第二の原点の月10月、ぶつにとってもっとも重大なたいしきあさ先生せんせいさんかい法要ほうように参列させていただいた感動かんどうは今だ覚めやりません。
 ことに、さんかい法要ほうようにおいて全班長以上の幹部はあさ会長かいちょうの重大どうと共にいただいた記念のお数珠にむせび泣き、それよりは各所で殻を打ち破る熱い戦いが展開されておりますことほうおんかんしゃの念尽きぬものであります。
 10月度総幹そうかんかいにおいて会長かいちょう

先生せんせいの66年の激闘は、今後顕正会の前進ぜんしんが月々にそくし、三百万、五百万、一千万となるに従い、ますます燦然さんぜんかがやくものになることうたがいない。
 心を静めておもうに、先生せんせいの戦いはだい聖人しょうにんさまの順縁広布のどうそのもの。
 先生せんせいこそおん元初がんじょ以来だい聖人しょうにんさま随伴ずいはんしてこられたお方と拝する他はない」

おおせられましたが、さんかい法要ほうようにおいては先生せんせい御事おんことぜんしょうしょのお方」とまで始めて会長かいちょうが明言されたことに、かつてないほど先生せんせい仏法ぶっぽうじょうのお立場の重みが胸に迫りました。
 会長かいちょう

