本日は、大雪などの悪天候あくてんこうだった地域もある中、全国からよくぞこのせいじんしきさんじてくれました。
 このような清純な信心と広宣こうせん流布るふの熱き情熱がたぎるせいじんしきは顕正会以外には断じてありません。
 亡国の世相が日々に色濃くなる中、まっぽうじょくあくの世に咲くびゃくれんのごとく、さつの大集団たる顕正会の清らかさが一層際立つ様には大感動だいかんどうきんません。
 同じ二十歳はたちでも、けんせいじんしきに見るあの退廃的たいはいてきな若者は畜生界ちくしょうかいであり、また、八十数年前に「お国のために」と死地しちおもむいた戦時中の若者はごくかいであります。
 一方、今広宣こうせん流布るふの前夜にさんだいほうたもち、人を救い、国を救うべく戦う顕正会の若者はさつかいであります。
 先程の4人の代表の登壇を聞いては、そのことを強く感じてなりませんでした。
 いかに激しい怨嫉おんしつを受けようとも堂々とそれを乗り越えて、ただ遺命ゆいめい成就じょうじゅに戦うその姿はさつに他なりません。
 「霊山にましますせんせいが皆さんの凛々りりしい姿をお喜びくださるにちがいない」確信かくしんしております。
 毎年せんせいせいじんしきを楽しみにしておられました。
 なぜかといえば、このせいじんしきに参加した若き同志達がその後、力ある大きな人材じんざい成長せいちょうし、広宣こうせん流布るふ陣列じんれつを固めていくからであります。
 どうか本日集いし皆さんこそ、せんせいしんせいじんへの強き御期待を胸に法華経の命を継ぐ人、すなわち、広宣こうせん流布るふになくてはならない人材じんざいに急ぎ成長せいちょうして、せんせい願業がんぎょう成就じょうじゅを見つめて猛然もうぜんと立ち上がってほしいと心から念願ねんがんしております。
 さて、顕正会のせいじんしきけんのそれとはその意義がまったく異なります。
 顕正会のせいじんしきは、若きぶつ二十歳はたちを迎えて、いよいよ生涯かけての奉公ほうこうだいしょうにんさまちかたてまつる儀式であります。
 具体的には「いっしょうじょうぶつ」と「広宣こうせん流布るふ」のこの2つの大願だいがんを抱くことであります。
 だいしょうにんさまは、あつわらだいほうなんの直後にそれに身を捨てて戦った当時21歳だった若きうえ殿どのに対しねがわくはとうだいがんこせ」おおせあそばした上でかくきょうあそばしておられます。

 「かくに、いちじょうなり、おなじくは、かりにもきょうためいのちてよ。
 つゆたいかいにあつらへ、ちりだいうづむとおもへ」
と。

 「いずれにしても、人は必ず一度はぬ。そして、ぬ時はいつもおなじような嘆きではないか。
 ならば、同じくは仮にもきょうのために命を捨てよ」と。

 人は「仏法のために命を捨てよ」と聞くと『そんなことが凡夫にできるのか』とおもう。
 しかし、けんじっそうを見てみれば、あるいはけんの義理のために、あるいは我が欲望のために、あるいはいかりのために命を捨てる者もまことに多い。
 よしまた、我が命をだいにして生き長らえることだけをかんがえても、もし大地震・大飢饉・流行病・大戦争が起これば至る所でたいりょうが起こる。
 よしまた、それらの災害を逃れたとしても、人は必ず一度はぬ。
 いかに命を惜しもうとも惜しみ遂げることはできない。
 このように、人は命を惜しみながら命を奪われていく。これがけんじっそうであります。
 ならば「同じくは仮にもきょうのゆえに命を捨てよ」だいしょうにんさまおおせられる。
 この理性的決意に立つ人を「けんじん」というのであります。
 「つゆたいかいにあつらへ、ちりだいうづむとおもへ」とは、すぐにせるような一滴のつゆでも、たいかいれれば永遠に滅することはない。
 またすぐに消し飛んでしまう一粒のちりも、大地にうずめればなくならない。
 すなわち、つゆちりのごとくにはかない人の命であっても、仏法のために捨てるならばその功徳は永遠に滅しないということであります。
 あつわらの方々はわずか数十年しか生きられない朝露あさつゆのごとき命を捨て、人生の目的たる未来永劫に崩れないじょうぶつの大境界をた。
 そして、全人類じょうぶつほったいたる本門ほんもんかいだんだいほんぞんの願主となり、その名をだいほんぞんとどめられたのであります。
 また、だいしょうにんさまは『まつ殿どのへん』にも人生のみじかさ、はかなさと仏果をことだいについてこのようにおおせ給う。

 「とてもいたずらにさんるべし。しみてもなにかせん、しむともしみぐべからず。ひとひさしといえどもひゃくねんにはぎず。かんことただいっすいゆめぞかし」と。

 「いずれこの身はねばさんとなる。
 どれほど『命が惜しい』とってこの人生に執着しゅうちゃくしても、執着しゅうちゃくし切れるものではない。
 人はどれほど長生きしたとしても百年を過ぎることはない。その間のことは一眠りの間に見た夢のごとくまことにはかないものである」と。

 ゆえに

ぶっぽうべき便たよりあらばしんみょうててぶっぽうがくすべし」

おおせ給う。
 また日寛にっかん上人しょうにん

ひとたびにんしんうしなえばばんこうにもがたし。
 いっしょうむなしくごしてえいごうゆることなかれ」

と御指南くだされております。
 このように、限られたわずかないっしょうの間に永遠に崩れぬ仏果をさせていただことを願う。これが、いっしょうじょうぶつ大願だいがんであります。


平成26年 12月28日 広布御供養奉告勤行会 浅井先生指導

令和7年 12月28日 広布御供養奉告勤行会 浅井会長御挨拶

令和8年 元旦勤行における浅井会長指導

令和8年 1月11日 成人式 浅井会長御挨拶