先ほども申しましたが、あつわらだいほうなんにおいて21歳のうえ殿どのは重大な奉公ほうこうをなされた。
 この時、うえ殿どのは若くとも父親から譲られたとうしょくに就いておりました。
 とうの立場でだいしょうにんの仏法をつらぬいたら幕府からにらまれてとうしょくを奪われるだけはない。
 ことと次第によっては幕府に召還しょうかんされて所領没収、いや、くびねられてもおかしくはなかった。
 しかし、うえ殿どのとうの地位も、自らの命をもかけてあつわらの方々をかばったのであります。
 うえ殿どのあつわらほっこうしゅうの20人が捕縛されて鎌倉に押送おうそうされた時、逮捕された20人の家族の所を回っては激励げきれいされた。
 幕府の役人らがほっこうしゅうを壊滅させようと主だった者をすべて逮捕しようとする中、うえ殿どのはそれらの人々を自邸の中にかくまった。
 それを役人がかぎつけては「うえ殿どのが幕府に反抗している」と問題になった。
 そのような緊迫きんぱくじょうきょうで、うえ殿どのは命を賭して力の限りあつわらの方々をかばいきったのであります。
 だいしょうにんさまあつわらだいほうなんにおけるうえ殿どのの捨て身の尽力じんりょくを深く御感ぎょかんあそばされ、このほうなんが終息した直後に賜わった『りゅうもんしょ』の末尾にうえけんじん殿どのへんしるされておられます。

  門下の中で「けんじん殿どの」との称号を受けたのはうえ殿どのただ一人であります。
 そして、だいしょうにんさまはこのしょおっがきこれあつわら熱原ことありがたさにもうへんなり」と感謝と感激のこころを表わしたまうておられる。
 実は、だいしょうにんさまは当初このしょあてを「うえしょうにん」とおしたためになられ、その「ひじり」の文字の上から「けんじん殿どの」と書き直しておられます。
 だいしょうにんさまのお気持ちは「うえしょうにん」であられたのでしょう。
 しかし、今だ若きうえ殿どのであれば、そのお気持ちを抑えられたものとはいせられます。
 かくして、このだいほうなんで身命を捨てたあつわらほっこうしゅう本門ほんもんかいだんだいほんぞんの願主としてその名を万年にとどめられ、日興上人にはしょうにん(ひじりのひと)」うえ殿どのには「けんじん」の号がくだされている。
 あつわらだいほうなんに対するだいしょうにんさまの万感のおもいを伏して拝しては、熱涙ねつるいがあふれてまいります。
 かつてせんせいは、うえ殿どののこの奉公ほうこうについてかくおおくださいました。

 「私はこの姿を見て『ああ、うらやましい』とおもう。
 おん元初がんじょじゅ用身ゆうじんまっぽうに御出現あそばした。その仏様に直接お仕えになって、だい奉公ほうこうをされた。
 このうえ殿どの奉公ほうこうはまことにとうといものである。
 同時に、今私達は宿縁つたなくして後世に生まれた。しかし、広宣こうせん流布るふの前夜に生まれ合わせることができた。
 そして、いまにちれんだいしょうにんの大恩徳を知らない日本にっぽんの人達に『お題目を唱えなさい』と折伏をおもうように進め、亡国の道をひた走る日本国を諌めることができる。
 この奉公ほうこうが叶う立場は何と有難ありがたいのか」と。

 私はせんせいの「うらやましい」とのいちごんに、せんせいだいしょうにんさまを恋慕渇仰なさるどこまでもどこまでも深いお心が胸に迫り、涙がまりませんでした。
 せんせいの試練と忍従も、遺命ゆいめい守護も、そして遺命ゆいめい成就じょうじゅへの戦いも、その66年の激闘を貫く物はだいしょうにんさまに対したてまつ大忠誠だいちゅうせい以外にはありえません。
 具体的にえば だいしょうにんここにましませば何を命じ給うか」とのお心でつかじょうざいしーふーめつつねにここにざいしてめっせず)」を如実に拝したてまつっておられたのであります。
 僭越せんえつを承知の上でわせていただけば、身も財もなげうち、命かけて遺命ゆいめいを守護したてまつられたせんせい大忠誠だいちゅうせいの激闘をだいしょうにんさまが御覧あそばせばこれあつわら熱原ことありがたさに」とのおおせのごとく「有難ありがたし」とおおせあそばされ、また、あつわらだいほうなんの陣頭指揮を執られ「しょうにん」の称号を賜わった日興にっこう上人しょうにんと同じようにお褒めくださるにちがいないとおそれながら拝するものであります。
 ひるがえって、うに甲斐なきどんの我等がかかるせんせいとならせていただけた宿縁、これにまさるものはありません。
 まして、いっしょうじょうぶつの大仏果をさせていただける身となり、せんせいを継ぎ、亡国日本にっぽんを救うこくりつかいだん建立こんりゅうに戦うことが叶うこの立場は決して当たり前ではなく『この大恩、何をもってかこれを報ぜん』とのおもいがげてまいります。
 そこに、せんせいおもい定めてこられた2020年代のこう決戦場けっせんじょうも第7年となり、かねてよりの諌暁の通りこっさんこく侵逼しんぴつの大罰もいよいよ足下にせまってきております。もう広宣こうせん流布るふ眼前がんぜんであります。
 せんせいは、この王仏冥合の新しい日本にっぽんを構築するために、顕正会の若き俊秀しゅんしゅうに強い期待を寄せておられたのであります。
 されば、この度しんせいじんとなった皆さんこそおんほうおんぶつとしていっしょうじょうぶつ広宣こうせん流布るふ大願だいがんに立ち、百人・千人・万人をひきいるこうだい人材じんざいに急ぎ成長せいちょうし、りょうぜんにましますあさせんせいに全員でおこたえしてまいろうではありませんか。


平成26年 12月28日 広布御供養奉告勤行会 浅井先生指導

令和7年 12月28日 広布御供養奉告勤行会 浅井会長御挨拶

令和8年 元旦勤行における浅井会長指導

令和8年 1月11日 成人式 浅井会長御挨拶