実は、このもんは先般も拝読はいどくいたしました。
 なぜまた拝読はいどくしたかと申しますると、昨日も一昨日おとといも、今、せいでもってのう問題もんだいぞうしょくほう」というのがしかしかでもってわけのわからないことを今ってる。
 「ぞうしょく法案ほうあん」というのは今までの従来の物がなかなか難しくて簡単かんたんにはできない。「もっと簡単かんたんにこのことおこなえるようにしようではないか」というようなことでもってああだこうだってゴタゴタしております。
 そのことを私は『このだいしょうにんさま御指ごしなんを通してのう問題もんだいぞうしょく問題もんだいをしっかりと一つ判断をしなければいかん』という風におもってこのもんふたたび拝したわけであります。
 でのうというのはどういうことか、かつて昔はこんな事の内容ないようはなかったですよね。
 何でのうなんてことが起きてきたかというと、人工じんこうきゅうなんていうのが近年発達はったつしてまいりまして、そのことによって、かいの力でもってきゅうさせることができる。
 そうなると、心臓しんぞうが動いてきゅうをしておっても、先に脳がやられてしまうということが起きてきたわけなんです。
 というのは、脳幹のうかんとか大脳だいのうのうが先にんでしまって、なおまだ人工じんこうきゅうによって心臓しんぞうとかきゅうが動いているというような状態。これが「のう」ということなのでありまするが、では、なぜこれが問題もんだいになってくるのかというと「脳幹のうかんとか大脳だいのうのうていしたらば、ぎゃくてきせいすることがない。2度と生き返ることがないんだ。だから、のう段階だんかいで『人はんだ』ということにしてしまおうではないか」という一つのていをしてる。何でこんな「まだきゅうをしてる、心臓しんぞうは動いてる」それを「んだ」と判定はんていしなければいけないのか。
 そこに、ぞうしょく問題もんだいがあるんですね。「生きてるうちにぞうを取っちゃおう」「生きのいい、新鮮しんせんぞうを取らなければならない」「ぞうしょくしゅじゅつ失敗しっぱいする」というようなことからしゃは、りょうじゅつ観点かんてんだけから「何としても生きてるぞうがほしい。生きのいいのがほしい」ということで、脳がんだ段階だんかいでもって「もうどうせ生き返らないんだから、たいを切りきざんで早くぞうを取り出せ」とこれは学的がくてき見解けんかいからそういうことわせるわけであります。
 それから、それに乗っかって、多くのせい治家じかせい治家じかでもって「ぞうしょくたいしているその患者かんじゃが全国で1万2千人いる。だからこれらを」などということでいろんな要望ようぼうがあってそれにされて「ぞうしょく法案ほうあん」ということを「さらに簡単かんたんにできるように改正かいせいしよう」というのが今論点ろんてんになっているようなのでありますけれども、てごらんなさい。
 数の上からっても、たいしているのが日本全国でもって、今年の3月末でもって1万2千有余人ですよ。毎年さつしているのはどれくらいいるんですね。3万人を超えてるでしょう。これが過去かこ連続れんぞく11年間連続れんぞくしているんですね。
 ことに去年きょねんは3万2千5百何人ですか。で今年にいたっては1月からどんどんどんどん増えて毎日まいにち毎日まいちに1日に100人ずつんでる」ということなんですよ。
 そうすると年間ねんかんに3万数千人がんでる」というこの現実げんじつないでもって「ぞうしょくをしてくれとたいしている者が1万2千人いるから」とそういうこと優先ゆうせんしてかんがえるせい治家じかなんていうのはどうかなってるんじゃないか。さつをなぜ解決かいけつしようということかんがえないのか。
 そこに、このさつ解決かいけつするのは、本尊ほんぞんさまを信じて強き生命せいめいりょくいただがいにないんです。
 これを、顕正会のしゃくぶくによって今多くの人々がすくわれてる。
 それを妨害ぼうがいし、警察けいさつなんかも一体になって顕正会のづうを止めてる。これを妨害している。『こんなことはまことにしからん。逆さまの話だ』とおもいまするが、いずれにしても、私は今のしゃ、あるいはせい治家じか、これらの人々はいま生命せいめい永遠えいえんである」というこのことらない。
 それから人生じんせい目的もくてきじょうぶつにあるんだ」とこのことらない。
 それから、何よりもりんじゅうだいらない」ということなんですね。
 りんじゅうの時に、そばにいる近親者きんしんしゃしずかにお題目だいもくを唱えて、その人のりんじゅうを守ってあげるということ大変たいへんだいことなんです。
 そして、息を引き取ったのちにおいては、本尊ほんぞんさまにその人のじょうぶつねがって、真剣しんけんにお題目だいもく追善ついぜんこうしてあげるということ大変たいへんだいことなんです。
 ですから、日寛にっかんしょうにんは『りんじゅう用心ようじんしょう』という御引おひきがありまするが、そのなかにこうおっしゃっておられる。

 「してもなお底心ていしんあり。たましいりやらず。がいしょうだいの声をかすれば、悪趣あくしゅしょうずることなし」

 (「底心ていしん」というのは「そここころ」ですね。「悪趣あくしゅ」というのは「あくおもむき」と書く。これは、悪道あくどうことうんですね。ごく餓鬼がきちくしょうしゅのこの悪道あくどうに生まれることがない)

 「例え人が息を引き取っても、なお『底心ていしん』といって命の底にまだしきのこっているのである」

 これは今のがくでもそうですけれども、人間にんげんが息を引き取っても一番最後に残る感覚かんかくというのは耳のちょうかくだそうですね。
 ですから「なお底心ていしんが残ってる、たましいりやらず」と。

 「その時に、そのたいに向かってお題目だいもくの声を聞かしむる。その時に悪趣あくしゅに生ずることなし』といって悪道あくどうに生ずることはないのである」と。

 ですから、いかに追善ついぜんこうのお題目だいもくだいか。これが仏法ぶっぽうがわかってくればみんなわかってくるんです。
 ところが、りんじゅうだいがわからないしゃとかせい治家じかなどというのは「何としても生きのいい、せんのいいぞうを取り出さなければいかん」ということでもって、まだきゅうをしている者をんだこととして人工じんこうきゅうはずして、体温たいおんの温かいうちに早速さっそくたいを切りきざんでバラバラにしてぞうを取りす。これは、こんな浅ましいこうがあろうか。これが、りんじゅうを知らない者のやることなんです。
 ですから、人間にんげんぞうをパーツとる、部品とるんですよ。
 そこにはですから、まったく命ということがわからない。
 そうなれば、パーツならばまずそこには謝礼しゃれいだとか売買ばいばいだとかいうこうがついてまわるようになる。
 中国ではどうです。あそこは裁判さいばんもろくにしないでどんどん大量のけいしゅうす。
 何のためにけいしゅうすか。んだらただちにこうじょうに送ってバラバラにして分解ぶんかいする。
 そしてそれをぞうを欲しがっている各国にったり、自分の国に連れてきてしゅじゅつをするという金儲かねもうけのざいりょうにする。これは人間にんげんのやることじゃないですね。
 でこのような、人間にんげんの体を物質ぶっしつるだけでもって、本当に生命せいめい永遠えいえんを知らぬという一つのことから今のような「のう」だとか「ぞうしょく」の問題もんだいが起こるわけであります。


平成21年 5月24日 浅井先生指導