話はわります。
 先月の総幹そうかんかいいけだいさくが悪師たることを示す3つのげんしょうを示しましたが、ことに『五百万がっかいいんを救わん特集号3』の4面に掲載された写真や図表により、これまでかたくなに入会を拒んでいたがっかいいんが続々とだんしょうしんしてきております。
 正しい道理や文証を示しても分からない者にはげんしょうを示すのが一番わかりやすい。
 だいしょうにんさまは御書の至る所にげんしょうだいおおせ給うておられます。

 『きょうぎょうしょうしょ』にはいっさいげんしょうにはかず」と。
 『かんじんのほんぞんしょう』にはこれげんしょうもっこれしんずべきなり」と。
 『さんさんぞううのこと』にはどうしょうもんよりもげんしょうにはぎず」と。
 『ほうれんしょう』にはちかげんしょういてとおしんるべし」と。
 『みょういちにょへん』にはじゅうにはげんしょうり、くうにはげんしょうし」と。

 だいしょうにんさまがいかにげんしょうを重んじておられたのかが拝されます。
 いけだいさくが悪師たることを示す3つのげんしょうとは

1、にせ戒壇かいだんしょうほんどう崩壊ほうかい
2、いけだいさくあくりんじゅう
3、がっかい崩壊ほうかい

であります。これは、いかなるがっかいいんも否定できない。
 だいな事ゆえにあらためてこのさんだいげんしょうつぶさに見ていきたい。
 まず、1つ目のにせ戒壇かいだんしょうほんどう崩壊ほうかい
 しょうほんどう崩壊ほうかいだいげんしょうは、しょうほんどうを「遺命ゆいめい戒壇かいだん」と偽り、ほんぶつ一期の遺命ゆいめいを破壊せんとしたいけだいさくが悪師であること、そして、身命を賭して遺命ゆいめいを守りたてまつられたあさせんせいこそが正しき師匠であることの何よりの証拠であります。
 こくりつ戒壇かいだんこそほんぶつ日蓮にちれんだいしょうにん日本にっぽん及び全世界を仏国と化し、全人類を現当二世に救済するために別しては日興にっこう上人しょうにん、総じては門下一同に遺命ゆいめいあそばされた究極のだいがんであります。
 ゆえに『いちほうぞくしょ』には

にちれんいちほうびゃくれんじゃにっこうこれぞくす、ほんもんづうだいどうたるべきなり。
 こくしゅほうてらるれば、さんほんもんかいだんこんりゅうせらるべきなり。
 ときつべきのみ、かいほううはこれなり。
 なかんずくもんていとうじょうまもるべきなり」

おおせ給う。
 このぞくじょうに背く者はだいしょうにんではない。
 しかるにいけだいさくは、こくりつ戒壇かいだんが世間の批判を招きせんきょに不利をもたらすと見るやそれを否定し、こくりつ戒壇かいだんに代わるにせ戒壇かいだんしょうほんどうを建設した。
 いけだいさくはこのおうわくを為すに当たって、誰人も背けぬ時のかんの権威を利用してしょうほんどう遺命ゆいめい戒壇かいだんである」承認しょうにんさせた。
 悲しいかな、ほそにったつ阿部あべにっけんの二代のかんいけだいさくへつらい、このおうわくを助けたのであります。
 いけだいさくはこうたばかった。

 「『本門ほんもん戒壇かいだんこんりゅうせよ』との遺命ゆいめいも、目前に控えたしょうほんどうこんりゅうによってじつじょう達成される段階となった。
 七百年来の宿願であり、おんがんじょ以来の壮挙そうきょであること確信かくしんしてやまない」と。

 また

しょうほんどうは末法戒壇かいだんにして、宗門しゅうもんきょう誓願せいがんこれにぐることはなく、将又はたまた仏教三千余年、史上空前のぎょうなり」と。

 さらに、ほそにったつ

しょうほんどうが完成した時は、だいしょうにんの御本意も、教化のしきも定まり、王仏冥合して南無妙法蓮華経の広宣こうせん流布るふであります」と。

 そして、訓諭においてこうだいじょうしょうす」との断りを付けて

しょうほんどう広宣こうせん流布るふあかつきには本門ほんもん戒壇かいだんたるべき大殿堂なり」

いつわった。
 また、阿部あべしんのうきょうがく部長(現在の阿部あべにっけん)は

「宗祖だいしょうにん遺命ゆいめいである正法こう戒壇かいだんこんりゅうは、ほんがいじょうじゅより六百八十数年を経て現御法主・日達にったつ上人しょうにん仏法ぶっぽう守護の頭領・総講頭いけだいさくせんせいにより、初めてその実現のだいこうみょうを顕わさんとしている」

へつらい、しょうほんどうを「遺命ゆいめい戒壇かいだん」と直接に断じた。
 その他宗門しゅうもん高僧らも先を争っていけだいさく迎合げいごうし、しょうほんどうを「遺命ゆいめい戒壇かいだん」とするげんべたのであります。
 そして、いけだいさくは昭和42年10月のしょうほんどうほつがんしきから昭和47年の完成まで実に十数回、毎年毎年仰々ぎょうぎょうしいほうようを繰り返し行い、しょうほんどうを大宣伝した。
 しょうほんどう完成を記念して発刊された写真集を見ると、正系せいけいもんを覆いつくしたその異様なまでの空気を感じます。
 その中、せんせいただお一人が身を捨てて諌暁かんぎょうに立たれたのであります。
 当時、がっかい宗門しゅうもんが集めたしょうほんどうようは355億円、物価変動を考慮こうりょして現在の貨幣価値に換算するとゆうに1千億円を超す金額きんがくであります。
 このような莫大なようをもって建てられ、まして、誰人も背けぬ絶対ぜったいけんの法主と、最高権力を有するいけだいさくが「遺命ゆいめい戒壇かいだん」と位置付けたしょうほんどうを誰人が撤去などできましょうか。
 だから、せんせいおうわくしょうほんどうを撤去せよ」との諌暁かんぎょうに対し、宗門しゅうもんの僧侶はことごとく「日が西から昇るとも、川が逆さまに流れようとも、しょうほんどうが壊れることは断じてない」あざわらった。
 しかるに、せんせい諌暁かんぎょうによっていけだいさく阿部あべにっけんの間に深刻な亀裂が生じた。
 それは当時、テレビのワイドショーで連日報じられるほどしゅうあくにしてせいぜつだいこうそうへと発展し、かくてついにしょうほんどうは打ち壊されてしまったのであります。
 これまさに、だいしょうにんさまの絶大威徳、せんせい大忠誠だいちゅうせいの捨て身の諌暁かんぎょうによるものであります。
 すなわち、だいしょうにんさましょうほんどうだいおうわくを許し給わず、ゆえに、あさせんせいをして諌暁かんぎょうせしめ、諸天しょてんをして宗門しゅうもんがっかいかいほんぎゃくせしめ、ついにしょうほんどう崩壊ほうかいせしめられたものであります。
 この凡慮を絶するだいげんしょうを拝見すれば、ほんぶつ一期の遺命ゆいめいを破壊せんとしたいけだいさくこそ師敵対・だいほうぼうの悪師であり、あさせんせいこそ正しき師匠であることは明らかであります。


令和7年 10月25日 10月度 総幹部会 浅井会長指導

令和7年 10月27日 10月度 男子部班長会 行成総男子部長指導

令和7年 11月15日 日目上人御報恩勤行会 浅井会長御挨拶