次に、2つ目の池田大作の悪臨終。
池田大作は先ほど述べた通り正本堂の大誑惑を為して御本仏の御遺命を破壊せんとし、また、平成26年には原田稔に「弘安二年の御本尊は受持の対象にはしない」と言わしめて極限の大謗法を犯し、さらには、池田大作が監修したとされる『創価学会教学要綱』において日蓮大聖人が久遠元初の自受用身にてまします事を否定するという三大謗法を犯しました。
仏法の道理に照らして、かかる大謗法の輩が悪臨終を遂げぬはずが断じてない。
よく学会員や宗門僧俗は「顕正会員は臨終にこだわりすぎる」とか「臨終の事しか言わない」などと馬鹿な事を言っている事を耳にいたします。
この者達は臨終の大事が全く分かっていない。
大聖人様は臨終をいかに重視あそばしておられるのか。その仰せは御書の至る所にあり、枚挙に暇がありません。
そのうちの2,3を挙げれば『妙法尼御前御返事』には「されば先ず臨終の事を習うて、後に他事を習うべし」と臨終の解決こそ人生の最重要課題としておられます。
また『下種本仏成道御書』には「眼前の現証有り、いのもりの円屯房、清澄の西尭房・道義房、片海の実智房は尊かりし僧ぞかし、此等の臨終はいかんがありけんと尋ぬべし」と。
大聖人様は、安房で信心に励んでいた弟子に対し「大聖人を憎嫉した悪侶・悪僧達の臨終は果たしてどうであったか」と尋ねておられる。
さらに『千日尼御前御返事』には
「人は臨終の時、地獄に堕つる者は黒色となる上、其の身重き事千引の石の如し。
善人は設い七尺・八尺の女人なれども、色黒き者なれども、臨終に色変じて白色となる。
又軽き事鵞毛の如し、輭なる事兜羅綿の如し」
と地獄に堕ちる者と成仏する者の遺体がどのような姿になるのかを克明に教示し給うておられます。
他ならぬ池田大作自身が昭和30年代には次のような言葉を述べておりました。
「善無畏三蔵が死んだ時、その身が縮まり、色が黒くなり、骨が露わになってきたというのは地獄の相である。死相については御書に数多くの仰せがある。
およそ仏法は師弟相対である。師匠が地獄に堕ちれば弟子もまた地獄に堕ちざるを得ない。
真言・念仏・禅宗等の中国や日本における元祖はいずれも堕地獄の相を現じた事をよくよく思うべきではないか」と。
このように、邪宗の元祖がことごとく悪臨終である事を示し、師匠が地獄に堕ちれば弟子もまた地獄に堕ちる事を明言しているのであります。
近年学会が臨終の相に触れないのは、三大謗法の罰で皆臨終が悪いからそれに触れられないのであります。
ここで、改めて池田大作の臨終について触れておきたい。
令和5年11月18日の午後、会長の原田稔と池田大作の長男で主任副会長の博正は談話を公開し、その動画の中で、池田大作がその3日前の11月15日夜半に死亡した事、そして、翌々日の17日の午後に家族葬を行い、翌18日の午前、すなわち、この動画を公開した当日に荼毘に付した事を明かしました。
この動画に出ている二人には、悲哀などの感情は微塵もうかがわれない。
まことに空々しいまでに淡々と発表するその様は、誰もが違和感を覚えたものであります。
何より、この動画はあまりにも訝しい代物でした。
最初に談話を読み上げた池田博正はこのように伝えた。
「昨日17日の午後、原田会長の導師で家族葬を行い」と。
しかし、その後に談話を読み上げた当の原田稔はこう述べた。
「只今池田主任副会長から突然の訃報をうかがい、大変驚くと共に深い悲しみを抑える事ができません」と。
博正が「前日の家族葬で原田稔が導師を務めた」と述べているのに対し、当の原田稔は「只今突然の訃報をうかがい」とまるで今初めて訃報を耳にしたかのような辻褄が合わない事を言っているのです。
「只今」とはほんの少し前の事を指し、前日の事を「只今」とは言わない。
この矛盾に気付いたのか、学会執行部は慌ててこの動画を非公開にしてしまいました。
そして、家族葬に参列したとされる原田稔や池田博正、その他の大幹部も誰一人として池田大作の臨終の相については一切触れない。まことに、不可解にして不自然であります。
いずれにしても、池田大作は誰にも見せられないほどの悪臨終であった事だけは間違いありません。
御金言通りの妙相を現ぜられた浅井先生の臨終の相は、特別追悼号を見れば一目瞭然であります。
学会員はよくよく刮目しなければいけない。
令和7年 10月25日 10月度 総幹部会 浅井会長指導
- 説明
- 顕正会こそ広宣流布を進める唯一の団体
- 日興上人・日目上人の富士大石寺の源流
- 富士大石寺の源流のままの浅井先生の激闘
- 正本堂の崩壊
- 池田大作の悪臨終
- 公明党の政権与党離脱に見る学会の崩壊
- 広布前夜の亡国の危機は刻々と迫る
令和7年 11月15日 日目上人御報恩勤行会 浅井会長御挨拶