おと御前ごぜしょうそく』にたまわく
 法華ほけきょうは、女人にょにん御為おんためにはくらきにともしびうみふねおそろしきところにはまもりとなるべきよしちかはせたまへり。
 ない、さればみょうらくだいのたまはく「かならこころかたきによりてかみまもすなわつよし」等云云とらうんぬんひとこころかたければ、かみまもかならつよしとこそそうらへ。
 これ御為おんためもうすぞ。いにしへのおんこころざしもうばかりなし。
 それよりも今一いまいちじゅうごうじょうおんこころざしあるべし。
 ときは、弥弥いよいよじゅう刹女せつじょおんまもりもつよかるべしとおぼすべし。
 ためしにはくべからず。『日蓮にちれんをばほんごく上一人かみいちにんより下万民しもばんみんいたるまで一人いちにんもなくあやまたんとせしかども、いままでかうてそうろうことは、一人いちにんなれどもこころつよゆえなるべし』とおぼすべし。



 建治元年の8月、だいしょうにんさまが御年54歳の時にのぶにましました。
 鎌倉かまくらに住むにちみょう殿どのという方に賜わったしょであります。
 このにちみょう殿どのという方は、あの竜の口の大法難ほうなんよりずっと前に信心しんじんをして、一筋ひとすじじゅんすい信心しんじんはげんでおられた方であります。
 どういうことくわしいことは知りませんけれども、夫とべつしていたんですね。
 おそらくは信心しんじんのためでもって、夫が信心しんじん反対だったんでしょう。
 で「女手一つで幼子を育てていた」という健気けなげな女性であります。
 で、その時に、あの竜の口の大法難ほうなんが起きた。
 法難ほうなんのあまりの恐ろしさに、今まで「だいしょうにんさましんずる」と口で言っておった者達が、続々とだいしょうにんうたがって退転たいてんをしていった。
 その中で、このにちみょう殿どの信心しんじんどうもしなかったんですね。深く深くだいしょうにんさましんじまいらせていた。
 この方は、おそらくは御法門のくわしいことはそんなに知らなかったにちがいない。
 ただし、命でもって日蓮にちれんだいしょうにんさまそく仏様なんだ」ということを強く感じておられたにちがいないんです。
 で、そのだいしょうにんさま佐渡さどざいとなった」と。
 世間の者は「佐渡さどに流されたのならもう生きて帰ることはできない」何ということを言ってだいしょうにんさまことかろんじてる。
 にちみょう殿どの

だいしょうにんさま絶対ぜったいであられる。しかし、今佐渡さどにおいてしょう死不じふじょうである。何としてもだいしょうにんさま御顔おんかおたてまつらん」

と、まさに一心いっしんほとけたてまつらんとほっして、みずかしんみょうしまず」という道心どうしんでもって、何と何と女人にょにんの身として、鎌倉かまくらからはるばる佐渡さどわたった。
 しかもそれもひとではないですよ。おさなの手を引きつつ佐渡さどわたったんです。
 これは文永9年の5月でありますから、3ヶ月前の2月に、あのかいほんぎゃくによって鎌倉かまくらと京都で内乱ないらんが起きて、ほんこくちゅうおんじょうせいになったんですね。まだ戦いのいんのこってる。
 その中でもって、山賊さんぞく海賊かいぞくがいる中で、はるばる山を越えて、海を越えて佐渡さどまでわたったということはこれは想像そうぞうを絶するでしょう。
 ことに、女人にょにんの身として長旅ながたびということはいかなる困難こんなんで、どれほどの危険をともなったのか想像そうぞうを絶します。
 ですから、だいしょうにんさまは、その命をかけたる道心どうしんをまことに強く讃嘆さんたんあそばしてこうおっしゃっておられるんですね。

 「いまかず、女人にょにんとして仏法ぶっぽうもとめてせんみちみしことを」

 「いまれきじょう、女性が仏法ぶっぽうもとめてせんの道をわたってきたことはない」

 そうですよ。でんぎょうだいが中国へわたった。あるいはげんじょう三蔵さんぞうがインドにわたってきょうもんを求めた。これはみんな男子のわざですよ。男だからそういうことをやった。

 「いまだ、女人にょにん仏法ぶっぽうもとめて、このようなせんの道を踏み分けたということは初めてのことである」

ということ絶賛ぜっさんあそばして、さらには

ほん第一だいいち法華ほけきょうぎょうじゃなり」

おおせになって「にちみょうしょうにんひじりひと)」というまえをわざわざたまわったというほどのかたであります。
 このにちみょう殿どのが、その佐渡さどに渡られた3年後ねんのちに、ふたたのぶにましますだいしょうにんの元に参詣さんけいもうし上げた。
 その時にたまわったしょが本日のこの『おと御前ごぜしょうそく』であります。
 「おと御前ごぜ」というのは、はるばる佐渡さどに行く時に手をにぎっていった娘のまえです。
 『おと御前ごぜしょうそく』というまえだいしょうにんさまがこのしょくださったわけであります。


平成21年 3月29日 浅井先生指導