ひるがえってせんせいの戦いをおもうに、濁れる安易を捨てて末寺住職と決別し、前途多難を御覚悟の上でみょうしんこうを発足された事。
 また、死罪に等しい解散かいさん処分しょぶんや公権力による不当なる弾圧等あらゆる困難をえ、遥拝勤行によるしんほうを全国規模で展開され、ついに、三百万にならんとするぶつの大集団を築かれた事。
 さらに、二度の一国いっこく諌暁かんぎょうの他、一億部をゆうに超す広告文や毎月の特集号をもってざい以来のスケールでにちれんによりてほんこくはあるべし」との重大じゅうだい御聖意を一国いっこくに顕わされた事。
 そして、御逝去の5か月前、体力のおとろえがうかがわれる中、えて愛媛会館御入仏式を強行される等命尽くまで戦われた事。
 このあさせんせいの66年の激闘こそ富士大石寺の源流をこう前夜の今に体現されたものに他なりません。
 かつてせんせいは叫ばれました。

 「広宣こうせん流布るふの前夜の濁乱の時に、この富士大石寺の清らかな源流は必ずよみがえる。
 また、よみがえらなければ広宣こうせん流布るふはありない。
 今顕正会こそよく日興にっこう上人しょうにん日目にちもく上人しょうにんの御精神を深く拝して、あらためて不惜身命の奉公ほうこうに立たなければいけない」と。

 私達は、かかるせんせいのお心をよくよくめ、せんせいが御逝去された折の深い悲しみの中に固めた紅涙こうるいちかいを夢寐むびにも忘れず、せんせいが命を焦がして熱願された広宣こうせん流布るふこくりつ戒壇かいだんこんりゅうに身を捨てて戦うけつを固めていきたい。
 だいたいしきせんせいさんかいほうようを終えた今こそ、全顕正会員がせんせいの御願業じょうじゅに向け大前進だいぜんしんを成してまいろうではありませんか。


令和7年 10月25日 10月度 総幹部会 浅井会長指導

令和7年 10月27日 10月度 男子部班長会 行成総男子部長指導

令和7年 11月15日 日目上人御報恩勤行会 浅井会長御挨拶