じょうきん殿どのへん』にたまわく
 うんきはまりぬれば兵法へいほうもいらず。ほうきぬればしょじゅうしたがわず。
 ない、これにつけても、いよいよごうじょうだい信力しんりきだしたまへ。運命うんめいきて、諸天しょてんしゅなしとうらむることあるべからず。
 将門まさかどつはものをとり、兵法へいほうだいきはめたり。されども王命おうめいにはけぬ。はんくわひちょうりゃう張良もよしなし。ただこころこそ大切たいせつなれ。
 いかに日蓮にちれんいのもうすとも、しんならばれたるくちくるがごとくなるべし。
 はげみをして、ごうじょう信力しんりきだしたまうべし。ぎし存命ぞんめい不思議ふしぎおもはせたまへ。なに兵法へいほうよりも法華ほけきょう兵法へいほうもちたまうべし。



 只今拝読のもんは、じょうきん殿どのやみちに遭いましてあやうく一命を落とすところに、不思議ふしぎにも大難だいなんのがれた」と。その時にだいしょうにんさまからたまわったしょ一節いっせつであります。

 じょうきん殿どのという方は、鎌倉かまくらにおけるだいしょうにんもんの中心的存在そんざいですね。
 そして、この人は(北条一門の中に江馬家えまけというのがある)その江馬家えまけに父の代からつかえておりました武士ぶしであります。
 で「学問もできる。げいすぐれている。主君しゅくん信任しんにんあつい」ということで、江馬家えまけの中においては目立つ存在そんざいであった。
 しかし、何よりもじょう殿どの鎌倉かまくらの人々に注目されておったのは「この人は、だいしょうにん信心しんじんつらぬいておった」ということなんですね。
 当時においては、人ごとにみんな念仏ねんぶつしんじておった。そして、りょうかんを仏のごとくにあがめておった。
 その中に、国主こくしゅが憎んでいるだいしょうにんさま一筋ひとすじしんじておった。
 この事から、鎌倉かまくらにおいて、じょうきん殿どのが非常に目立った存在そんざいだったわけであります。
 このじょう殿どのに対して、あのりょうかんが「何としてもおとしいれよう」「もんの中においてのじゅうちんだ。これを落とせば」ということさくりゃくったんですね。
 彼は、江馬家えまけしんそそのかしたんです。このしん達もみんなりょうかんぼう信者しんじゃ。そして、主君しゅくんもまたりょうかん信者しんじゃであった。
 そこで、しん達に讒言ざんげんをさせたんですね。「じょうというのはとんでもない男でこういうことをやってます」とうそはっぴゃくことを並べ立てた。
 ところが、讒言ざんげんというのは、おろかな者はそれをしんじてしまう。デマをしんじてしまう。
 主君しゅくんおろかにもしんじてしまったんです。
 そのために、じょう殿どのは「しょりょうぼっしゅう」というようなきゅうに追い込まれましたけれども、そのさくりゃく不思議ふしぎことでもって破れて、じょう殿どのことなきをた。
 これを見て、りょうかんはますます悪心あくしんやして、今度はじょう殿どの暗殺あんさつしようとしたんですよ。
 それはどういう事かといいますと、しんだんを同じく煽動せんどうをしてそそのかして、やみちをさせようとした。
 ある日の夜、暗闇くらやみ大勢おおぜいしんを待ち伏せさせて、一斉いっせいじょう殿どのに斬りかかってころそうとしたんです。
 これはもう、にんぜいであり、一人に大勢おおぜいの者がかかってくる。2,3のらいはそこにおったんでしょうけれども、取り囲んで一斉いっせい大勢おおぜいで斬りかかる。
 「いかにじょう殿どのげいすぐれていたとしても到底とうてい助かることは出来ない」と思われるような状況じょうきょうでありましたけれども不可思議ふかしぎにも一命を取り留めて、何なくその大難だいなんのがれた」っていうんです。
 でこの時、だいしょうにんさまからたまわったしょです。
 だいしょうにんさまは兼ねてより「おそらく、じょう殿どのが必ずこのような怨嫉おんしつ迫害はくがいを受けて、命を狙われる事もあるんじゃないか」ということで、だいしょうにんさまはどれほど前々から心配しんぱいあそばして、どれほど様々なちゅうをなさっておられたかということ、それがいよいよじつとなって「この弘安2年の10月にやみちがあった」ということなのであります。その中の一節いっせつ

ですね。


平成21年 1月11日 浅井先生指導