.html
テーマ 生命力気の科学
魂の行方1 未完 全9編
http://ameblo.jp/muu8/entry-11098241971.html