今どうですか、ろん調ちょうをやってもほんじゅうにっぽんじんの8割以上の人達が)「しょうらおあんだ」ということを言ってるでしょう。今漠然ばくぜんたるあんですね。「この国はもっと悪いことになるんじゃないか」「おそらくこくから攻められて、戦争せんそうこるのではないか」あるいは「年金ねんきんがなくなっちゃうんじゃないか」というようなこと
 あるいは個人においては「自分はしょうらいどうなるか」ということがわからない。
 私はいつも申しまするが「りんじゅうという人生じんせいの最だいがわからない」「自分がどんなりんじゅうをするのかからない」これは、行き先のからないバスに乗っているのと同じことで、これで確信かくしんのある人生じんせいが歩めっこない。こっがどうなるかそれもからない。
 ですから「みんな心があんていであるから、せつてききょうあく犯罪はんざいきてくる」ということであります。

 「安全あんぜんにしてこころぜんじょうならん」

 このりっしょう安国あんこくこと

ことばことしんずべくあがむべし」と。

 『りっしょう安国あんこくろん』はくう空論くうろんではないですよ。だいしょうにんさま

「この仏法ぶっぽうそむき続けるならば、かならこく侵逼しんぴつがあるべし」

おおせの通りにそのじつが成ったということを見るならば、だいしょうにんおおせの通りにみんな一同に本尊ほんぞんしんじて、南無なむみょう法蓮ほうれんきょうと唱え、国立こくりつ戒壇かいだんこんりゅうするならば、この仏国ぶっこく実現じつげんする。
 すなわちすいなく、土にかいなき、この仏国ぶっこく実現じつげんする」ということを今私達はくつ抜きにしんずることができるのであります。

 「ことばことしんずべくあがむべし」

ということをまことに私達は深く味わうことができるのであります。
 このように、ほん一同いちどう一切いっさい邪法じゃほうてて、一同いちどう日蓮にちれんだいしょうにんしんじて、国立こくりつ戒壇かいだんこんりゅうするならば、にっぽん金剛こんごう不壊ふえ仏国ぶっこくになる。
 そして、そのような仏国ぶっこくきゅうじょうに一つ出現すれば、今かいじゅうごく餓鬼がきちくしょうしゅの国でありまするが、この仏国ぶっこくにっぽんを見て、みんなそれにじゅんずるようになってくる。
 その時、このきゅうじょうことじゃっこうになる。
 このきゅうに生まれてきた人は、みんな三大さんだいほうしゅぎょうして、一生のうちにかならず仏になることができる。これほど素晴すばらしいことはない。これこそ、だいしょうにんさま大願だいがんであられる。
 そのぜんかいじゃっこうかぎが、にっぽんの国の広宣こうせん流布るふ国立こくりつ戒壇かいだんこんりゅうということなのであります。その時がちかづいてきましたね。


平成21年 7月19日 浅井先生指導