「今おもい起こすことは、毎年のたいしきに身も心もととのえ臨んであられた先生せんせい峻厳しゅんげん極まるお姿であった」

おおせられました。
 学会はもはやたいしきを行わず、宗門もしきにかこつけて供養を貪り、コスプレ大会を境内けいだいで行わせる末寺まであることに、今たいしきにおいて深い悲しみの中に遺命ゆいめい成就をちかたてまつっているのは顕正会だけであり、これだい聖人しょうにん葬送そうそうの折に日興にっこう上人しょうにん日目にちもく上人しょうにんが固め給うたちかい、富士大石寺の清き源流を仰がれた先生せんせいしんじんによるゆえと会長かいちょうよりうかがっては、その大忠誠心だいちゅうせいしんにむせび泣きました。
 また会長かいちょうは、日興にっこう上人しょうにんのぶざんにおける無限の責任感とこう忠誠心ちゅうせいしん日興にっこう上人しょうにん御門下の列島全域へのしんほう日目にちもく上人しょうにんの四十数度の国主こくしゅ諌暁かんぎょうと身命をなげうたれた最後の天奏てんそうのお姿と御教示くださいましたが、先生せんせいちゅうの激闘と重なり、なみだがあふれました。
 前途多難を御覚悟の上で妙信講を発足され、死罪に等しい解散かいさん処分しょぶんや公権力による不当なる弾圧等あらゆる困難を乗り越え、遥拝ようはい勤行ごんぎょうによるしんほうによりついに三百万にならんとするぶつの大集団を築かれたこと、さらに、御在世以来かつてない開目かいもくの大運動を展開され、逝去せいきょの5か月前には体力のおとろえがうかがわれる中に敢えてひめ会館かいかんにゅう仏式ぶつしきを強行される等命尽くまで戦われたこと、まさにあさ先生せんせいの66年の激闘こそ富士大石寺の源流を広布前夜の今に再現されたことに他ならぬものを会長かいちょうよりうかがっては、だいたいしき先生せんせいさんかい法要ほうようを終えた今こそ先生せんせいを継がれる会長かいちょうの下で一歳の油断を排し、さらなる大前進だいぜんしんを為さんとけつせずにはおれませんでした。
 この度会長かいちょうは、いけだいさくが悪師たることを示す三だいげんしょうあらためて教示くださいましたが、今これらのげんしょうをもって学会員が続々とだんしょうしんする姿を見る時、だい聖人しょうにんさまが御書の各所におおせ給うたげんしょうの重大さをはだに感じるものであります。
 にせ戒壇かいだん正本堂しょうほんどう崩壊ほうかいは、まさにいけだいさくが悪師であり、先生せんせいこそが正しき師匠である何よりの証拠と大感動だいかんどうげました。
 ことに、昭和42年の正本堂しょうほんどう発願式ほつがんしきから昭和47年の完成まで実に十数回、毎年毎年仰々ぎょうぎょうしい法要ほうようが繰り返し行われて宣伝され、現在のへいにして1千億円を超すという莫大な供養をもって建てられた上に、誰人も背けぬ絶対ぜったいけんの法主と最高権力を有するいけだいさくが「遺命ゆいめい戒壇かいだん」と意義付けた正本堂しょうほんどう、この誑惑の殿堂を先生せんせいただお一人が「撤去せよ」諌暁かんぎょうされ、これに対して宗門僧侶のことごとくが「日が西から昇るとも断じてない」と嘲笑ったこと、当時の先生せんせいの御心労はいかばかりであられたのかと胸が詰まり、同時に、その正本堂しょうほんどう先生せんせいお一人のおおせのまま撤去されただいげんしょう先生せんせいこそ正しき師匠である確証かくしょうと胸のすくおもいとなりました。
 また、いけだいさくの悪臨終に関して会長かいちょうは、いけだいさくの死亡を公表したはらみのるいけ博正ひろまさの談話において互いに言っていることが食いちがっているいぶかしさをてきされましたが、二人のあいなき空々そらぞらしい姿を見ては、いけだいさくが誰にも見せられない悪臨終を遂げていたことだけはちがいないことを一重深く確信かくしんさせていただきました。
 そしてしくもいけだいさく自身が邪師の悪相を示した上で「師匠が地獄にちればも地獄にちる」と明言していたことをうかがっては、いけだいさくの悪臨終と共に『これを学会員に知らしめていかなければ』とのおもいがげました。
 何より、この度会長かいちょうより学会崩壊ほうかいそくをつけていることどういただいては衝撃の他はありませんでした。
 いけだいさく一党がだいほうぼうの悪書『創価学会教学要綱』を発刊してから2年、ついに公明党こうめいとうが政権与党から離脱するというだいげんしょうが現われたことには息をみました。
 「これこそまさに、対中強硬派のたかいちなえ率いるみんとう親中しんちゅうちゅう公明党こうめいとうが分裂するというかいほんぎゃくの大罰」会長かいちょうよりうかがっては、あの正本堂しょうほんどう崩壊ほうかいにつながっていった学会・宗門のしゅあくりゅうかっせんが重なりました。
 しかも、この連立解消劇の裏側を会長かいちょうよりおうかがいいたしましたが、学会会長かいちょうはらみのるが指示したものであったことは衝撃でありました。
 反学会・公明党こうめいとうで対中強硬派のたかいちなえみんとうと連立を組めば、今後さらなる学会員の反発・離脱に歯止めがかからなくなるゆえのいけだいさく一党のきゅうの策であったとうかがっては、もとより学会員の離脱に歯止めが利かぬは三だいほうぼうによるところ、それをしんじんなきいけだいさく一党に分かろうはずもなく、今回じゅうの決断をしたことでかえって学会・公明党こうめいとうの衰退に拍車がかかってしまったことに「進むも地獄、退くも地獄」の大罰を確信かくしんいたしました。
 会長かいちょうは、みんとうと日本維新の会の連立合意書にうたわれた「国会議員の定数削減」が行われれば公明党こうめいとうの存亡に直結するたいとなることどうくださいましたが、そうなったならば、公明党こうめいとうが現有議席の6割を失うとの試算をうかがっては、まさに公明党こうめいとうにとっては死活問題であり、すべては、五百万学会員を救わんとされるだい聖人しょうにんさまじょうじゅうせっぽう会長かいちょうの徹底せる諌暁かんぎょうに諸天がたちまち動いただいげんしょうとひれ伏し「今こそさんだいげんしょうを教え、根こそぎ学会員を救ってまいらん」けつを固めるものであります。
 最後に会長かいちょうは、今アメリカのトランプによって米国内の分断が進み、ゆうしゅじんえいの結束が揺らいでいるうえ、中国ちゅうごく台湾たいわん侵攻しんこうが眼前に迫る中、日本にっぽんにおいては中国ちゅうごくとの関係悪化必至の対中強硬派のたかいちなえ新政権が誕生したことどうくださいましたが、たかいちなえみんとう執行部の顔ぶれも、かんていじんも神の国を作らんとした安倍晋三政治へ回帰した感があることには身震いし、まさに、2020年代後半に至り亡国のテンポがそくをつけていることを実感しては、顕正会の前進ぜんしん日本にっぽんの命運がかかっていることきもめいじるものであります。
 されば、男子部一同は会長かいちょう

「急ぎ三百万を成し、第三度の一国いっこく諌暁かんぎょうに立たなければならない。
 これこそ、遺命ゆいめい実現に命尽くまで戦われた先生せんせいである」

とのお叫びを命に刻み、四万大突破の大号令に全組織空前くうぜんだいしゃくぶくでおこたえし、もって霊山にまします先生せんせいにこの一年の成長のあかしらんいただこうではありませんか。


令和7年 10月25日 10月度 総幹部会 浅井会長指導

令和7年 10月27日 10月度 男子部班長会 行成総男子部長指導

令和7年 11月15日 日目上人御報恩勤行会 浅井会長御挨拶