言葉と仕組みの違い3健康と野菜 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

人は健康の仕組みを知らずして健康を取り戻す為に奔走し、野菜を知らずして毎日のように野菜を使いこなしている。

自ら判断することなく宣伝を鵜呑みにして健康食品、器具を買い求め、運動に精を出す。

野菜の成分養分に固執し、規則正しい食生活などと何の根拠もない習慣に振り回される。

そもそも人はカロリー計算や減塩や脂肪や糖分の摂り過ぎに注意などと、そんなものが必要な生き物なのか、自然界の他の生き物と比較して考えて見れば良い。

バランスよく規則正しい食事や成分抽出など人類進化の過程にはない。

そんな理も解もないことに振り回される前に、何故そうなったのかを考えるべきだろう。

対処法などは元々必要なく、それらは人が作り上げたバブルのようなものなのだ。

自然界の中でそのままに他の動物と同じように生きていれば仕組みなど知る必要もない。


世の中のすべての仕組みを知ろうとすれば何度生まれ変わっても足りない。

何度も言うようだが、自分が深く関わるものだけで良く、その判断が第一歩なのだ。

サッカー選手やオリンピック選手になろうとするなら、単に技術やルールだけは済まない。

車を運転しないなら自動車学校へ行って学ぶ必要もない。

野菜は毎日の必需品のような大事な食品で、家族の健康を考えながらお母さんは毎日のように苦労している。

つまり主婦が日常最も使いこなしているものなのだ。

一番健康と密着した野菜(植物)は自然界の循環の基盤となるもの。

それを成分養分ミネラル酵素や料理の工夫ばかり考えても、全くとは言わないが健康とはあまり関係が無い、有機や無農薬野菜でも同じことだ。

結果から言えば皆と同じように大差なく病気にかかっているはず。

野菜とはそもそも何だ? 植物とは何だ? 自然循環の仕組みは?・・と順を追って道理を解き明かせば、植物である野菜の本質にたどり着けるだろう。

そうすれば流通している野菜は本来の植物とはまったく別物だと言うことが簡単に理解出来る。

「動物に植物は必要ない、人は人が作った野菜で良い」と言い切れる道理を持つならそこまでやることもない。

この簡単な物理の問題は、「野菜とは植物であり当たり前、深く考える必要もない」と言う思い込みから来るおかしな常識の象徴とも言えるものだ。

だから最も大切な仕組みを飛び越え、残留農薬ばかり注目、化学肥料を敬遠、有機や自然栽培に目を向ける。

自然栽培もまたそれぞれの感性で、自然と言う言葉に無数の捉え方があり氾濫しているが、自然の仕組みを全て知ろうとすれば生涯かけても足りないくらい複雑な仕組みがある。

感性で捉え、言葉で飾り、そう信じるのも自由なことだが、確かなことは、自然界が完全な物理で成り立つ以上、答えは幾つもなく一つしかないと言うことだ。


続く・・



薄れゆく医食同源

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農業と食と医療の類似点

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