みょうほうあま御前ごぜへん』にたまわく
 おもんみれば、日蓮にちれんようしょうときより仏法ぶっぽうがくそうらひしが念願ねんがんすらく、ひといのちじょうなり。
 いずいきいきことし、かぜまえつゆなおたとえにあらず、かしこきもはかなきも、いたるもわかきも、さだめなきならいなり。
 されば、りんじゅうことならうてのち他事たじならうべし。



 『みょうほうあま御前ごぜへん』の一節いっせつ拝読はいどくいたしました。この文の文意はこういうことですね。

 「だいしょうにんさまは、ようしょうの時から仏法ぶっぽうまなんでおられましたが『念願ねんがんをされていた大きなことがある』と。それは『人の命はじょうである(じょうというのは『いつぬかわからない』ということですね)。まことにはかないものである』げんだとおもっていてもいつ行くかからない。
 でこのはかなさというものは、かしこい人もおろかな人もべつはないし、年よりも若い者のべつもないんです。
 みんな年の順にぬとおもうけれどそんなことはない。若い者だって、生まれたばかりの赤ん坊だっていつぬかわからない。
 このように、人の命はさだめがない。いつぬかわからない。
 だからこそ、何よりもまず必ず到来するりんじゅうことを習ってのち他事たじを習うことである。
 人生じんせいにいろんな習うことは多いけれど、何よりも、りんじゅうこと最優先さいゆうせんだいとしてこれを解決かいけつしなければいけない」

ということだいしょうにんさまようしょうの時から念願ねんがんしておられたということであります。
 まことにりんじゅうというのは人生じんせいいちだいですね。
 大木たいぼくたおれる時に、じゅうしんのかかっている方に必ずドスンとたおれるんですね。
 それと同じように、人間にんげんも生きている時に善念ぜんねん悪念あくねんといろんなおもいをいだく。そして、いいおこない・悪いおこないをする。そのよいか悪いかの重きにしたがってりんじゅうの相があらわれるんですよ。
 悪い事の方が勝ってれば悪い方のりんじゅうの相があらわれるし、よいことが勝ってればそちらの方にあらわれてくる。
 でこのように、りんじゅういっしょうがいやった事の総決算そうけっさんであるし、そして、りんじゅうの相にあらわれたことは、その人が未来にどのようなけっむくいを受けていくかということを示している。
 ですから、りんじゅうは非常にだいある。
 じょうぶつじょうぶつといってこのじょうぶつげたかどうか。その事もりんじゅうしょうによってわかる」という一つのことなのであります。


平成21年 5月24日 浅井先生指導