りっしょう安国あんこくろん』にたまわく
 なんじはや信仰しんこう寸心すんしんあらためて、すみやかじつじょう一善いちぜんせよ。しかればすなわ三界さんがいみな仏国ぶっこくなり。仏国ぶっこくおとろえんや。じゅっぽうことごとほうなり、ほうなんやぶれんや。
 くにすいなくくんば、安全あんぜんにしてこころぜんじょうならん。ことばことしんずべくあがむべし。



 只今ただいま拝読はいどくもん「『りっしょう安国あんこくろん全体ぜんたいむすびとして、国主こくしゅ仏国ぶっこく実現じつげんを強くうながされた。すすめられた」というだいもんでありまして、すなわち「『りっしょう安国あんこくろん』のむすびとして仏国ぶっこく実現じつげんすすめられた(いわゆる結勧けっかんですね)。むすすすめる」というだい結論けつろんもんであります。

 「なんじはや信仰しんこう寸心すんしんあらためて、すみやかじつじょう一善いちぜんせよ。しかればすなわ三界さんがいみな仏国ぶっこくなり」と。

 この中に「じゃ」「りっしょう」「安国あんこく」ということの原理をだいしょうにんさまはハッキリと御示し下されておられます。
 「りっしょう」という前にはかならず「じゃ」があるんですね。
 くすりむにはどくてなければいけない。どくてないでくすりんでもくすりかないんですね。
 やく覚醒剤かくせいざいを飲みながらくすりんでもだめで、青酸せいさんカリと一緒にくすりんでればかえってんでしまう。くすりむ前にはかならどくてなければいけない。
 そこに「本尊ほんぞんしんずる」という前には謗法ほうぼうてるということなんですね。
 ですから

なんじはや信仰しんこう寸心すんしんあらためて」これが「じゃ
すみやかじつじょう一善いちぜんせよ」これがすなわち「りっしょう」である。
しかればすなわ三界さんがいみな仏国ぶっこくなり」これ以下が「安国あんこくこっ安泰あんたいになる)」ということですね。
 「じゃ」「りっしょう」「安国あんこく」ということであります。

 ですから「じゃ」においてなんじはや信仰しんこう寸心すんしんあらためて」ちがった信仰しんこうてよ」ということをおっしゃっておられる。
 これは、ざい当時においては、念仏ねんぶつ真言しんごんぜん律等りつとうぶっきょうしょでありました。
 今にいたっては、キリスト教を始めとしていろんな新興しんこう宗教しゅうきょうなどのあらゆるちがった宗教しゅうきょうがたくさんありまするが、これらのちがった宗教しゅうきょうそう一切いっさいてて、そしてすみやかじつじょう一善いちぜんせよ」と。
 「じつじょう一善いちぜんせよ」ということは、このもんにおいては念仏ねんぶつごんきょうしゃくしておられますから、それにたいして、権実ごんじつ相対そうたいして法華ほけきょうじつじょう一善いちぜんということで(すなわち実大じつだい乗経じょうきょうというのは法華ほけきょうでありまするから)「法華ほけきょうせよ」とおおせられた。
 しかし、その元意(深い意味)というものは、実に法華ほけきょう本門ほんもん寿じゅりょうほん肝心かんじん文底もんていちん大法だいほうである。その実体じったいは、実に「本門ほんもん戒壇かいだんだい本尊ほんぞん」であられるということであります。
 ですからじつじょう一善いちぜんせよ」ということは、詮ずる所は国立こくりつ戒壇かいだんを早くこんりゅうせよ」ということですね。
 そのしょうには、にゅうめつに先立って日興にっこうしょうにん御付ごふぞくされた。
 その御付ごふぞくじょうもんには

国主こくしゅほうてらるれば、富士ふじさん本門ほんもん戒壇かいだんこんりゅうせらるべきなり」

ということおおせになっておられて、すなわち、国立こくりつ戒壇かいだんこんりゅうじつじょう一善いちぜんせよ」ということであります。

 「しかればすなわ三界さんがいみな仏国ぶっこくなり」

 「その時、このほん仏国ぶっこくとなる。
 日蓮にちれんだいしょうにんたましいであられる戒壇かいだんだい本尊ほんぞんさま国立こくりつ戒壇かいだんに安置したてまつり、ほん一同いちどうしゅたてまつる。
 この時、にっぽんの国は、日蓮にちれんだいしょうにんたましいとするくにになるのである」

 すなわち「仏様の国」「仏国ぶっこく」である。この仏国ぶっこくというのはおとろえない。

 「仏国ぶっこくおとろえんや。じゅっぽうことごとほうなり、ほうなんやぶれんや。
 くにすいなくくんば、安全あんぜんにしてこころぜんじょうならん。ことばことしんずべくあがむべし」

とこう安国あんこくの功徳を、こっ安泰あんたいの姿をここにお説きくだされておられます。

 「仏国ぶっこくというのはおとろえないのである。じゅっぽうはことごとくほうである。ほうというのはやぶれないのである。
 もし国がおとろえることもなく、そして、こくかいされることがない(災害さいがいでもっていろんなさんな目に遭う。あるいは、内戦ないせんきる。あるいは、こくからしんりゃくを受ける)というこのようなかいがなければ、そのくにに住む所の国主こくしゅを始めとして全国民ぜんこくみんはこれ安全あんぜんでしょう。
 その時、今度はかならず心がどっしりと安泰あんたいになっていくのである」ということであります。


平成21年 7月19日 浅井先生指導