言葉と仕組みの違い1錯覚 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

言葉と仕組みには天と地ほどの違いがある。

この違いを言葉で表せば誰でもわかるほど簡単で、わざわざこうして書くこともない。

この関係には大半の人が気づかない盲点があり、そのことが全ての災いの元だからこうして記事にした。

長くなるので9回に分けて記載する。

関心のある人はすべて読み終え、あらためて最初から読み直せばわかりやすいだろう。


人は物理的な仕組みを意味することを言葉として覚え、理解したと錯覚を起こす。

言葉の使い方やニュアンスによる勘違いも多いが、長期にわたりダメージを被るのがこれにあたる。

たとえば「車」と言う言葉や形は誰でも知っている。

しかし車を運転するには自動車学校へ通い、その仕組み、操作方法、交通法などを学ばなければ路上での運転は出来ない。

運転出来ても、操作の誤り、あるいは不注意が事故を招く。

見て聞いて形で「覚える」ことと「使いこなす」ことの違いはここにある。

同じようなことは身の回りにいくらでもある。

パソコン、野球、サッカー、編み物など挙げればきりがないが、それらは判別の為に便宜上短縮した言葉に過ぎない。

早い話・・結論を・・は場合によっては難儀を背負い込むことになる。

理解とは字の如く理を解することであり、心の納得ではない。

数学の答えが、それぞれの心の納得で答えが無数に分かれることがないのと同じだ。

公式や答え、練習問題をいくら苦労して覚えても何の役にも立たないし、身に覚えのある人もいるだろう。

数学や物理学は物事の考え方の順路を数式で表したもの、いくら数式を暗記しても応用問題は解けない。

考え方は道理であり、道理がわからなければ数式と言う道具は使いこなせない。


続く・・