言葉と仕組みの違い2生命の仕組 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

人は日常的に仕組み、道理を無意識に使いこなしている。

「行動」はすべてそれに当たり、理で行動し、口を動かしているのだ。

そして考えた通りの満足する答え、結果を得られる人もそうでない人もいる。

スーパーでの買い物では8百円の買い物をして5百円玉を出す人もなく、千円で2百円のおつりをもらう、人によって考え方が違うこともない。

これは誰が考えても同じ答えしか出ない単純な道理だ。

これらは人間がとり決めた事だが自然界は完全な道理で成り立っている。

だから数学や物理学は自然界から生まれたのだ。

1匹・・2匹・・と数えるところから算数は始まった。

数字も匹や羽や本や個もまた人が便宜上とり決めた数式と同じようなものだ。

言葉も不自由な頃は手の指は10本しかないから獲物を数えるのも苦労したことだろう。

リンゴが落ちれば引力、用途によっては重力と呼び、言葉は簡単だが仕組みはそうでもなく宇宙の仕組みにまで及ぶ。

個人の感性、考え方は自由でも社会は数学物理で成り立っている。

自らの行動の結果もまた数学物理の答えと考えれば良い。


これまでに常識の矛盾をこの道理で数十件くらいは覆してきたが、健康環境問題が悪化した原因となった言葉は、健康、自然、野菜などだ。

これらは一言では表せないくらい奥深い「仕組み」があるものばかり。

毎日のように意識して使いこなすものだが仕組みを学ぼうとする人はほとんどいない。

健康とは心身が完全な状態で、それを維持するには気が遠くなるような生命の仕組みがあり、治癒力もまたその仕組みの上に成り立っている。

自然治癒力が落ちたから病気になったのだからその治癒力に期待しても意味はない。

自然とは絵に描いたイメージでも個々の捉え方でもなく、生涯かけても知り尽くせない程の完全な仕組みがある。

数百年を要して森羅万象から生まれた孫子の兵法にもあるように、「知っている」ことと「使いこなせる」ことはまったく別のもの、言葉だけで知ればなおさらだろう。

いくら言葉を多く覚えても使いこなせるものでもなく、「健康、自然、野菜」などはこれにあたり、「理解」とは程遠いものだ。

これらの仕組みの基盤となるのは植物であり、野菜もまた植物に変りはなく、健康もそれらの仕組みの上に成り立っている。


「人は自然界の一部に過ぎない」は常識でも、何故そうなのか理解することが大切だ。

地上すべての生き物が生きて行く上で植物は最も重要なものなのだ。


続く・・