ヤマハ時代からの友人で、毎年野人に雉と雉のタマゴを献上してくれていたキジ男が逝った。
一昨年5月に「キジ男のキジタマ・・」として紹介したが、タマゴかけご飯が大好物の野人の為に毎年大量のキジのタマゴを夫婦で持って来てくれていた。
年末にも必ず正月用のキジを届けてくれた。
昭和40年代に川上源一の指示で始まったキジの飼育はこれで終わった。
古くは鳥羽国際ホテルでエリザベス女王をもてなした「クイーンズディナー」、皇室にも毎年のように献上していた。
ブロイラーは数カ月で出荷するが、このキジは早く太らせず、開発した独特のエサで1年かけて平飼いで育て、他の飼育キジに比べてはるかに野生のキジの味に近い。
川上源一が完全に引退して数年後、ヤマハはキジやホロホロチョウやアイガモ、猪豚や鹿の飼育を止め、牧場を閉鎖した。
野人がマリーナ、全スポーツ施設、果樹農園の支配人をやっていた頃だ。
牧場も引き受け、必ず黒字にすると本社に陳情したが遅かった。
同時に退職したキジ男は、キジ数羽と処理機械を払い下げてもらいキジの飼育を始めた。
周年タマゴを生む鶏と違いキジの産卵期は限られ、孵化させるのも難しい。
今回も野人はキジの飼育を存続出来なかった。
主なきキジの飼育を引き受け、川上源一とキジ男の意思を継ぎたかったが今の野人には力不足。
せめて雌雄2対のキジをマリンビレッジで飼って種を存続させたかったが断念した。
キジは養鶏業者が処分、すべて廃棄されることが決まっていたが、それだけは我慢ならなかった。
廃棄されるくらいなら自分の手で処理、美味しく食べてあげることにした。
これまでは自らの手を汚さずキジ男がやってくれていたが、キジを食べたいならそれが本来は当たり前のことなのだ。
半分のキジを自分達で処理して買い上げることに決め、しげちゃんのりちゃんを引連れて早朝から鳥小屋へ向かったが、このキジを使い続けていたイタリアンシェフやフランス料理のシェフも参加、それにヒマな茶屋人も加わった。
さらにキジ男の奥さんと娘さんも手伝ってくれた。
大半は野人がキジを絞め、残りはしげちゃんが初チャレンジ、イタリアンシェフはキジを押さえるのを手伝ったが、茶屋人は・・処理場には近づかず・・ひたすら毛をむしった。
1匹だが、自ら処理したのりちゃんは・・偉い。
のりちゃんは内臓を取り出し、肝、心臓、砂肝は二つ割にして掃除していた。
野人は心の中で「南無阿弥キジ・・」と言いながら黙々と仕事を続けた。
しげちゃんもそうだっただろう。
最後に1人キジ男の仏前で手を合わせ、奥さんとしばらく談話していたら・・
「ありがとう・・しかし処理が雑だな」と
・・キジ男の声が聞こえた。
キジ男のキジタマ・・
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キジの丸蒸し かぶりつき
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キジのすき焼きでVサイン
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