しかし、その大事な時が近付けば、必ず今度は魔が黙ってないわけなんですよ。
「何としても、それを成し遂げていく正系門家を狂わせてしまえ」という事が必ず起きてくる。
そこに「破邪」「立正」の大綱を打ち破るそういうような魔の働きが起きてきた。
この正系門家が何と国立戒壇を捨てて、謗法とも余同するなどという事が平然と行われてきてしまった。これが広布前夜の実相ですね。
池田大作は、偽物の戒壇の正本堂を建てて「これが御遺命の戒壇だ」などと偽った。
そして、その正本堂の完工式に、何と何と、はるばるローマ法王庁から位の高い信徒数名を呼んで、完工式の儀式の最前列に座らせたんですね。
そしてこれを「世界平和を祈るため」と称したんです。
どうです。五老僧が「日本国安泰のため」と言って幕府に頼まれて、念仏・真言等の邪法の坊主と肩を並べて国家安泰を祈ったのと全く同じ事でしょう。
そして、それが昭和47年の正本堂のできた時でありまするが、それから3年後の50年4月でありまするが、池田大作はなおローマ法王に対して媚びをずーっと売り続けておったんですね(これは彼が目的があったんですが)。
そして、昭和50年の4月に、創価学会の幹部会で公式に発表をした。
「自分はイタリアに行ってローマ法王と会見する。その段取りが決められた」という事で発表いたしました。
私はその月の総幹部会で「断じてそんな事はしてはいけない」という事を強く申し述べました。
それが彼の耳に入ったのか、翌5月に「計画は取りやめた」という事を聖教新聞で発表しておりました。
ところが、顕正会の目を恐れているけれども、影ではずーっと低重においてローマ法王に媚びを売り始めたんです。
これは何か。ローマ法王を利用して彼は、いかにも世界平和を願っているような事でノーベル平和賞を狙っておったその企みだったんですね。
ですから、今に至るまでずーっとそれが続いてる。
今月7日に麻生総理がイタリアのサミットに出たでしょう。
これを聞いた池田大作は、ローマ法王宛ての親書を麻生総理に託したんですね。
一国の総理大臣に「自分の手紙を届けてくれ」と言って使ったんですよ。まさに、総理大臣が池田大作のパシリになっちゃった(笑)。
ところが、麻生首相も断れないんですね。「選挙でお世話になってる」というんで言われるままに「じゃあ持っていきましょう」というんで持ってって、パシリをやったわけなのでありまするが、その親書に何が書いておったのかというと、池田大作がこういう事を書いている。
「今や、宗教者は宗派の違いを乗り越えて、世界の平和実現に向かって共に対話を推進すべきであります。我々は、その先頭に立って、その運動を推進してまいります」
という事を言ってローマ法王に呼び掛けてる。
これも何かというと「世界平和に宗教者として宗派の垣根を乗り越えて世界平和実現に」なんていう事、どうです、ノーベル平和賞をもらいたかったんですね。「こんな事を密かにやっておった」という事であります。
それから、今度の選挙を見てごらんなさい。「公明党が非常に厳しい」なんて事を言われて、とにかくなりふり構わず「太田も神社に神輿を担ぎに行った」なんて事を言っておりまするが、北川という幹事長がいるでしょう。
つい最近の事でありまするが、あれが大阪でもって16区で立っておる。
堺市を中心に(堺市というのは昔から邪宗の寺院がうんとある、神社がうんとある場所なのでありまするが)、そこに何と何と北川が自転車でもって選挙運動でぐるぐるぐるぐる回ってって、票集めのために依頼をしてるというんですね。
このような事をすでに創価学会は堂々とそれを許しやるようになってきた。
ここに、どうですか。「破邪」という事が全くなくなってきた。
そして「立正」たる国立戒壇も捨ててしまった。
宗門もそれに余同したじゃないですか。「3分の1で広宣流布だ」と。
これは「他宗の存在を認めるんだ」「他宗との協調のためなんだ」という事を阿部日顕は堂々と言って学会に協力を致しました。
正系門家がこのように日蓮大聖人様の「身命を定めて喪わんか」とのこの御精神でもって「一切の邪法の毒を捨てよ」という事を仰せになって『立正安国論』を奏進された。
この「破邪」「立正」の大精神を正系門家が蹂躙した。こうなってくれば国は滅びていきますよ。
平成21年 7月19日 浅井先生指導
- 『立正安国論』における破邪・立正・安国の姿
- 必ず仏国は実現する
- 広布前夜に起きた正系門家の濁乱
- 日本の亡国の危機と同時に広宣流布・国立戒壇建立が成される