野人顔写真 訃報新聞に載る | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

野人の顔写真、訃報新聞に載っていた・・このブログまでが。

う・・急に・・息苦しくなってきたぞ

読者ともそろそろ別れの時が・・


訃報新聞などと言うのは著名な人が載るもので、野人ごときが出る場でもない。

便乗だ・・おまけで・・載っていたのだ。

ネットで調べごとをしていたらこの訃報新聞に行き着いた。

川上源一氏 ヤマハ発動機創業者(日本)亨年90歳・・とあった。

野犬のような野人を拾って育ててくれたじいさんで2002年に亡くなった。

用心棒やっていた野人の思考回路はこのじいさんの影響が大きい。

東シナ海の戦場を与え、知力と体力と本能を極限まで磨かせてくれたのはこのじいさまだった。

海の分野を引き受けながら植物を学び、じいさんの残した数ヘクタールの広大な果樹農園と数万坪の自然林も引き継ぎ、埋もれた遊歩道も復元、地の利をそのまま活かした数キロにわたるビオトープ(水生の沢)も3年がかりで完成させた。

協生理論、協生農法はじいさんのおかげで生まれたと言っても過言ではない。

関連画像8枚の内7枚はじいさんだが、8枚目は何故か・・やじん・・・西郷隆盛みたいな恰好。

雰囲気からして、じいさまの近衛兵、SPみたいだな。じいさんごめんね、こんな場所までお邪魔して・・・


8つの関連書籍の下に20の関連情報があるが、下から2番目に野人エッセイすがあった。

タイトルは「川上源一愛用」の包丁だ。

朝にはあった野人ブログは何故か夕方には消えていたが、この記事でまた出てくるかも。

写真もそのうち消えるだろう。

なんで・・写真やブログまでじいさまの聖域に割り込んだのかわからんが、あの世まで付き合え・・と言うことか。

それも仕方ないな、じいさんがいなかったら読者も野人エッセイすを読めなかったはず。

連載東シナ海流の熱烈な読者の皆様、この機会にじいさまにお礼・・言いましょうね。

ついでに・・半分書いて続きを書かない野人を責めましょう・・・

遺品の包丁をいただいた川上浩さんの奥様、つまりじいさんの娘さんからも・・

「楽しみにしていたのに残念」・・と、催促されている。

東シナ海流、いつかきっと書籍にするつもりだが、その前に後編を書かんとな。


マリンビレッジ読者が感激する野人料理は、じいさんの書籍に出て来る「エピキュリアン料理」だ。

じいさまの料理の思想を継ぐのは今では野人一人になってしまった。


訃報新聞

http://fuhou-shinbun.com/goner/okuyami1553.html


川上源一の画像

http://ameblo.jp/muu8/entry-11064735390.html

川上源一愛用の包丁

http://ameblo.jp/muu8/entry-11065996378.html

護身術の真髄9 じいさんのお咎めなし

http://ameblo.jp/muu8/entry-10807208668.html

ホラを吹けないじいさん・・・尺八だけ

http://ameblo.jp/muu8/entry-10657274971.html

「仕方ない」はあきらめの言葉

http://ameblo.jp/muu8/entry-10277981501.html

懐かしい人からの電話

http://ameblo.jp/muu8/entry-10215822767.html


やじんの腕とじいさま と・・おサ・カ・ナ 音譜
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東シナ海流の始まり 24歳
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日本列島最後の秘境 ガジャ島

http://ameblo.jp/muu8/entry-10088011918.html