しゃく謗法ほうぼう滅罪めつざいしょう』にたまわく
 いかなるみだれにも、各々おのおのをば法華ほけきょうじゅうせつたすたまへと湿しめれるよりいだし、かわけるつちよりみずもうけんがごとく強盛ごうじょうもうすなり。



 全国の顕正会員の皆さん、令和8年の新春しんしゅんあけましておめでとうございます(おめでとうございます)。
 昨年は、全顕正会員の熱誠ねっせいによりしょ誓願せいがん270万を達成したまことに意義重大な1年でありました。
 この大前進だいぜんしんによって再来年の2028年(令和10年)までのさんびゃくまんが大地を的とするところとなりました。
 その中、あさせんせいの三回忌法要において全顕正会がせんせい願業がんぎょう成就へのちかいを新たにし、また、宗門・学会へのかんぎょうにおいてだいしょうにんさまの厳たるじょうじゅうせっぽうを目の当たりにさせていただきました。
 そして「仏法はたい、世間は影」であれば、正系門家の度し難い師敵対により日本にっぽんはいよいよ亡国ぼうこくを迎えんとしております。
 ことに、昨年10月に発足した高市たかいち政権せいけんが推進する積極せっきょく財政ざいせい日本にっぽん財政ざいせい破綻もしくはハイパーインフレを招きかねず、そこに至る前に物価高がさらに更新し、国民こくみん生活せいかつはますます圧迫あっぱくされていくことうたがいありません。
 また、高市たかいち首相しゅしょう対中たいちゅう強硬きょうこう姿勢は日中関係をまたたく間に悪化させ、中国ちゅうごく日本にっぽんに対して経済的圧力をくわえると共に前例のない規模の情報戦やぐんてきかくを展開しております。
 これこそ、中国ちゅうごく内部において日本にっぽんを敵国とみなし始めた兆候と見るべきであり、こく侵逼しんぴつが早まったとわざるをません。
 本来政治家たる者は国民こくみんの生命と財産を守ることを何よりの使命とするところ、高市たかいち首相しゅしょう国民こくみん生活せいかつへの影響をかえりみずもっぱ積極せっきょく財政ざいせい対中たいちゅう強硬きょうこうの姿勢を強め、日本にっぽん亡国ぼうこくにいざなっている。
 この高市たかいち首相しゅしょうの危ういかじ取り一つ見ても、こう決戦場けっせんじょう第7年の本年、日本にっぽんはますます激動と混迷を極めていくにちがいありません。
 そこに、この元旦に当たり『しゃく謗法ほうぼう滅罪めつざいしょう』の一節いっせつを拝し、だいしょうにんさまだいだいしんに染めると共に、全顕正会員が強き信心しんじん、揺るぎなき絶対信ぜったいしんに立つべきであります。
 このしょは、文永10年に流罪の地佐渡さどからだいしょうにんさまが鎌倉の四条金吾殿にくだされたしょであります。
 文永10年とえば、日本にっぽん全体が物情ぶつじょう騒然そうぜんとしていた。
 その前年の文永9年の2月には、鎌倉幕府の執権北条ほうじょう時宗ときむねの兄北条ほうじょう時輔ときすけほんを起こすというかい叛逆ほんぎゃくの内戦が京都と鎌倉で勃発ぼっぱつしている。
 その時同時に、もう襲来しゅうらい切迫せっぱくしておりました。
 何度ももうからの国書が到来し、文永10年3月にはもうの使者が九州のざいまで来ております。
 そして、文永11年10月には第1回のもう襲来しゅうらいが起きている。
 また、だいきんにより多くの人々が死んでいた。
 まさに、きんかい叛逆ほんぎゃく、そしてこく侵逼しんぴつが刻々と迫る社会不安の中、人々の生活せいかつは大変な困難こんなんを強いられていた。
 そのような中において、だいしょうにんさまじょう殿どの等の門下に対し

いかなるみだれにも、各々おのおのをば法華ほけきょうじゅうせつたすたまへと湿しめれるよりいだし、かわけるつちよりみずもうけんがごとく強盛ごうじょうもうすなり」

おおせ給うた。

 「どれほど世の中が乱れ危険が身にせまるとも、健気けなげ信心しんじんつらぬじょう殿どのを始めとする門下の人々を諸天しょてん善神ぜんじんに「何としても守るように」と強く強く申しつけている」と。

 そして、その御一念の強さを次のもんに示しておられます。

 「湿しめれるよりいだし、かわけるつちよりみずもうけんがごとく強盛ごうじょうもうすなり」

 木と木をこすって火種を起こす際、湿った木から火を起こすことは極めて困難こんなんであります。
 あるいは、土を掘って水をようとしても、乾ききった大地をいくら掘っても水をことはできません。
 しかし、だいしょうにんさま「そのようなのうことをものうにする強き一念をもって諸天しょてん善神ぜんじんに申しつけている」おおせ給うのであります。
 何とも恐れ多く、もったいないまでのおことであります。
 佐渡さどだいしょうにんさまに強い憎悪の念を抱く念仏の信者らで充満しており「今日切る、明日切る」という身辺の危険、くわえて、佐渡さどの極寒は肌をつんざき、食料もとぼしい。
 そのようなこく極まる状況の中にあって、だいしょうにんさまは御自身の御身のことよりも健気けなげ信心しんじんつらぬく鎌倉のじょう殿どの等の生活せいかつことを案じ給い、このようなおおせをくださる。
 竜の口のくびの座において「もしだいしょうにん御頸おんくびねられたら、その場を去らずに追い腹切って御供おんとも申し上げる」との捨て身の覚悟を固めたじょう殿どのだけに、この消息しょうそくを読まれた際のその胸中きょうちゅうを察するに、熱き物がげてまいります。
 だいしょうにんさまは、その4年後の建治3年にじょう殿どのに給わったしょにおいても

 「にちれんわかきよりこんじょういのりなし、ただほとけにならんとおもばかりなり。
 されども殿とのおんことをばひまなくきょうしゃぶつにってんもうすなり。
 ゆえは、きょういのちひとなればとおもうなり」

おおせられている。

 「だいしょうにん御自身は今生の祈り、すなわち、名誉や地位や財産などを願っての祈りなどしたことはない。ただ仏にならんとおもうだけである。
 しかしながら、じょう殿どのことについてはろくちゅうきょうしゃぶつにってんに祈っている。
 そのゆえは、じょう殿どのきょうの命を継ぐ人だからである」とおおせられる。

 「きょういのちひととは日蓮にちれんだいしょうにんの御化導になくてはならない人」ということです。まことに有難ありがたおおせであります。
 実際、じょう殿どのは後に絶体ぜったい絶命ぜつめいの闇討ちに遭い暗殺されそうになった時、不思議ふしぎにもそのこうを脱し、命をまっとうすることができた。これひとえに、だいしょうにんさまの格別のしゅであります。


平成26年 12月28日 広布御供養奉告勤行会 浅井先生指導

令和7年 12月28日 広布御供養奉告勤行会 浅井会長御挨拶

令和8年 元旦勤行における浅井会長指導

令和8年 1月11日 成人式 浅井会長御挨拶